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婚約解消、承知いたしました。立替金の期日は来月十日でございます 〜利息はいただきません。元本だけで足りなくなるはずですので〜  作者: 若槻すみか


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12/15

第12話 なぜ七年も、と仰いました

期日まで、あと六日。十日延ばした場合の利息、金貨二十五枚。

 テオドル様は、外套を腕にかけて立っておいででした。


「入っていいか」


「どうぞ」


 帳場はもう戸を閉めておりましたので、灯りは一つきりでございます。わたくしは白湯を温め直しました。


「リンドナーが来たそうだな」


「はい」


「妹の縁談は取りやめだと、母のところへ文が来た」


「はい」


「うちの帳面を見せろと言われて、ボルグが見せた。母は知らない」


 テオドル様は、椅子に手をかけて、それから座らずに立っておいででした。


「僕は、君に頼みに来た」


「はい」


「まけてくれとは言わない。それはもう分かった」


「はい」


「期日を、十日延ばしてほしい」


 わたくしは白湯の器を卓に置きました。


「利息をいただきます」


「二十五枚だな。母に言われて、断ったのは僕じゃない」


「はい」


「僕が払う。手文庫から出す」


 わたくしは、しばらく黙っておりました。


「テオドル様。その二十五枚は、いま手元にある百八十枚から出るものでございますね」


「……ああ」


「百八十枚は、元本に充てていただくお金でございます。そこから利息をお納めいただきますと、元本に充てる分が二十五枚減ります」


「……そうか」


「延ばしても、残るものが増えるわけではございません」


 テオドル様は、そこでようやく椅子に座られました。


「君は、いつもそうやって数えていたのか」


「はい」


「七年、ずっとか」


「はい」


 テオドル様は、卓の木目をご覧になっておいででした。それから、ずいぶん低い声で仰いました。


「なぜ七年も、黙って立て替えていた」


 わたくしは、白湯の器に指を添えました。


 この問いは、いつか来ると思っておりました。来たときに何と申し上げるかも、考えたことがございます。考えたことはございますが、うまくまとまったことは一度もございません。


「テオドル様は、七年前の九月に、門のところに立っておいででした」


「ああ」


「朝から晩まで、いらした方に頭を下げておいででした。わたくしが花をお渡ししたときも、受け取って、そのまま次の方に頭を下げられました」


「……覚えていない」


「はい。覚えておいでではないと思っておりました」


 わたくしは、そこで一度、息を継ぎました。


「あの日、ボルグ様が困っておいででした。香典返しの品が足りない。まだ人がいらっしゃる。四十枚ほど足りないと」


「それで、君が」


「はい。その場でお出しいたしました」


「なぜ言わなかった」


「言う日ではございませんでした」


 テオドル様は、顔を上げられました。


「翌月、冬の薪が足りませんでした。その次の月は、屋敷の借り賃でございました。そのころには、言う日ではないという理由が、月ごとに増えてまいりました」


「……」


「三年目に、一度だけ、申し上げようといたしました」


「いつだ」


「叙勲の折でございます。献納の二百枚をお出ししたあと、いつお返しいただけますかと、書いて持ってまいりました」


「僕は、なんと言った」


「あとで返す、と仰いました」


 テオドル様は、目を閉じられました。


「そのとき、お顔が、ほっとしておいででした」


「……ああ」


「わたくしは、その顔を見て、書いた紙を出せませんでした」


 テオドル様は、しばらく黙っておいででした。


「……解消の話だが」


「はい」


「僕が言い出したことになっているが、決めたのは母だ。リンドナーとの話が先にあった。家の勘定が回らないから、持参の金子のある家と結べと」


「はい」


「僕は、断らなかった。断れば君に返さなければならないと、どこかで分かっていたんだと思う」


 わたくしは、そのお言葉を聞いて、はじめて少し楽になりました。


 七年、返らなかった理由が、この方の中にもあったのだと分かったからでございます。


 部屋の外で、川の音がいたします。夜のほうが、水の音はよく聞こえます。


「三年目のあと、僕は君に何か言ったか」


「叙勲のあと、半年ほどして、一度だけ」


「なんと」


「来年には落ち着くから、と仰いました」


「……落ち着かなかったな」


「はい」


 落ち着くという言葉には、日付がございません。日付のない言葉を、わたくしは七年ぶん控えの余白に書き留めておりました。書き留めても、それは金額の欄には入りません。


 いつか入れるつもりだったのだと思います。入れないまま、七年が経ちました。


 余白の言葉には、金額を書く欄がございません。欄のないものは、いくら溜めても勘定に立ちません。


「テオドル様」


「なんだ」


「わたくしは、軽んじられたとは思っておりません」


 テオドル様は、目を開けられました。


「甘えられたのだと思います」


「……それは、同じことじゃないのか」


「違います」


 わたくしは申し上げました。


「軽んじられていたのでしたら、腹が立ちます。腹が立てば、三年目に紙を出しております」


「……」


「甘えていただけるというのは、こちらにも心地のよいことでございました。ですから出せませんでした。七年、出せませんでした」


 テオドル様は、両手で顔を覆われました。長いことそうしておいででした。


 わたくしは白湯を注ぎ足しました。注ぎ足したものは、飲まれませんでした。


「ミレーユ」


「はい」


「僕は、君に返す。リンドナーに肩代わりされるのは、返したことにならない」


「そうでございますね」


「だから、十日待ってくれとは、もう言わない」


 テオドル様は立ち上がられました。


「母に、目録を作らせる」


「目録と申しますと」


「屋敷のものだ。売れるものを、全部書き出す」


 その晩、わたくしは控えを開いて、残額の欄をしばらく見ておりました。


 数字は動いておりません。


 動いていないのに、この六日で、この数字の重さは変わりました。

「軽んじられたのでしたら、腹が立ちます。腹が立てば、三年目に紙を出しております」。


ミレーユが七年出せなかったのは、甘えていただけることが、こちらにも心地よかったからでございました。ここを「軽んじられた」で書いてしまうと、この物語は取り立ての話になります。取り立ての話には、したくございませんでした。


余白に書き留めた言葉には、金額の欄がございません。欄のないものは、いくら溜めても勘定に立ちません——七年ぶんの、いちばん静かな一行です。


そして、屋敷の売れるものが、すべて紙の上に並ぶことになります。第十三話「目録が出てまいります」。

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