第4話 厚意という言葉
期日まで、あと二十四日。不足、金貨千六十枚。
レオノーラ様は、お約束の刻よりも四半刻早くお越しになりました。
早くいらっしゃる方は、待たせるおつもりのある方でございます。うちの帳場でもときどきございます。約束より早く来て、こちらの支度が整っていないところをご覧になる。それだけで話の位置が決まってしまいます。
幸い、うちの帳場は朝からずっと開いております。
「お待たせいたしました」
「いいえ。こちらが早すぎましたの」
レオノーラ様は奥の間の椅子におかけになって、部屋を見回されました。壁の棚には簿冊が並んでおります。年ごとに背に札を貼ってございますので、遠目にも何年分あるかが分かります。
「ずいぶん、きちんとしていらっしゃるのね」
「商いの家でございますので」
「ええ。商いの家ですものね」
わたくしは白湯をお出しいたしました。レオノーラ様はお手をつけませんでした。
「テオドルから聞きましたわ。ずいぶん細かく書きつけてくださっていたそうで」
「三十七件でございます」
「あれは、厚意でしょう」
レオノーラ様は、声を高くなさいませんでした。むしろ、たいへん穏やかに仰いました。この方は声を荒げる方ではございません。そこはわたくしと同じでございます。
「婚約者同士のことですもの。あなたが好意でしてくださったことを、後になって数え上げるというのは、あまり品のよいことではございませんわ」
「はい」
「お分かりいただけて嬉しいわ」
「わたくしが申し上げたのは、品がよくないというお言葉についてでございます」
レオノーラ様の目が、ほんの少し動きました。
「立替を数え上げるのが品のよいことでないというのは、そのとおりだと存じます。うちは品よりも数を先にする家でございますので、そこはお許しくださいませ」
「……あなた」
「厚意と仰いますなら、そう控えに書き足します」
わたくしは控えを開いて、いちばん上の一枚をお見せいたしました。
「品目のあとに、こう書き足せばよろしゅうございましょうか。『先方は厚意と解しておられる』と」
「そんなことを書いてどうなさるの」
「控えは、あったことを書くものでございます。ですから、そう仰った方がおいでになれば、そう書きます」
わたくしは筆を取りました。
「ただ、書き足しても、金額は変わりません」
部屋の中で、川の音が遠く聞こえておりました。レオノーラ様は白湯の器を、はじめて指でお持ちになりました。お飲みにはなりませんでした。
「その控えは、あなたがお書きになったのでしょう」
「はい」
「では、あなたが好きなように書けるということですわね」
「はい。ですから、うちの控えだけでしたら、お疑いになるのが当然でございます」
わたくしは、二日前にテオドル様に申し上げたことを、もう一度申し上げました。
「写しは、商業組合の帳簿方にも預けてございます」
レオノーラ様は、しばらく黙っておいででした。
「……組合に」
「はい。預けた日付と、預けた品目が、あちらの帳面にも残ります。うちで後から書き足したものは、あちらには載りません」
「なぜ、そんなことを」
「父の代からの決めごとでございます」
これは本当のことでございます。わたくし自身、なぜヴァイセル様のぶんまで預けていたのかを存じません。組合に預けるのは、ふつうは他人様との大口の取引でございます。婚約者のお家のご入り用を、そこまでする必要はございませんでした。
その日、わたくしは控えの束を最初から見返しました。
いちばん古い一枚は、七年前の九月十八日でございます。
「先代様のご葬儀の折、香典返しの品代として立替。金貨四十枚」
日付があり、品目があり、金額があります。そして、そのすぐ下に、返済の期日を書く欄がございます。
そこだけが、空欄でございました。
控えは全部で三十八件ございますが、期日の欄が空いているのは、この一件だけでございます。ですからご請求の三十七件には入れておりません。二件目からは、わたくしは必ず期日を書いております。書いて、書いたあとで、線を引いて消しております。何度も引き延ばしましたので、線が三本も四本も重なっている頁もございます。
けれど一件目だけは、線すら引いてございません。
なぜ書かなかったのかは、覚えております。覚えておりますが、そのときは思い出さないことにいたしました。
棚から七年前の簿冊を出して、九月の頁を開きました。十八日の欄には、香典返しの品代のほかに、もう二行ございます。花輪の代金と、写しを組合へ預けた記録でございます。
組合への預けは、その日から始まっておりました。父はその年の春に亡くなっておりますので、決めたのは父ではございません。
わたくしは頁を閉じました。閉じてから、簿冊の背の札を指でなぞりました。七年前の札だけ、字が少し違います。ヨナスの字でございます。
夕方、ヴァイセル家から使いが参りました。文には、こう書かれておりました。
月々金貨八十枚ずつ、十六か月にわたって納める。初回は四日のうちに届ける。
わたくしは返事を書きました。
月々でお納めいただくのは構いません。ただし期日は来月十日でございます。期日までに納まらなかった分は、翌日にまとめて期限が来たものとして扱います。
書きながら、十六か月という数字を見ておりました。八十枚を十五回で千二百枚、十六回目が四十枚。数の割り方は合っております。
合っていないのは、期日でございます。あの家は、返し終える日を一年より先だと思っておられます。
レオノーラ様は、悪意でものを仰る方ではございません。ただ、この方の帳面には「立替」という項目が無くて、代わりに「厚意」という、たいそう広い言葉がひとつ置いてあるのです。言い換えは、たいてい記録より強うございます——記録のほうに、日付が入っていなければ。
そしてこの回、控えの一枚目にだけ期日の欄が空いていることが、ちらりと見えます。三十八件のうち、朱の丸がひとつ。あれは、後ほどお返しいたします。
次回、分納の初回八十枚が届きます。第五話「最初の八十枚」。数字が動く回でございます。動いたぶん、戻る回でもございますが。




