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当主の朝

目が覚めたとき、しばらく自分がどこにいるのか分からなかった。


見慣れない天井。


木の梁。障子越しの柔らかい光。


……そうだ。


ここは雷山家の屋敷。


俺は――雷山鷲津、らしい。


「……最悪だ」


小さく呟く。


夢ならよかった。


だが、頬をつねると普通に痛い。


布団から起き上がると、すでに着替えが用意されていた。

黒を基調にした和装。触れただけで分かる、高級な生地。


「着るしか、ないか……」


ぎこちなく袖を通す。


鏡を見る。


そこに映っているのは、やっぱり“あの顔”だった。


昨日見た肖像画と同じ顔。


なのに、中身は俺だ。


「……ほんと、誰だよこれ」


コンコン、と控えめなノック。


「鷲津さま、よろしいでしょうか」


凜の声だ。


「あ、ああ……どうぞ」


障子が静かに開く。


「お目覚めのようで」


いつも通りの落ち着いた声。


「体調はいかがですか」


「……まあ、なんとか」


正直、最悪だけど。


凜は軽く頷いた。


「本日は、簡単なご挨拶と状況確認のみで結構です」


「挨拶……?」


嫌な予感しかしない。


「家臣たちと、最低限の顔合わせを」


やっぱりか。


胃が重くなる。


凜は続ける。


「また、民への顔出しも予定されております」


「は?」


思わず声が裏返る。


「今日、か?」


「はい」


即答だった。


逃げ場がない。


「……ちょっと待て。いきなり無理だろ」


「問題ありません」


凜は淡々と言う。


「鷲津さまは、元より民に慕われております」


その言葉が、重くのしかかる。


――慕われている。


つまり、


期待されている。


「……やっぱ無理だろ……」


思わず本音が漏れる。


凜は一瞬だけ視線を落とした。


「……では、最低限に留めましょう」


その“譲歩”に、少しだけ救われる。


「頼む……」


凜は軽く頷いた。


「では、お供いたします」


広間へ向かう廊下。


昨日と同じように、視線を感じる。


だが今日は、少し違った。


「おはようございます、鷲津さま」


すれ違う家臣が、頭を下げる。


その声には、明確な敬意があった。


「……お、おはよう」


ぎこちなく返す。


それだけで、相手は少し驚いた顔をした。


――あ、やばい。


何か違ったか?


凜が小さく囁く。


「問題ありません」


だが、その一言が逆に不安を煽る。


やがて広間へ入る。


すでに、特臣たちが揃っていた。


「おはようございます、鷲津さま」


タカが頭を下げる。


「昨日は失礼いたしました」


その隣で、ギンが欠伸をしていた。


「いやー朝早いっすね、鷲津さま」


「ギン」


凜の声。


「少しは緊張感を持ってください」


「持ってますって」


全然持ってなさそうだ。


だが、どこか空気を和らげているのも事実だった。


ラクサスは腕を組んだまま、ちらりとこちらを見る。


「で?」


一言。


「今日は何すんだ、鷲津」


呼び捨て。


だが昨日ほど気にならなかった。


むしろ――助かる。


「……えっと」


言葉に詰まる。


全員の視線が集まる。


まただ。


評価される場所。


逃げられない場所。


胸がざわつく。


その時。


外から、騒がしい声が聞こえた。


「……?」


ハンゾウがわずかに顔を上げる。


次の瞬間、障子が勢いよく開いた。


「報告!」


下臣らしき男が駆け込んでくる。


「屋敷外周にて、不審な影を確認!」


空気が一変する。


「数は?」


タカが即座に問う。


「……一体ですが、消失と出現を繰り返しており――」


昨日の“あれ”が、脳裏をよぎる。


凜の視線が鋭くなる。


「位置は」


「西側の竹林です!」


ハンゾウがすでに動いていた。


「……行く」


気配が消える。


ギンが立ち上がる。


「じゃ、俺も行きますか」


軽い調子だが、目は笑っていない。


ラクサスは舌打ちした。


「チッ、朝からかよ」


だが、そのまま歩き出す。


タカがこちらを見る。


「鷲津さま」


一瞬の間。


「ご指示を」


――来た。


当主としての判断。


頭が真っ白になる。


どうする。


どうすればいい。


その時、凜が一歩前に出た。


「当主様は後方にて状況を確認されます」


静かな声。


だが、全員が従う。


タカが頷いた。


「承知した」


ギンが肩越しに振り返る。


「無理しないでくださいよ、鷲津さま」


その言葉に、少しだけ息ができた。


気付けば、手が震えている。


それでも。


「……行く」


自分でも驚くほど小さな声だった。


それでも凜は、しっかりと頷いた。


「はい」


そして。


雷山家当主としての、最初の“実戦”が始まった。

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