闇
フィーネは息を止める。
「貴様は、ある宗教団体による政府要人の大量暗殺計画のために召喚された。
そして、召喚の儀式の日、中央が貴様への命令権を団体から奪った……
以前、そう話してくれたな?」
フィーネは握ったドルチェの手に頬を押し当てて頷く。
「ここからは、お前から聞いていない話だ。
その宗教団体は、召喚の儀式の後に、解散させられた。
でも、元信者の不穏な活動は止まらず、
公にはされなかったが、中央との攻防はずっと続いていた。
――そうだろう、フィーネ?」
今度は、フィーネは頷かず、固まっている。
「ああ、いいんだ。」
ドルチェは反対の手で、もじゃもじゃになったフィーネの赤い髪を優しく撫でた。
「お前が喋らなかったのがわざとじゃないのは分かっているよ。
そもそも、お前は何一つ悪くないじゃないか。」
手のひらから、ドルチェの溢れるような優しさがフィーネに伝わる。
フィーネは、頬に当てていたドルチェの手に唇を押し当てて、小さく頷いた。
「そして、十年前――
当時のダル・セーニョ首相の退陣が決まって、次の首相として候補に挙がったのが、
当時の副首相モレンドと、
首相補佐官だったオッターヴィオ・ドルチェ……
私の父だ。」
フィーネはハッとして顔を上げ、ドルチェを見る。
しかし、目に包帯を巻かれたドルチェを見た瞬間、唇を噛みしめて、
今度は、「聞いている」というように、ドルチェの手を自分の耳にすり寄せた。
「次期首相の選挙戦の途中で、モレンド副首相が暗殺された。
拳銃で撃ち抜いた犯人はすぐに捕まったが、
オッターヴィオに指示されたと警備隊に伝えた後、その場で自殺した。
そこからは、まあ……よくあることだ。」
フィーネはドルチェの手を両手で包む。
ドルチェは、前を向いたまま、ゆっくり話し続ける。
「世間は大喜び……」
ここで暗い笑いを漏らし、一瞬黙る。
「もとい、大騒ぎだ。
昼夜を問わず玄関の呼び鈴は鳴り続け、庭にはごみや糞や動物の死骸が投げ込まれる。
食べ物には本当に困った。
やはり乾燥したマカロニは、備蓄しておくべきだな?」
フィーネは勢いよく立ち上がり、
ドルチェの頭を抱き寄せる。
消毒液と包帯の匂いがツンと鼻をつく。
ドルチェは少しフィーネに寄りかかると、話を続ける。
「先におかしくなったのは母だ。
寝台から出ず風呂にも入らず、食事もとらない。
目が……怖かった。開いてるのに、私を見ていなくて、真っ暗で……
十二歳の私は、母の部屋に近づくこともできなかった。」
思い出したのか、ドルチェは身体をこわばらせた。
「ある日、父の叫び声が聞こえて、母が死んだのを知った。
――私は少しホッとしたんだ。重たいものが一つ外れた気がして……」
ドルチェは小さな声で呟いた。
「私に、うんざりするなよ……?」
「ハァ?馬鹿じゃねェの?バーカ……」
フィーネは、ドルチェの白髪に頬を擦り寄せる。
「聞き終わったらチューしてやるから、
ちゃんと話せ。」
ドルチェはフッと吐息を漏らすと、
また続ける。
「そうしたら、今度は、母を殺したのも父だなどと面白おかしく騒がれた。
身の潔白を訴え続けていた父も、味方を失い、精神を病んで家に閉じこもり始めた。
父親のせいで学校にも通えなくなった思春期の男子が、
普段は仕事仕事で会わなかったその父親と一日中過ごしたら、
どうなると思う?」
フィーネはわざと元気よく答える。
「罵って、無視して、呪う。」
「完璧だ。悪魔は出来が違う。」
二人は静かに笑い、フィーネは「何を言ってる!」と言うようにドルチェの鼻先をつつく。
「早く話せよ。なかなかチューできねェ!」
ドルチェはフィーネの顔を見上げた。
――いや、見上げようとして、首を上げたが、ただの真っ暗な闇だ。
――あの日のように。
ドルチェは一瞬うつむいたが、身を起こして、寝台から降りようとする。
「どうした?」
フィーネが慌てて支える。
「ここの病院には、最上階にテラスがあるそうだ。
そこに行く。
続きはそこで話そう。」
「行くって、オメェ、大丈夫か……」
全く聞く風もなく、ドルチェは立ち上がって歩き始める。
――ドアではなく、壁に向かって。
その姿を目にしたフィーネの心に、
ないはずの心臓に、無数の針が突き刺さる。
フィーネは、壁にぶつかる直前に、後ろからドルチェをギュッと抱き締めた。
「ヘッ!行こうぜ!抱っこするか?おん?」
「なあに、必要ない。」
そう言って、手を伸ばして、背筋を伸ばして、
傷だらけの身体で前に進もうとする。
「まあまあ、そうおっしゃらず、代行!」
フィーネは明るく言うと、ドルチェの手を取り、腰に手を回した。
次の瞬間、
「ま”!!」
とドルチェが妙な声を上げる。
――フィーネが、ニヤニヤしながらドルチェの尻を触っているのだ。
「いやぁ、さすがは代行、元中央のエリート高官。
よく鍛えておられる。
マカロニのようにプリッとして、
トマト煮込みの鶏肉のように肉厚で、
これはもう最高の触り心地……」
「やめろ!小役人!!」
包帯の下からでも分かるほど、ドルチェの頬に血が上っている。
「私は怪我をしているんだ!」
「ああ、そうでしたか……」
フィーネは、ドルチェの手を取り直した。
「では参りましょう、クソ代行殿。
一人で歩こうとしたらケツを揉みます。」
「クソ童貞!ケツを使われるのは貴様だ!!」
フィーネは、思わず横目でドルチェの身体の下の方を見る。
が、唾を飲み込むと、顔を赤らめたまま、ドルチェと歩き出した。
9月16日完結予定です。後半は恋愛描写も濃くなり、二人の身体的な関係も進展します。
『十二支の鼠の少年王は猫を愛したい』も連載中です。
全133話、完結まで執筆済み。毎日更新予定。




