第10話 控えは、二通ございました
期日まで、あと十日。組合に預けてある控え、三十八件。
商業組合の建物は、川沿いの通りの東の端にございます。石造りの二階建てで、一階が会所、二階が帳簿方でございます。
帳簿方の部屋は、思っていたより狭うございました。壁が全部棚で、棚が全部簿冊でございます。奥に机が二つ並んでおりまして、若い方が一人、頁を繰っておいででした。
「七年前からの預かりのことで参りました。ラウフェンの者でございます」
その方は顔を上げて、それから立ち上がられました。
「カイ・レンメルトと申します。ラウフェン様でしたら、九番の棚でございます」
迷いのない歩き方でございました。棚の前で二段目を引き、束をひとつ抜き、机に置いて紐を解く。そのあいだ一言も無駄なことを仰いません。
「ヴァイセル伯爵家の分でよろしゅうございますか」
「はい」
「三十八件、預かっております」
紙が机に広がりました。うちの控えと同じ字でございます。わたくしの字にヨナスの字が混じっております。
「預かりの初回は、七年前の九月十八日でございます」
「その日に、どなたがお持ちになったか、記録はございますか」
カイ様は、束のいちばん下から一枚を抜かれました。受取証でございます。
「ラウフェン商会、番頭ヨナス・ケラー様」
わたくしは、その名を見ておりました。
カイ様はこちらの様子には触れずに、次のことを仰いました。
「以後、月ごとに写しをお預かりしております。直近は先月の分まで。うちの帳面には、預かった日付と、件数と、合計額を控えてございます」
「合計は」
「先月末で、三十八件、金貨千二百八十枚でございます」
うちの控えと、一枚も違っておりません。
「あの、失礼ながら」
カイ様は、はじめて言い淀まれました。
「争いになっておりますか」
「なるかもしれません」
「でしたら、うちの写しに組合の証を打てます。証を打った写しは、家門の会でもそのまま通ります」
「打っていただけますか」
「本日中に。組合の帳簿方は、そのためにございますので」
午後、ボルグ様が組合へお見えになりました。
わたくしがお呼びしたわけではございません。ヴァイセル家の使いがうちの帳場を訪ね、わたくしが組合にいると聞いて追っていらしたのだと思います。
カイ様は、ボルグ様の前に二つの束を置かれました。
うちが今朝持参した控えの写しと、組合が七年前から預かっていた写しでございます。
「日付、件名、金額。三十八件のすべてが一致しております。うちの預かりは、当日か翌日の受付でございますので、後から書き足すことはできません」
ボルグ様は、一枚ずつご覧になりました。ずいぶん時間をおかけになりました。
最後の一枚まで見終えると、ボルグ様は束を揃えて机の上へ戻されました。
「モーゼル先生の書付は、取り下げます」
「よろしいのでございますか」
「贈与を主張するには、贈ったつもりであった証を、こちらが立てねばなりません」
ボルグ様は、わたくしのほうへ向き直られました。
「七年ぶん、当家には一枚もございません。そちらには二通ずつございます」
それから、深く一礼なさいました。
「お騒がせいたしました」
背筋の伸びた方でございました。
カイ様は、ボルグ様がお帰りになってから、証の判を出してこられました。木の柄の、思ったより小さな判でございます。
「三十八枚に打ちます。少しお待ちいただけますか」
「お手を煩わせます」
「いいえ。打つのは半刻ほどでございます」
カイ様は、一枚ずつ日付を確かめながら、判を押していかれました。三十八回でございます。同じ力で、同じ位置に押していかれました。
わたくしは、その音を聞いておりました。
七年のあいだ、わたくしが控えを綴じるときに立てていた音と、よく似ておりました。
帰り道、川の水が濁っておりました。上流で雨が降ったのだと思います。
帳場に戻ると、ヨナスが両替の台におりました。わたくしは受取証の写しを卓に置きました。
ヨナスはそれを見て算盤から手を離しました。
「ヨナス」
「はい」
「七年前の九月十八日に、組合へ写しを預けたのは、あなたでございますね」
「はい」
「父は、その年の春に亡くなっております」
「はい」
「では、決めたのは」
「わたしでございます」
ヨナスは算盤を袋にしまってから、こちらを向きました。
「お嬢様は、あの日、期日を書かずに控えを綴じられました。わたしはそれを見ておりました」
「はい」
「期日を書かない控えは、うちの帳場では控えではございません。ただの覚書でございます」
ヨナスはそこで一度、言葉を切りました。
「お嬢様は、返していただけると信じておられました。ですから、わたしが信じない役をいたしました」
わたくしは、しばらく何も申し上げられませんでした。
「勝手をいたしました。お叱りは、いつでもお受けいたします」
「……ヨナス」
「はい」
「合っております」
ヨナスは少しだけ目を細めました。それから算盤の袋の紐を結び直しました。
その日の夕方、うちの店の前に見慣れない馬車が停まりました。
降りてこられた方は名乗るより先に、こう仰いました。
「千六十枚、こちらで立てます」
第二話で、ミレーユがひとこと付け加えた「写しは、商業組合にもございます」。あの一行のために、八話ぶん黙っておりました。伏線というのは、置いた本人がいちばん我慢を強いられます。
そして、預けると決めたのは父ではなく、ヨナスでございました。「お嬢様は、返していただけると信じておられました。ですから、わたしが信じない役をいたしました」。七年、この人はずっと、二通目を取り続けていたのです。
その日の夕方、店の前に見慣れない馬車が停まります。千六十枚をこちらで立てる、という申し出——ただし、代わりに差し出していただくものがございます。第十一話「肩代わりのお申し出」。
——ブックマークと評価は、簿冊の背に貼る札の一枚に。字はヨナスが書きます。あの人のほうが、上手でございますので。




