レジェロの所長印
「テメェ!居候ならちゃんと起こせよ!」
「うるさい!私のネクタイはどこに置いた!」
「知るか!お巡りさんに聞けよ!」
翌朝、林の奥の白い家は、喧騒に包まれていた。
二人で寝坊した罪を擦り付け合っている。
「飯食ってる場合じゃねェ!オラ行くぞ!!」
二人で朝の道を走り出す。
「今日はセレモニーに出席する日なんだぞ!バカタレ!」
「バーカ!バーカ!」
「穴に埋めるぞ!」
「でべそ!」
「チビ!」
「ハァ!?同じだろ!」
「何㎝だ?」
「185!」
「187!」
「アァ―――!チクショ――!」
二人の男は罵り合いながら、
颯爽と朝の道を走っていく。
道行く人々は思わず立ち止まり、振り返り、
散歩中の老婆は手を合わせて拝む始末だった。
***
「いやいや、仕事中にすまないね。
でも、こういうことは早く話さないとね?」
ここは所長室。
レジェロ所長の第一声に、フィーネの目がギラギラと輝く。
「君が悪いとは言っていない――
まあ、君が魅力的だから、やっぱり君が悪いのかな?」
唇を噛みしめて、青い目でまっすぐ睨みつけるフィーネを見て、レジェロは肩をすくめた。
「やれやれ、そういうところだ、カーポ君。
どんなに隠しても、魅力が漏れてしまう。」
「別に隠してねェし、魅力的でもねェ。」
「しかし、官僚の王子様はすっかり君に首ったけだ。」
「なんだと?誰の……」
「それ、聞いちゃう?」
フィーネは目を見開いた。
「首ったけじゃねェ。アイツは俺を利……管理しているだけだ。」
フィーネはとっさに、ドルチェが自分の力を貸してほしいと言ったことを隠した。
ドルチェのあの話は、中央高官たちがフィーネを利用していることとは違う気がするのだ。
レジェロは、すべすべした木製の大きな所長印を手の中で回しながら、
フィーネをじっと見た。
「管理するにしては、仲がいいね?
――とても、親密じゃないの。」
フィーネはギリギリと歯ぎしりをする。
「いいだろう……俺だって……ゆ、ゆう、友人くらい……」
「友人ねぇ。」
所長印をコトリと机に置くと、レジェロは葉巻に火を付けた。
「まあ、その前にクララだ。
本当なら、君はまた別の町に異動だ。
――無意識の【終局】が発動されたんだからね。」
怒りの余りにフィーネの赤い髪が逆立っている。
「全く、困ったもんだ。
今は色々と事件があるし、君にはこのアマデウス州にいてほしいんだ。
それなのに、この州のうるさい困ったちゃんたちが、
中央にまで、君のことを騒音公害だのなんだの陳情するもんだから……」
「形だけ、高官を……ドルチェを調査に派遣したってことか。」
「そうそう。王子様は、真面目に調査してるけど、
王子様がバッテンつけても、上ではきちんとハナマルになるっていう筋書きさあ。
――いつもどおりの。」
レジェロ所長は葉巻をくわえたまま頭を掻く。
「それが、クララちゃんが恋に落ちちゃって、線路に身投げしちゃって……」
「舐めやがって……」
「こりゃやっぱり異動かなって、ハンコを拭いてたら、
なんとびっくり。
クララちゃんが生きていた。しかも。」
ゆっくりと煙を吐きながら、レジェロは目を細める。
「王子様のご活躍でねえ。
こんなどんでん返し、今まであった?」
「何が言いたいんだ、クソ狸。」
「君はもうしばらくここだ。それを伝えたいだけ。」
「――命令か?」
「もちろん。」
気軽な言葉と同時に、レジェロは立ち上がり、
所長印の蓋をカチリと開ける。
グググググ……
不穏な震動が部屋に満ちる。
次の瞬間、レジェロは、机の中央にドンと音を立てて印鑑を叩きつけた。
そこから一気に魔法陣が広がり、フィーネを囲む。
「フィーネ・ダ・カーポ
終局の悪魔よ
惑いし人間の生還により
この地に留まれ
次の命が下るまで――」
魔法陣はフィーネの心臓……中には何もない左胸の奇怪な模様に入り込む。
フィーネはガクリと膝をついた。
と、急に部屋が静かになり、もとの明るい午前の光が戻って来た。
レジェロは、激しく息を切らしているフィーネのそばを軽やかに通り抜けた。
「待て……
――ドルチェはどこまで知っている。」
「ほとんど知らないんじゃない?
――でも、君の存在を知ってるだけで、まあ、随分と知り過ぎているけどねえ?」
立ち去ろうとするレジェロに、フィーネは叩きつけた。
「ドルチェを消したら、死んでも手は貸さねェぞ!」
レジェロはニヤリと笑うと、手を振って部屋を出た。
その顔を見たフィーネは、茫然とした。
(まさか……アイツら、本当にドルチェを?)
俺の目を美しいと言う、
美しい顔、
美しい背中、
美しい手、
美しい瞳、
美しい寝顔、
――滑らかな頬。
(まさか……まさか……)
顔面蒼白になったフィーネは、転がるように所長室を走り出た。




