第6話 新しいご縁談
期日まで、あと十八日。手形は差し戻され、残りは金貨千二百四十枚のまま。
レオノーラ様から文が参りました。来月十日までに全額をご用意できる見込みが立ちましたので、ご案じなきよう。文にはそれだけ書かれておりました。
うちの帳場では、見込みという言葉は数に入れません。見込みは日付を持たないからでございます。ですから、わたくしは控えの残額をそのままにして、文だけを綴じました。
ただ、見込みの中身は確かめておきたいと思いました。確かめずにおいて、期日の前日に「話が違う」と申し上げるのは、貸した側の作法として褒められたことではございません。
お屋敷へ伺いました。応接の間に通される途中、廊下の突き当たりに、テオドル様のお姿が見えました。壁の暦の前に立っておいでで、手には炭がございました。
九月の升目に、×が並んでおりました。毎日おひとつずつ、消しておいでなのだと思います。消した升目の数が、そのまま過ぎた日でございます。
テオドル様はわたくしに気づいて、炭を持った手を下ろされました。
「……数えている」
「はい」
「君に言われるまで、数えたことがなかった」
わたくしは礼をして、応接の間へ入りました。
レオノーラ様は、今日はお茶をお出しになりました。
「リンドナー家をご存じ」
「川向こうの、海運のお家でございますね」
「ええ。ここ十年で大きくなられたお家ですわ。当主はご病気で、いまはご子息の代理が差配しておいでとか」
「アルベルト様でございますね」
レオノーラ様は、少しだけ目をお細めになりました。
「商いの家は、耳が早くていらっしゃる」
「川沿いにおりますので、荷の話は入ってまいります」
「そのリンドナー家から、テオドルに縁談がございましたの」
わたくしは頷きました。
今ごろになって、順番が分かってまいりました。縁談が先にあって、そのあとに解消のお話が来たのでございます。あの日テオドル様が仰った「解消したい」は、この方が決めたことではなかったのかもしれません。
「持参の金子が、金貨千五百枚。それだけあれば、あなたにお納めしても、まだ残りますわ」
「はい」
「ですから、ご案じなくてよろしいのよ」
わたくしは、卓の上で指を組みました。
「一つだけ、お伺いしてよろしゅうございますか」
「どうぞ」
「その千五百枚は、いつお手元に入りますか」
レオノーラ様は、器を置かれました。
「……結納の日でしょうね」
「結納の日取りは、お決まりでございますか」
「来月の、二十日ごろにと」
わたくしは指を折りませんでした。折らなくても分かる数でございます。
十月二十日。期日の、十日あとでございます。
「間に合いませんわね」
レオノーラ様が、ご自分で仰いました。
「はい」
「十日、待っていただくわけには」
「待つことはできます」
レオノーラ様が顔を上げられました。
「ただ、待つというのは、期日を延ばすということでございます。期日を延ばしますと、そのぶん利息をいただくのが商いの決まりでございます」
「あなた、利息は取らないと」
「取らないと申し上げたのは、来月十日までのぶんでございます」
わたくしは、はじめてそのことを申し上げました。
「七年ぶんの利息を、わたくしは一度もいただいておりません。それは、期日を決めていなかったからでございます。期日を決めた以上、その先は別の話になります」
部屋の中で、廊下の暦の話をしている人の声が遠く聞こえました。テオドル様が、どなたかに何かを尋ねておいででした。
「……いくらになりますの」
「十日でしたら、二十五枚ほどでございます」
レオノーラ様は、しばらく黙っておいででした。
「たったそれだけ」
「はい」
「なぜ、そんな端金を」
「端金だからでございます」
わたくしは申し上げました。
「二十五枚をお払いになれば、期日は十日延びます。それは、うちの帳場ではふつうのことでございます。ふつうのことをふつうにお済ませになれば、それで済みます」
レオノーラ様は、お茶に手をおつけになりませんでした。
お屋敷を出るとき、裏の勝手口のほうから、人の出入りがございました。ボルグ様が、書生を二人連れて、簿冊を運び出しておいででした。埃をかぶった背表紙が、日に当たっておりました。
あの家が、ご自分の帳面を開けようとしておられます。
開ければ、書いてあることが分かります。書いていないことも、分かります。
帳場に戻って、今日の分を書き入れました。
九月二十二日。ヴァイセル家へ出向く。奥様と面談。期日延長の申し出について、十日で利息二十五枚と申し上げる。返答なし。
それから、余白に計算を残しました。千二百四十枚に、日ごとの割で十日分。二十四枚と少し。端を切り上げて二十五枚。うちの帳場では、いつもこの割で計算いたします。他人様に貸すときも、身内に貸すときも同じにしておかないと、あとで説明ができません。
ヨナスが、書き終えた頁を覗きました。
「二十五枚をお払いになりますかな」
「分かりません」
「払えば済む話でございますが」
「はい」
払えば済みます。二十五枚は、あのお屋敷の一月の花代ほどでございます。うちの帳場の売り上げで申しましても、そう大きな額ではございません。
ただ、払うということは、これが借りだと書き残すことでございます。
あの奥様が、いちばんなさりたくないのは、そちらのほうかもしれません。
二十五枚をお納めになれば、期日は十日延びます。あのお屋敷の、ひと月の花代ほどの額でございます。それでもお払いにならないのは、金が無いからではございません。払った途端に「当家は借りている」と紙に残るからでございます。
見栄というのは、利息よりずいぶん高くつきます。書いておりまして、これほど理屈の通った意地の張り方も珍しいと思いました。
次は、取り立てる側の帳面を開きます。ミレーユも、じつは無傷ではございません。第七話「わたくしは帳場におります」。




