失われた光
フィーネはドルチェに飛びついた。
ドルチェの服は破れ、髪は乱れ、傷だらけだ。
「生きてるか!」
「う……うう……」
ドルチェは死んでいない!
フィーネは、ドルチェを椅子に縛り付けている縄を短刀でぶち切り、
まだ、意識が朦朧としているドルチェを床にそっと横たえる。
傷はひどいが、命にかかわりそうな傷はなさそうだ。
ひとまずホッとして、声を掛けながら目隠しをとる。
「何があったんだ、ドル……」
次の瞬間、フィーネの顔は恐ろしいほど青ざめた。
言葉を全て失って、目隠しの下から現れたドルチェの目に、震えながら手を伸ばす。
「フィーネ……フィーネか……」
ドルチェは、弱々しくフィーネの手を掴んだ。
「今日は、定時よりも早く切り上げたんだ――貴様の鍋を取りに帰ろうと……」
(鍋返せよ!)
(絶対だかんな!!)
――自分の声が、耳にこだまする。
「今日は貴様の家に行けそうにない――」
フィーネは、何か言おうとしたが、声がかすれて出てこない。
ただ、ドルチェの手を強く握り返した。
「灯りをつけてくれないか?
――真っ暗で、貴様の顔が見られない。」
幾つも灯りが灯る明るい部屋の中で、
フィーネの顔を振り仰いで、
ドルチェは言う。
「貴様の美しい目を、早く見たい。」
フィーネの顔が大きく歪み、
青い目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
「なんだ、貴様、泣いているのか?
仕方ない小役人だな……
身体はちょっと痛いが、今から貴様の家に行ってやろうか。」
堪え切れずに、フィーネはドルチェの頭をもがくように抱き締める。
嗚咽が激しく漏れる。
「バ……馬鹿じゃ……ねェの?
テメェに必要なのは、チューじゃなくて注射だ。」
フィーネに抱き締められて少し微笑むドルチェの目。
――拷問で劇薬を垂らされたその眼球は、
――紫水晶のように美しかったその瞳は、
一切の色と光を失い、
真っ白になっていた。
***
フィーネはドルチェを抱えて馬に乗ると、全速力でヴィータ医師の病院に向かった。
ドルチェは、すぐに手術となった。
「少なくとも朝までは、ドルチェ様に会えませんし、
フィーネ様は、いったん病院からご退出ください。」
茫然と病院の外に出たフィーネは、夜空の月を振り仰いだ。
薄く雲がかかった朧月夜だ。
昨日は冴えわたる月光に照らされて、
ドルチェの美しい紫の目を見つめながら、熱い口づけを交わしたのだ。
唇が腫れ上がるほど。
一度固く目を瞑ったフィーネは馬に飛び乗り、すぐに走り出した。
許せねェ……
許せねェ……
許せねェ……
許せねェ……
誰が?
なぜ?
ここまで?
フィーネは、ドルチェの家に着くと、馬を飛び降り、
まだ部屋で気絶している隊員たちの髪を掴み上げる。
「ふ……副長。」
その瞬間にその隊員の顔を張り飛ばした。
目を開けたその他の隊員も、
フィーネの顔を見て血の気を失った。
「ハッ!
テメェらのようなゴミ人間ごときが、この終局の悪魔に逆らうか。」
フィーネが赤い髪を数本引き抜いたかと思うと、
その髪は幾本もの真っ赤な杭に変わる。
フィーネは、スゥッと目を細めた。
「残念ながら、俺には朝まで時間がある。
それまでに、副長に正確な報告をするか、
テメェらの人生が終局を迎えるか、
――俺と一緒に会議しようぜ。」
***
朝になり、フィーネは、走ったところを看護師に叱られ、
精一杯の早足でドルチェの病室に向かった。
病室のドアを開けると、ドルチェは、白い服を着せられ、
目に白い包帯をグルグル巻きにされていた。
その姿に、フィーネは全身を氷の矢で貫かれた気がして、立ちすくむ。
「フィーネか?」
枕の上のドルチェの顔が、フィーネの方を向いた。
フィーネは走り寄る。
「おう、俺だ。来てやった。」
「ハッ!会ってやってるんだ、貴様が感謝しろ。」
フィーネの顔が大きく歪む。
何かを言おうとした瞬間、投げ出すようにドルチェが言った。
「ああ、先に言っておくが、私は失明したようだ。」
フィーネは喉から溢れ出そうな言葉を抑えて、唇を噛む。
その代わりに、寝台脇の椅子に腰かけ、包帯を巻かれたドルチェの手を握る。
しばらく、二人は黙って手を握り合っていたが、
ドルチェが先に口を開いた。
「昨日は悪かったな。ファルファッレを無駄にした。」
「ファルファッレどころじゃねェ。
フライパンまで無駄になった。」
「貴様が勝手に買ったフライパンまで知るか。」
「テメェのせいだ。鍋を返さないから……」
声が震えたフィーネは、口をつぐんで、
ドルチェの手をギュッと強く握った。
「そうだな。さっさと返さないから、こんな目に遭った。
悪魔の呪いよりも鍋の方がよっぽど怖い。」
「ハ……ハハ……」
笑い声を出したつもりが、涙声になる。
フィーネは、握り締めたドルチェの手を顔にこすりつけた。
今、ドルチェへの溢れ出る想いを言葉に出来たなら、
どれほどドルチェを慰められただろう。
言葉に想いを込めて、今、ドルチェに与えられたなら。
「よく泣くなあ……」
ドルチェは笑いともため息ともつかない声を出して、
握られた手の指で、フィーネの鼻や頬をつつく。
フィーネはいよいよ嗚咽が止められない。
「フィーネ、耳だけ澄ませてくれ。
――ちゃんと話すから。」
泣く子を宥めるような優しい声で、ドルチェは呼び掛けた。
「十年前に、当時の副首相の暗殺事件があっただろう?
――私は、その容疑者の息子だ。」




