唇が触れる夜の庭
夜が更けて、走り続けるドルチェの目の先に、白い家が見えてくる。
林の奥の小さな庭には、リーリーと虫の声だけが響いている。
白い家の窓からはランプの光が漏れている。
ドルチェは息を整え、深呼吸をした。
「遅かったな。」
ふいに少し離れたところから声がする。
ハッとしたドルチェは、声の方向に急いで向かった。
「なかなかご婦人方に離してもらえなかったんだ。」
「ハッ!そのままお泊りしてこいよ、スケコマシ。」
フィーネは背中を向けて、ランタンの光の下で草むしりをしている。
ドルチェは隣にしゃがむと、一緒に草をむしり始めた。
「サンドイッチを買ってきた。今から……」
「なぜ、俺に、手を貸してほしいんだ。」
突然切り出されたフィーネの言葉に、ドルチェはピタリと手を止めた。
しかし、何も言わずに黙り込む。
「テメェは、今回、俺の調査に来るときに、
俺が悪魔で、【終局】の力があるってことを聞いたんだろ?
それで、俺を利用しようとした。」
フィーネはチラリとドルチェを見た。
「そうだな?」
ドルチェは引っこ抜いた雑草を土に押し付けながら、静かに呟く。
「そうだ。
――そうだった。」
今度はフィーネが手を止めた。
「――そう……だった?」
ドルチェは膝を抱えた。
「もう――いいんだ。
あのことは忘れてくれ。」
「なんだと?」
フィーネがにじり寄る。
青い目が暗がりの中で爛々と輝いている。
ドルチェはその美しい青い目を見つめて、静かに言う。
「私には、復讐したい人間がいる。
それに、貴様を利用しようと思ったんだ。」
「復讐……?」
「そうだ。人間なんざ、うんざりだろう?」
自嘲するように少し微笑むと、ドルチェはまた草をむしり始めた。
「でも、もういいんだ。忘れてくれ……」
「じゃあ、なぜここにいる!」
フィーネが声を荒げる。
「絶対に、走って帰ると、貴様に約束した。」
ドルチェはフィーネに向き直った。
「私は、誘いを全部断って、走って帰って、ここにいる。
今は……それで十分じゃないのか?」
虫の音に、苦しそうなフィーネの呼吸が混じる。
思わずドルチェは、フィーネを覗き込んだ。
「どうしたんだ――フィーネ?」
(何という優しい声で、俺の名を――悪魔の名を呼ぶんだ。)
フィーネは、顔を背けてまくし立てた。
「俺を調査しに来て、俺を利用する!
テメェはそういうクソ高官だ!」
「どうした?フィーネ。」
「なァ、そうだろうが!」
「フィーネ、フィーネ……」
ドルチェは、フィーネの頬を両手で挟む。
「私の方を向いてくれ、フィーネ。」
フィーネは顔を背けたまま、微かに震えている。
ドルチェは自分からフィーネに顔を寄せ、必死に囁く。
「どうしたんだ、フィーネ?
私が何かしたのか?
目を見せてくれ、頼むから……」
フィーネは、怯えたようにドルチェの方を向く。
顔と顔の距離があまりにも近くて、
ドルチェもフィーネも、耳の先まで紅潮していく。
唇の上に互いの息がかかる。
この熱い風を越えていいのか、
越えればどうなるのか、
越えたい衝動をどう抑えればいいのか、
相手は今、何を思っているのか、
自分は今、何を望んでいるのか、
二人は、熱っぽい目線を交錯させながら、
竜巻のように想いを滾らせる。
しかし、虫の音が一瞬ピタリと止んだとき、
風に舞うように、二人の唇が、ごく微かに触れ合った。
遠慮がちな視線が互いに届き、
その触れ合いを、互いが拒まないことを知らされる。
どちらからともなく、また唇がそっと触れ合い、そっと離れる。
掠めるように触れた後は、もっと強く。
またそっと唇を触れ合わせては、視線を絡める。
――互いの許しを乞うように。
――互いの求めを確かめるように。
とうとう、ドルチェの中の理性が全て崩れ落ちた。
ドルチェは、フィーネの身体に腕を回すと、
フィーネの冷たい唇を吸い取るように、熱い口づけを始めた。
「ドルチェ……」
微かに名を呼ぶフィーネの声が、
ドルチェをさらに理性の外に押し流す。
こんなにも夢中になったことが、
これまであっただろうか。
相手は、
背が高く、
強靭な肉体を持ち、
はねっ返りで、
口が悪くて、
股間を平気で蹴る、
男だ。
――でも、もう、何でもいい。
この男との、この一瞬を、続けられるのなら、
私は、私の全てを、
――差し出せる。
完結済長編『神鼠の大王は猫を愛せない―僕を食べようとする猫の少女に恋をした』も公開しています。
https://ncode.syosetu.com/n3214mc/




