雷帝
会議が終わった頃には、外は完全な雨になっていた。
屋敷の瓦を叩く雨音。
遠くで響く雷鳴。
重苦しい空気が、まだ胸に残っている。
「……疲れた」
広間を出た瞬間、思わず壁に手をつく。
凜がすぐ隣へ来た。
「お部屋へ戻られますか」
「そうしたい……けど」
頭の中に、地図が残っていた。
八つの国。
そして、その上にあった“何か”。
存在しているのに、誰も知らない印。
妙に引っかかる。
「……あれ、本当に誰も知らないのか」
歩きながら聞く。
凜は少しだけ黙った。
「少なくとも、公には」
「公には?」
「時継院が調査を続けているという噂はあります」
やっぱり、あの国は何か知っている。
そんな気がした。
「ですが」
凜が続ける。
「雷山家は、その件に深く関わってきませんでした」
「どうして」
「先代様が、“関わるべきではない”と判断されたためです」
先代――雷山鷲鷹。
戦場で雷そのものと恐れられた男。
その人物が避けたもの。
自然と背筋が冷えた。
その時だった。
「鷲津さま!」
廊下の向こうから声が響く。
若い下臣が、息を切らして走ってくる。
「どうした」
凜が前へ出る。
「西部村落より緊急報告です!」
その瞬間、空気が張り詰めた。
「……被害か」
下臣が顔を青くする。
「はい……」
嫌な沈黙。
「西部の霧葉村が襲撃を受けました」
まただ。
ユウキの胸が重くなる。
「生存者は」
「一名のみ確認されています」
空気が変わった。
今までと違う。
初めての生存者。
凜の目が鋭くなる。
「現在は?」
「保護しております。ただ……」
言い淀む。
「ただ?」
「錯乱状態で、“黒い人影が笑っていた”と……」
竹林の影。
脳裏にあの黒い存在が浮かぶ。
「……特臣を招集してください」
凜が即座に指示を出す。
「はっ!」
下臣が去っていく。
その時。
「へぇ、生き残りか」
軽い声。
ギンだった。
いつの間にか柱にもたれている。
「珍しいですね」
「ギン」
凜が眉をひそめる。
だがギンは気にせず続けた。
「今まで全部皆殺しでしたからね」
軽い口調なのに、
言葉だけが重い。
その後ろからラクサスも現れる。
「またかよ」
不機嫌そうに頭を掻く。
「最近多すぎんだろ」
ハンゾウも静かに姿を見せた。
「……嫌な流れだ」
空気が張り詰める。
その中で、
ギンがふとこちらを見た。
「鷲津さま」
「……何だ」
「行きます?」
一瞬、意味が分からなかった。
「どこに」
「霧葉村ですよ」
当然のように言う。
心臓が跳ねた。
行く?
現場に?
惨殺事件の?
「……いや」
思わず言葉が詰まる。
怖い。
普通に怖い。
人が死んでる場所なんて、
行きたくない。
だが。
全員の視線が集まる。
期待ではない。
確認だ。
雷山鷲津が、どう動くか。
逃げたい。
帰りたい。
胃が痛い。
呼吸が浅くなる。
その時だった。
「以前の鷲津さまなら、既に向かわれていたでしょうね」
凜が静かに言った。
悪意はない。
ただの事実。
だからこそ刺さる。
完璧な当主。
迷わず前線へ向かう男。
それが雷山鷲津。
「……っ」
胸の奥がざわつく。
比較されている。
違う。
分かってる。
でも。
逃げたくないとも思ってしまった。
前の人生では、
結局ずっと逃げ続けた。
休職して。
人を避けて。
未来から目を逸らして。
――また逃げるのか?
頭の奥で、そんな声が響く。
沈黙。
やがてユウキは、小さく息を吐いた。
「……行く」
自分でも驚くほど小さい声だった。
だが。
凜は静かに頷いた。
ギンが少し笑う。
「はい、雷帝さま」
その呼び名に、胸が重くなる。
雷帝。
そんな大層な人間じゃない。
ただの、
壊れかけた地方公務員だった男だ。
だが。
雨の向こうで、また雷が鳴った。
まるで。
その決断に応えるみたいに。




