浜に立つ者たち
いよいよ壱岐防衛戦へ。
史実では絶望的な兵力差ですが、本作ではステフの現代兵器が少しだけ歴史へ介入します。
とはいえ、圧倒的に不利なのは変わりません。
壱岐の館には、重く沈んだ空気が満ちていた。
柱の影に立つ者、膝をついて俯く者、腕を組んで歯を食いしばる者。
集められた武士たちの誰もが、言葉を持ちながら、その重さに押し潰されている。
中央には、少弐経資が座していた。
この地を預かる者。
そして――敗北の記憶を背負う者。
「……対馬は落ちた」
低い声が、静かに響いた。
誰もが知っている。
だが、その一言は刃のように胸に突き刺さる。
「次は、ここだ」
沈黙が落ちる。
誰もが理解している。
逃げ場はない。
「敵は四万とも聞く」
その数字に、空気が揺れる。
四万。
それは“軍”ではなく、“災厄”に近い。
「こちらは……数百」
誰かの呟き。
それが現実だった。
絶望的な差。
「籠るか」
一人が口を開く。
「山へ退き、持久を――」
「それでは民が危うい!」
別の声が遮る。
「女子供を見捨てるのか!」
「だが正面から当たれば全滅だ!」
声が重なる。
怒り、焦り、恐怖。
どれも正しい。
どれも間違っていない。
だからこそ――決まらない。
(……どれも正しい)
ステフは壁際で、その様子を見ていた。
(でも)
冷静に考えれば、答えは一つしかない。
(どれも勝てない)
歴史がそれを知っている。
壱岐は落ちる。
この場にいる多くが、死ぬ。
そのときだった。
「……浜で迎え撃つ」
静かな声が、場を断ち切った。
少弐資時。
その若さとは裏腹に、揺るがぬ声だった。
「上陸を許さぬ」
一瞬の静寂。
そして――
「無茶だ!」
「数が違いすぎる!」
「押し潰されるぞ!」
怒号が上がる。
当然だった。
だが、資時は微動だにしない。
「上陸されれば終わりだ」
短く、しかし確信を持って言う。
「内陸で戦えば、我らに勝ち目はない」
反論は出ない。
誰もが分かっている。
だからこそ、目を逸らしていた。
「ならば、浜で止めるしかない」
逃げ場を断つような言葉だった。
経資がゆっくりと目を開く。
「……資時」
「は」
「勝てると思うか」
場が静まり返る。
資時は、一切迷わなかった。
「思いませぬ」
ざわめきが広がる。
だが――
「それ以外に道はありませぬ」
その言葉は、静かで、重かった。
覚悟とは、こういうものだ。
勝つためではない。
逃げないための決断。
経資しばらく沈黙し――
やがて、息を吐いた。
「……よかろう」
その一言で、すべてが決まった。
浜で迎え撃つ。
圧倒的な敵を。
わずかな兵で。
逃げずに。
館を出た後、ステフは丘へ向かった。
浜を見下ろす、小高い場所。
草に覆われ、岩が点在する。
足場は悪いが――
(見渡せる)
ここからなら、浜全体が見える。
そして、その先の海も。
膝をつき、息を整える。
背負ってきた装備を下ろす。
布を開く。
中には手榴弾。
そして、自動小銃。
この時代には存在しないもの。
異物。
だが――
(これで一瞬を作る)
双眼鏡を取り出し、海へ向ける。
まだ何もない。
だが、来る。
確実に。
そのとき、背後で草が鳴る。
「そこにいたか」
振り向くと、資時が立っていた。
「いい場所だな」
「でしょ」
軽く答える。
資時は丘の端に立ち、浜を見下ろす。
「ここから全体が見える」
「だから使う」
ステフは手榴弾を手に取る。
資時の視線がそれに向く。
「……それで船を狙うのだな」
「そう」
短くうなずく。
「兵じゃない」
「船」
資時の目がわずかに細くなる。
「退路を断つか」
「そう」
ステフは指で動きを示す。
「兵は上陸する」
「船は浜に寄せる」
「そこに投げる」
間。
「爆発する」
資時は静かに頷いた。
「てつはうに似ているな」
「そんな感じ」
「船を失えば」
「逃げられない」
「海にも戻れぬ」
「陸は敵」
言葉が重なっていく。
「挟まれる」
ステフは一歩踏み出す。
「その状態で」
低く言う。
「一斉に叩く」
資時の目が鋭くなる。
「……一網打尽か」
「そう」
迷いなく答える。
しばしの沈黙。
波の音だけが響く。
やがて資時は言った。
「理にかなっている」
「退路を断たれた兵は脆い」
「混乱すれば、なおさらだ」
そして。
「そこを我らが斬る」
「任せた」
短い言葉。
それで十分だった。
「合図は?」
「私が投げる」
「それを見て突撃する」
「了解」
資時は深くうなずく。
「他の者には」
「言わないで」
即答。
「一瞬が勝負だから」
「承知した」
信頼がそこにあった。
そのとき。
「……怖いか」
資時が問う。
ステフは空を見て、少し考え――
「怖いよ」
正直に言う。
「でもやる」
資時が小さく笑う。
「似てきたな」
「誰に?」
「武士にだ」
ステフは肩をすくめる。
「アメリカの軍人は勇敢なんだよ」
資時はわずかに目を細めた。
「武士よりも勇敢か」
そして、口元を緩める。
「アメリカ軍とは、蒙古よりも恐ろしいな」
一瞬の間。
ステフは思わず笑った。
資時も、小さく笑う。
張り詰めていた空気が、ほんのわずかに緩む。
だが――それも束の間。
「では、任せる」
資時が言う。
「下で待つ」
「任せて」
資時は踵を返し、丘を下りていく。
その背中が、武士たちの列に溶けていく。
やがて見えなくなる。
ステフは再び双眼鏡を構える。
海を見る。
静かだ。
あまりにも静かだ。
だが――
(来る)
時間が伸びる。
風が吹く。
草が揺れる。
心臓が脈打つ。
手榴弾を握る。
冷たい感触。
確かな重み。
(ここが分岐点)
この一瞬で。
流れを変える。
歴史を、少しだけでも。
丘の上に、ただ一人。
現代の兵士。
浜には、数百の武士。
そしてその先に――
やがて現れる、数万の敵。
すべては整った。
あとは――
始まるだけだ。
手りゅう弾による「帰る船を失わせる作戦」を描きたくて書いた回です。
また、資時とステフの軽口も少しずつ増やしています。
重い戦記の中でも、二人の空気感を大事にしたい作品です。




