覚悟と恐れのあいだ
元寇を知る現代人だからこそ、怖い。
けれど、それでも逃げない若武者・少弐資時。
今回はステフと資時の距離が少し近づく回です。
壱岐の朝は、静かだった。
波の音と、風に揺れる草の擦れる音。
それだけが、やけに大きく聞こえる。
ステフは海を見ていた。
何も見えない水平線の向こう。
だが、来る。
知っている。だからこそ、わかる。
(……時間がない)
背後で足音がした。
「ここにいたか」
振り向くと、少弐資時が立っていた。
甲冑はつけていない。簡素な装束。
昨日よりも、ずっと年相応に見える。
「眠れたか」
「まあね」
短く返す。嘘だ。
資時はそれ以上は聞かず、隣に立った。
同じように海を見る。
しばらく沈黙が続く。
だが――
(……違う)
昨日感じた“迷いのなさ”が、今は薄れている。
代わりにあるのは、抑え込まれた何か。
「……怖いのか」
気づけば、口に出していた。
資時は一瞬だけ目を伏せる。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……ああ」
あまりにも素直な肯定だった。
ステフは言葉を失う。
「怖いとも」
資時は続ける。
「見たこともない数の軍勢だと聞く。
鉄の武具、雷のごとき武器――」
てつはうのことだろう。
「勝てるとは思えぬ」
静かな言葉。
だが、それが本音だった。
(この人……)
覚悟はしている。
だが、それと恐怖は別だ。
「それでも、戦うのか」
「戦う」
即答だった。
迷いはない。
だが、その奥にあるものを、ステフは見逃さなかった。
「文永の折、我らは壱岐を守れなかった」
資時がぽつりと言う。
その声は、少しだけ重かった。
「多くの者が死んだ。女子供も……容赦なく」
記録で読んだことがある。
だが、それを背負う者の言葉は違う。
「少弐の名を持つ者として……あの時の責は、消えぬ」
拳がわずかに震える。
「ならば今度こそ――」
言葉が止まる。
そして。
「……せめて、逃げずに戦うことだけは」
それが彼の結論だった。
勝利ではない。
生存でもない。
ただ、逃げないこと。
(……そんなの)
胸が締め付けられる。
報われるはずがない。
「それでいいのか」
思わず口に出る。
「死ぬだけかもしれない」
「そうだ」
資時は静かにうなずく。
「だが、それが武士だ」
否定できない声音だった。
価値観が違う。
それでも――
そのまま受け入れることはできなかった。
沈黙が落ちる。
波の音だけが響く。
そのとき。
「……本当はな」
資時が呟く。
ステフは顔を向けた。
「生きたいと思う」
その言葉は、あまりにも人間的だった。
「できるなら、逃げたいとも思う」
小さく笑う。
だが、その笑みは弱い。
「だが、それでは許されぬ」
誰に、とは言わない。
家か。名か。過去か。
すべてだろう。
(……知ってる)
この先を。
この人は死ぬ。
どれだけ覚悟しても。
どれだけ正しくても。
(それでも)
見ているだけでいいのか。
答えは、もう決まっていた。
「……資時」
「なんだ」
「私は、逃げない」
資時の目がわずかに動く。
「あなたと一緒に戦う」
はっきりと告げる。
「勝てるとは言わない。でも」
一歩、踏み出す。
「ただ死ぬだけにはさせない」
資時が息を呑む。
「少しでも、変える」
沈黙。
風が二人の間を抜ける。
「……なぜだ」
当然の問い。
ステフは少しだけ考えて――答えた。
「放っておけないから」
それだけだった。
だが、資時はしばらく考え――
ふっと、口元を緩めた。
「……異人は、変わっているな」
その言葉に、ステフは肩をすくめる。
「アメリカ軍の兵士はね」
一拍置いて、続けた。
「弱い奴を見捨てないんだよ」
資時がわずかに眉を上げる。
「……わしは弱者か」
わずかに笑う。
冗談だとわかる口調だった。
ステフも思わず笑った。
「そういう意味じゃない」
顔を見合わせる。
ほんの短い時間。
だが、確かに空気が変わった。
張り詰めていたものが、少しだけ緩む。
ステフは思う。
(……なんだろうな)
この感覚。
恋人のような、というにはまだ遠い。
だが――
放っておけない。
守りたい。
弟のような。
家族のような。
そんな、妙な情が胸に芽生えていた。
「では――頼む」
資時が言う。
その言葉は重い。
だが、どこか柔らかかった。
ステフはうなずく。
そのときだった。
「申し上げます!」
遠くから、慌ただしい声が響いた。
武士が一人、駆けてくる。
息を切らし、地に膝をついた。
「対馬が――」
空気が変わる。
「対馬が、落ちました!」
その一言で。
すべてが現実になる。
資時の表情が、わずかに引き締まる。
だが、驚きはなかった。
予測していたかのように。
ステフの心臓が強く打つ。
(……始まった)
歴史が、動き出す。
逃れられない流れが、すぐそこまで来ている。
海の向こうから。
確実に。
そして――
次に狙われるのは、この壱岐だった。
資時はまだ十九歳。
武士である前に、一人の若者でもあります。
そんな彼を、ステフが少しずつ「守りたい」と思い始める回でした。
そして、遂に対馬陥落――戦が本格化していきます。




