第11話 肩代わりのお申し出
期日まで、あと八日。肩代わりのお申し出、金貨千六十枚。
「千六十枚、こちらで立てます」
名乗るより先にそう仰った方は、外套を脱がずに帳場に入っていらっしゃいました。三十に少し届かないくらいのお年に見えます。
「リンドナー商会の、アルベルト・リンドナーと申します。父が臥せておりますので、いまは私が差配しております」
「ラウフェンのミレーユでございます」
「ヴァイセル伯爵家への貸しが、千二百四十枚。先方の手元が百八十枚。不足が千六十枚。相違ございませんか」
「相違ございません」
「では、その千六十枚をこちらで立てます。証文はこちらへお譲りいただきたい」
早い方でございました。うちの帳場にも、こういう方はときどきいらっしゃいます。話が早い方は、たいてい、こちらが考える時間を惜しんでおられます。
「お座りくださいませ」
「では、少しだけ」
アルベルト様は椅子にお座りになって、そこで初めて外套の前をお開けになりました。
「条件を伺ってよろしゅうございますか」
「ヴァイセル家の、河港の利用権を」
わたくしは、指を組みました。
「桟橋ごとでございますか」
「桟橋と、川岸の蔵と、上流からの荷の取り決めを。あの家がお持ちの権のうち、金を生むのはそこだけです」
「ご存じでいらっしゃいますね」
「三年前から見ております」
アルベルト様は、そう仰いました。
「うちは海運でございます。海から川へ荷を上げるには、川の入口に足がかりが要る。ヴァイセル家の河港は、川の入口にございます」
「妹君のご縁談は」
「取りやめました」
あっさりと仰いました。
「妹を、帳面の合わない家へは出せません」
「……はい」
「あの家の帳面は見ました。七年、出ていくほうが多くて、それでも回っている。回している人がどこかにいる。誰かと思えば、婚約者だった」
アルベルト様は、卓の上でわずかに身を乗り出されました。
「あなたが取り立てをなさらないので、外からは何も見えませんでした。見えないうちは、うちも動けません。あなたが期日を切ってくださったので、初めて数字になりました」
「そのおつもりで切ったのではございません」
「存じております。だからこそ、うちが動けたのです」
わたくしは白湯をお出ししました。アルベルト様は、一口だけお飲みになりました。
「一つ、お伺いしてよろしゅうございますか」
「どうぞ」
「なぜ、いま名乗ってお越しになりましたか」
うちのような小さな店に、川向こうの商会の当主代理がお一人で来られることは、ふつうはございません。使いの方をお立てになるか、組合を通されるのが順でございます。
「順を踏むと、三日かかります」
アルベルト様は、そう仰いました。
「期日まで十日でございましょう。三日は、いま出せる金額よりも高い」
「はい」
「それに、順を踏めば、話が漏れます。漏れれば、ヴァイセル家に別の口がつきます。別の口は、たいてい利息が高い」
この方は、こちらのためにそう仰ったのではないと思います。ただ、結果として、そうなっております。
「お伺いいたします。証文をお譲りした場合、期日はどうなりますか」
「変わりません。来月十日でございます」
「利息は」
「頂戴します」
アルベルト様は、そこだけ、こちらの目をご覧になりました。
「うちは商いでございます。利息を取らずに立てる理由がない。期日を過ぎれば、日ごとに積みます」
「はい」
「あなたが取らなかったぶんも、こちらは取りません。過去には遡らない。ですが、明日からは取ります」
「はい」
わたくしは、そのお答えを聞いて、少しだけ落ち着きました。
わたくしが利息を取らないと決めたことは、わたくしの決めごとでございます。それを、この方に守っていただく筋合いはございません。守らないと言ってくださるほうが、話が濁りません。
「お返事は、いつまでに」
「二日いただければ」
「結構です」
アルベルト様は立ち上がられました。戸口のところで、一度振り返られました。
「ラウフェン商会は、あの桟橋を安く使っておられますね」
わたくしは頷きました。
「先々代からの取り決めでございます」
「うちが権を得れば、その取り決めは見直します」
「はい」
「年に二百枚ほど、余計にかかることになる」
この方は、そこまで数えておいででした。
「ご承知の上で、お譲りになりますか」
「二日、考えさせてくださいませ」
アルベルト様がお帰りになったあと、ヨナスが帳場の奥から出てまいりました。
「聞こえておりました」
「はい」
「お譲りにならなければ、どうなりますか」
わたくしは考えました。
譲らなければ、ヴァイセル家は期日までに千六十枚を作れません。作れなければ、期日の翌日から、うちが取り立てる立場になります。取り立てるには、家門の会にかけるか、お屋敷の物を差し押さえるか、どちらかでございます。
どちらも、月がかかります。そのあいだ、うちの荷はあの桟橋を使い続けます。
「うちが取り立てを始めれば、桟橋は締められますね」
「締められますな」
「譲っても、締められます」
「はい」
ヨナスは、算盤を出して、しばらく弾いておりました。
「どちらにしても、年に二百枚でございます」
「はい」
「でしたら、決め手はそこではございませんな」
その晩、帳場の戸を叩く音がいたしました。
テオドル様が、お一人で立っておいででした。
お譲りになっても、ならなくても、うちの荷は年に二百枚余計にかかる。ヨナスの申したとおり、決め手はそこではございません。
では、どこにあるのでしょうか。ミレーユは二日いただきました。よろしければ、読んでくださっている方にも二日ぶん、お考えいただけたらと思います。取り立てないと決めた人が、取り立てる側に立たされたとき、何を基準に決めるのか。
その晩、帳場の戸を叩いたのは、リンドナー様ではございませんでした。第十二話「なぜ七年も、と仰いました」。七年ぶんの、答え合わせでございます。




