八つの国
低い雷鳴が、遠くで響いていた。
空は厚い雲に覆われている。
湿った風。
重たい空気。
雷山領では珍しくない天候なのだろう。
だがユウキにとっては、その空気が妙に胸を圧迫した。
「……行きたくない」
思わず漏れた本音。
広間へ向かう渡り廊下。
隣を歩く凜は、いつも通り淡々としていた。
「本日は各地からの報告会議です」
「それが嫌なんだよ……」
会議。
その言葉だけで胃が重くなる。
前の職場でもそうだった。
視線が集まる空間。
発言を求められる時間。
間違えてはいけない空気。
逃げ場がない。
「……今から熱とか出ないかな」
「出ません」
即答だった。
「冷たいな……」
凜は少しだけこちらを見る。
「以前の鷲津さまなら、“会議で緊張する意味が分からない”と言われていました」
「……何なんだその完璧超人」
自然に返した瞬間。
凜がほんのわずかに目を細めた。
「否定はできません」
その言葉が、逆に胸へ刺さる。
完璧だった雷山鷲津。
歴代最高傑作。
若き雷帝。
雷山家の未来。
そんな男を、
今は自分が演じている。
いや――演じ切れてすらいない。
広間の前へ到着する。
障子越しに、既に複数人の声が聞こえていた。
「……はぁ」
深く息を吐く。
帰りたい。
だが、帰る場所がどこなのか、もう分からない。
凜が静かに障子を開いた。
「鷲津さまがお見えです」
瞬間。
空気が整う。
広間にいた全員が立ち上がった。
特臣のタカ、ギン、ラクサス、ハンゾウ。
さらに地方を任される家臣たち。
全員が当然のように、
“雷山鷲津”へ頭を下げる。
そこに疑いはない。
それが逆に苦しかった。
「……座ってくれ」
全員が一斉に腰を下ろす。
ユウキも正面の席へ座った。
広間中央には、大きな地図が広げられている。
「では、各地の報告を開始いたします」
タカが進行を始めた。
「北部山岳地帯にて雷獣の移動が活発化。現在、避難誘導を進めています」
「東部では豪雨による河川氾濫が二件」
「南部森林地帯では魔物出現数が増加」
報告が次々と続いていく。
その最中。
ユウキの視線は、中央の地図へ吸い寄せられていた。
巨大な一枚絵。
山脈と河川によって分断された広大な大陸。
イザイア大陸。
その各地に、異なる紋章が刻まれている。
【雷】
【火】
【水】
【風】
【土】
【光】
【闇】
【時】
八つの領域。
「……これ全部、国なのか」
思わず漏れた。
一瞬、広間が静まる。
しまった。
だが凜がすぐに口を開いた。
「記憶混濁の影響です」
空気が戻る。
タカが説明を続けた。
「イザイア大陸は、古来より八大属性国家によって統治されています」
地図中央を指差す。
「ここが我ら雷山家の治める雷山領」
山々に囲まれた中央地帯。
深い森林。
絶えず雷雲が漂う空。
険しい渓谷。
自然そのものが防壁となる土地だった。
「南西には火蓮家」
「東方沿岸部には水鏡家」
「西方草原地帯を風雅家」
「南部鉱山地帯を土護家が統治しています」
家臣が順に説明する。
そして。
空気が少し変わった。
「現在、大陸の均衡に最も強い影響力を持つのが――」
地図上部。
巨大な三領域。
「光聖家」
「闇影家」
「時継院」
その名が出た瞬間、
広間の空気がわずかに張り詰めた。
ギンが肩をすくめる。
「まあ、関わると面倒な連中ですね」
「ギン」
凜の声が冷える。
「事実じゃないですか」
軽く笑う。
だが誰も否定しない。
タカが続けた。
「光聖家は秩序と信仰を掲げ、大陸各地へ強い影響力を持っています」
「闇影家は諜報と裏取引を掌握」
「そして時継院は――」
そこで一瞬だけ言葉が止まる。
「未来観測と歴史管理を担っています」
未来観測。
その単語だけで妙な寒気がした。
その時だった。
ユウキの視線が、地図の最上部で止まる。
八つの紋章。
そのさらに上。
薄く、かすれたような印。
まるで削れた跡みたいな、
曖昧な紋章が存在していた。
「……これ、何だ?」
思わず指を向ける。
広間の視線が集まった。
「ああ」
ギンが軽く頷く。
「それ、昔からありますよ」
「昔から?」
「でも誰も知らないんですよね」
軽い調子。
だが内容は異様だった。
タカが静かに続ける。
「最古の地図にも存在しています」
「文献にも記録は残っておりません」
ハンゾウが低く言う。
ラクサスが鼻を鳴らした。
「気味悪ぃよな」
ユウキは地図を見る。
形は曖昧だ。
紋章なのか、
文字なのかも分からない。
だが妙に目を引く。
「時継院でも分からないのか?」
その瞬間。
空気が少しだけ静まった。
タカが答える。
「……時継院も、“記録に存在しない”としています」
「存在するのに?」
「はい」
妙な寒気がした。
存在している。
だが、誰も知らない。
まるで。
“世界そのものが忘れている”
みたいに。
凜だけが、静かに地図を見ていた。
「…………」
その横顔は、
ほんの少しだけ硬く見えた。
やがてタカが話を戻す。
「続いて、各村落襲撃事件について」
空気が変わった。
地図上に、赤い印が並べられる。
「ここ一ヶ月で七つの村が壊滅しています」
「死者数は推定三百二十七名」
静かな声。
だからこそ重い。
「生存者は確認されておりません」
広間が静まり返る。
「特徴は共通しています」
ハンゾウが低く言う。
「争った痕跡が少ない」
「一瞬で殺されてるんですよね」
ギンの軽さも消えていた。
タカが続ける。
「さらに、現場には黒い焼け跡が残されていました」
その瞬間。
竹林の影が脳裏をよぎる。
「……残滓か」
気付けば口にしていた。
全員の視線が向く。
だがそこに疑いはない。
むしろ。
「やはり鷲津さまも、そうお考えですか」
自然に、“雷山鷲津の見解”として受け止められる。
ユウキは曖昧に頷くしかなかった。
タカが地図を見る。
「問題は、襲撃地点です」
赤い印。
それらは徐々に雷都へ近づいていた。
まるで。
何かが、ここを目指しているみたいに。
静寂。
重苦しい空気。
その中でユウキはまだ知らない。
この異変が――
イザイア大陸全土を巻き込む災厄の前兆であることを。
そして。
“完璧だった雷山鷲津”が、
何故突然姿を消したのかを。




