第14話 明日が十日でございます
期日まで、あと一日。河港の権が、紙の上で移りました。
譲渡の話は、組合の会所で行われました。立ち会いは帳簿方のカイ様、ヴァイセル家からはボルグ様、リンドナー商会からはアルベルト様でございます。テオドル様とレオノーラ様は、別室におられました。
わたくしは呼ばれて参りました。呼ばれた理由は、証文を持っているのがわたくしだからでございます。
「河港の権を、リンドナー商会へ。対価は金貨千六十枚。現金にてお支払いいたします」
アルベルト様が、そう仰いました。
「そのうえで、ラウフェン商会にはこちらから直接お支払いしたいのですが」
「いいえ」
わたくしは申し上げました。
「対価は、ヴァイセル家にお納めくださいませ」
部屋の中の方々が、こちらをご覧になりました。
「同じことでは」
「同じではございません」
わたくしは、控えの束を卓の上に置きました。
「わたくしの控えは、ヴァイセル家に対するものでございます。三十七件、千二百四十枚。お納めいただくのは、ヴァイセル家からでなければなりません」
「証文をお譲りいただければ、こちらが引き継ぎますが」
「お譲りいたしません」
アルベルト様は、しばらくこちらをご覧になっておいででした。
「理由を伺っても」
「うちの控えは、うちで閉じます」
それだけでございます。証文をお譲りいたしますと、この七年はリンドナー商会の帳面に移ります。移った先で利息が積まれ、期日が引き直され、別の名前で続いてまいります。続いてしまえば、わたくしの控えは閉じません。
閉じない控えを七年持っていて、それがどういうものかは、もう存じております。
「承知しました」
アルベルト様は、あっさりと引かれました。
「では、対価はヴァイセル家へ。そちらからラウフェン商会へお納めいただく。書付は二本になりますが、こちらは構いません」
ボルグ様が、はじめて口を開かれました。
「当家からお納めいたします」
譲渡の書付が読み上げられ、印が押されました。河港の桟橋と、川岸の蔵と、上流からの荷の取り決め。三代にわたってヴァイセル家が持っておられたものが、紙の上で移りました。
思っていたより、静かなものでございました。
書付が終わったあと、アルベルト様がこちらへ来られました。
「ラウフェン商会との取り決めですが」
「はい」
「来年からは、他の荷主と同じ料でお願いいたします」
「承知いたしました」
「年に二百枚ほど、余計にかかります」
「二百十六枚でございます」
アルベルト様は、少し目を見開かれました。
「数えておられましたか」
「うちの番頭が数えました」
それだけでございます。取り立てた千二百四十枚のうち、二百十六枚は毎年出ていきます。六年で消える額でございます。
ただ、わたくしは千二百四十枚を毎年いただくわけではございません。一度きりでございます。
「お恨みになりますか」
アルベルト様が仰いました。
「いいえ」
「なぜ」
「うちが安く使わせていただいていたのは、婚約があったからではございません。先々代からの取り決めでございます。ですが、外からは同じに見えます」
「見えますね」
「同じに見えるものは、いつか同じ扱いになります。それが今年だっただけでございます」
会所を出る前に、カイ様が受付の控えを書いておられました。
「本日の譲渡、一件。金貨千六十枚。当事者三名、立会一名」
「立会は、どなたでございますか」
「わたくしでございます。組合の帳簿方は、譲渡の場に必ず一人入ります」
カイ様は、書き終えた頁をこちらへ向けて見せてくださいました。
字は細く、行は詰まっておりません。日付があり、件名があり、金額があり、名前がございます。
「明日、ご入金がございましたら、そちらも一行いただきます」
「お願いいたします」
会所を出ますと、日が傾いておりました。別室の戸が開いて、テオドル様が出ていらっしゃいました。
「明日、持っていく」
「はい」
「朝でいいか」
「お店は朝から開いております」
テオドル様は、頷かれました。
「ミレーユ」
「はい」
「うちは、明日から地主になる」
「はい」
「父から預かったものを、僕の代で手放した」
わたくしは、そのことについて申し上げる言葉を持っておりませんでした。
「……いや、いい。君が言うことじゃない」
テオドル様は、そう仰って、先に行かれました。
帳場に戻ると、ヨナスが受領証の紙を出して、日付のところを空けたまま置いておりました。
「明日でございますな」
「はい」
「金貨千二百四十枚。数えるのは、わたしがいたします」
「いいえ」
わたくしは、日付の空いたその紙を手に取りました。
「わたくしが数えます」
その晩、控えを最初から見返しました。三十八件ございます。束の厚みは、指で挟んで一寸ほどでございました。七年で一寸でございます。もっと厚いものだと思っておりましたが、紙は重ねてもさほど嵩みません。
三十七件には、期日が書いてございます。線を引いて消して、また書いて、また消した跡がございます。
一件だけ、空欄でございます。
明日、その欄をどういたしましょうか。
わたくしは、まだ決めておりませんでした。
「うちは、明日から地主になる」。桟橋を手放すというのは、そういうことでございます。父から預かったものを、僕の代で手放した——テオドル様のこの一行に、ミレーユは返す言葉を持ちませんでした。持っていて言わなかったのではなく、本当に持っていなかったのだと思います。
そして、受け取る側にも請求書は回ります。ラウフェン商会の荷は、来年から年に二百枚余計にかかります。取り立てた人だけが無傷で終わる話は、書きたくございませんでした。
残る空欄は、ひとつだけ。いよいよ、期日でございます。第十五話「期日は本日でございます」。




