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婚約解消、承知いたしました。立替金の期日は来月十日でございます 〜利息はいただきません。元本だけで足りなくなるはずですので〜  作者: 若槻すみか


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10/15

第10話 控えは、二通ございました

期日まで、あと十日。組合に預けてある控え、三十八件。

 商業組合の建物は、川沿いの通りの東の端にございます。石造りの二階建てで、一階が会所、二階が帳簿方でございます。


 帳簿方の部屋は、思っていたより狭うございました。壁が全部棚で、棚が全部簿冊でございます。奥に机が二つ並んでおりまして、若い方が一人、頁を繰っておいででした。


「七年前からの預かりのことで参りました。ラウフェンの者でございます」


 その方は顔を上げて、それから立ち上がられました。


「カイ・レンメルトと申します。ラウフェン様でしたら、九番の棚でございます」


 迷いのない歩き方でございました。棚の前で二段目を引き、束をひとつ抜き、机に置いて紐を解く。そのあいだ一言も無駄なことを仰いません。


「ヴァイセル伯爵家の分でよろしゅうございますか」


「はい」


「三十八件、預かっております」


 紙が机に広がりました。うちの控えと同じ字でございます。わたくしの字にヨナスの字が混じっております。


「預かりの初回は、七年前の九月十八日でございます」


「その日に、どなたがお持ちになったか、記録はございますか」


 カイ様は、束のいちばん下から一枚を抜かれました。受取証でございます。


「ラウフェン商会、番頭ヨナス・ケラー様」


 わたくしは、その名を見ておりました。


 カイ様はこちらの様子には触れずに、次のことを仰いました。


「以後、月ごとに写しをお預かりしております。直近は先月の分まで。うちの帳面には、預かった日付と、件数と、合計額を控えてございます」


「合計は」


「先月末で、三十八件、金貨千二百八十枚でございます」


 うちの控えと、一枚も違っておりません。


「あの、失礼ながら」


 カイ様は、はじめて言い淀まれました。


「争いになっておりますか」


「なるかもしれません」


「でしたら、うちの写しに組合の証を打てます。証を打った写しは、家門の会でもそのまま通ります」


「打っていただけますか」


「本日中に。組合の帳簿方は、そのためにございますので」


 午後、ボルグ様が組合へお見えになりました。


 わたくしがお呼びしたわけではございません。ヴァイセル家の使いがうちの帳場を訪ね、わたくしが組合にいると聞いて追っていらしたのだと思います。


 カイ様は、ボルグ様の前に二つの束を置かれました。


 うちが今朝持参した控えの写しと、組合が七年前から預かっていた写しでございます。


「日付、件名、金額。三十八件のすべてが一致しております。うちの預かりは、当日か翌日の受付でございますので、後から書き足すことはできません」


 ボルグ様は、一枚ずつご覧になりました。ずいぶん時間をおかけになりました。


 最後の一枚まで見終えると、ボルグ様は束を揃えて机の上へ戻されました。


「モーゼル先生の書付は、取り下げます」


「よろしいのでございますか」


「贈与を主張するには、贈ったつもりであった証を、こちらが立てねばなりません」


 ボルグ様は、わたくしのほうへ向き直られました。


「七年ぶん、当家には一枚もございません。そちらには二通ずつございます」


 それから、深く一礼なさいました。


「お騒がせいたしました」


 背筋の伸びた方でございました。


 カイ様は、ボルグ様がお帰りになってから、証の判を出してこられました。木の柄の、思ったより小さな判でございます。


「三十八枚に打ちます。少しお待ちいただけますか」


「お手を煩わせます」


「いいえ。打つのは半刻ほどでございます」


 カイ様は、一枚ずつ日付を確かめながら、判を押していかれました。三十八回でございます。同じ力で、同じ位置に押していかれました。


 わたくしは、その音を聞いておりました。


 七年のあいだ、わたくしが控えを綴じるときに立てていた音と、よく似ておりました。


 帰り道、川の水が濁っておりました。上流で雨が降ったのだと思います。


 帳場に戻ると、ヨナスが両替の台におりました。わたくしは受取証の写しを卓に置きました。


 ヨナスはそれを見て算盤から手を離しました。


「ヨナス」


「はい」


「七年前の九月十八日に、組合へ写しを預けたのは、あなたでございますね」


「はい」


「父は、その年の春に亡くなっております」


「はい」


「では、決めたのは」


「わたしでございます」


 ヨナスは算盤を袋にしまってから、こちらを向きました。


「お嬢様は、あの日、期日を書かずに控えを綴じられました。わたしはそれを見ておりました」


「はい」


「期日を書かない控えは、うちの帳場では控えではございません。ただの覚書でございます」


 ヨナスはそこで一度、言葉を切りました。


「お嬢様は、返していただけると信じておられました。ですから、わたしが信じない役をいたしました」


 わたくしは、しばらく何も申し上げられませんでした。


「勝手をいたしました。お叱りは、いつでもお受けいたします」


「……ヨナス」


「はい」


「合っております」


 ヨナスは少しだけ目を細めました。それから算盤の袋の紐を結び直しました。


 その日の夕方、うちの店の前に見慣れない馬車が停まりました。


 降りてこられた方は名乗るより先に、こう仰いました。


「千六十枚、こちらで立てます」

第二話で、ミレーユがひとこと付け加えた「写しは、商業組合にもございます」。あの一行のために、八話ぶん黙っておりました。伏線というのは、置いた本人がいちばん我慢を強いられます。


そして、預けると決めたのは父ではなく、ヨナスでございました。「お嬢様は、返していただけると信じておられました。ですから、わたしが信じない役をいたしました」。七年、この人はずっと、二通目を取り続けていたのです。


その日の夕方、店の前に見慣れない馬車が停まります。千六十枚をこちらで立てる、という申し出——ただし、代わりに差し出していただくものがございます。第十一話「肩代わりのお申し出」。


——ブックマークと評価は、簿冊の背に貼る札の一枚に。字はヨナスが書きます。あの人のほうが、上手でございますので。

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