第九話:君だけを選んでいた
彼女は護衛騎士だった。私の命を救ってくれたあの護衛騎士だ。
そんな彼女になんて失礼な対応をしていたのかと、顔を思い出すたびに悔いる日々を送っていた。
さらに言うと、協力者となってくれた妻に対して恋慕の情が大きく育っている。
輿入れした日から美しい人だと見惚れたというのに……。
教養もあり、強くもある。
非の打ち所がない彼女が私の心を占領していくのには時間がかからなかった。
あの令嬢への想いは、いつしか終わっていたのだろう。今となっては、それもただの初恋に過ぎない。
会いたいという思いも薄れ、彼女のことは思い出の品と共に、いつの間にか片隅へとしまわれている。
目の前にいる妻を大切にしたいと思い始めたのだが、いかんせん、初動が悪すぎた。
なぜか騎士の服を着ている妻がいる。彼女の部屋着であるかのように、当たり前に着こなしている。
「リュシエンヌ、なぜそのような格好で過ごすのだ?君は公爵夫人だが?」
それにはきょとんとした顔であっさりと返してきた。
「公爵様をお守りするのが最優先ですし、あのような格好は私には似合いませんから」
どこをどう捉えたのか。彼女が当初妻に選ばれた理由は異なったものの、結果的には自分は護衛要因だと考えているのか。
「そんなことはない。君はどんな姿でも麗しいが?それと、君は妻だ。私のことは名前で呼んでくれて良い」
そう、リュシエンヌは妻であって、公爵夫人だ。着飾った彼女も美しかったし、正直なところその姿を数回しか見かけていない。何より、旦那様ならまだしも、公爵様って他人行儀だ。
「その必要はございませんでしょう?夫婦生活は送らないとのことだったではないですか。なぜ西棟にいらっしゃるのです?私は自由に過ごしているだけですから、お気になさらず」
返す言葉が出なかった。彼女の言葉は私が取り決めとばかりに手紙に認め、初日に彼女に読ませた内容だったからだ。
彼女はそれを律儀に守っている。破る気も、白紙にする気も無さそうだった。
(自分で蒔いた種か……)
さらに自分に不利に働く文言があったことを、この時の私はすっかり忘れていた。
翌日からは、ジェラールとして彼女に会いにいった。
「奥様、本日はこちらをお召しになりませんか?」
「ですから、こちらの方が動きやすいと申し上げてますでしょう?」
この日も変わらず騎士服をきている彼女に、違う方向からアピールした。
「ですが、主不在の屋敷というのもおかしな話ですから、女主人として威厳を……」
「私は、公爵夫人としての役割は必要ないと言われてますから、その必要もございません」
「……」
彼女の方が一枚も二枚も上手だ。さらには過去の自分の言葉が重なり私を潰していく。
「それから、あなたは当主なのですから、私に対してそのような話し方をするのはやめてくださいますか?」
「いえ、今はジェラールですので……」
「はぁ」
彼女はあからさまにため息をついた。
「そう毎日毎日こちらにお越しにならなくて結構ですよ。お仕事が滞りませんか?」
「いえ、ロランがおりますから」
「……、それって、今彼が一人でしているということでしょうか?」
少し声音が低くなったか。
「私がこちらに来る時間を調整してくれているのです」
とにかく問題ないと告げる。
「……!なんてことでしょう。私が配慮足りませんでしたね」
「はい?」
「公爵様の護衛をしなければなりませんでしたのに別の棟にいては務まりませんですもの。私から東棟に足を運ぶべきでした。申し訳ございません」
「ち、違う!そういう意味では……」
思わず口調が崩れた。
「違うのですか?」
「君にそんなことをさせるつもりはない」
「でしたら、どのように貴方をお守りしたらいいのかしら……」
どうあっても私を守る考えでいるらしい。
だが、私が大切だと言われているようで、心の端で喜びが燻っている。
「一緒にいた方が有事の際に、身を差し出すことも出来ますのに……」
(な! 何を言い出す!? リュシエンヌ!!)
燻っていた感情はすぐに火消しされ、恐怖の黒で支配された。
「そ、そんなことさせられません! わかりました、東棟に戻りますから!」
こちらが折れるしかない。
「……あ! 私に名案が。変装すれば良いのですわ」
(今度は、なんだ?)
「少しばかり背が足りませんが、公爵様に扮装すれば囮になれますでしょう? 別の棟で暮らす意味もあるってものですわ。いっそのこと髪も切りましょうか?」
(か、勘弁してくれ!)
「リュ、リュシエンヌ! それはダメだ! 別の棟で過ごすから、頼むからそのままでいてくれ」
私は、騎士服姿を許可し、公爵夫人として過ごす彼女の姿を目撃することはお預けとなってしまった。
「しばらく奥様にお会いなさってないようですが、いかがなさったのですか?」
「ロラン……」
私はことの成り行きを説明した。
「そ、それは……。責任感のお強い方ですね……」
「私も、そもそも別の棟で暮らすことは彼女を守るためでもあったことを失念していた」
彼女に会いたい、それだけが私に占めていたのだ。
「それでまた以前の暮らしに戻っていると……」
ロランは書類を整えると、席を外しますと部屋を出ていった。
ふと、足元にハンカチが落ちていることに気がついた。
(これって……)
(あっ!?)
拾い上げたものは私が大切にしていたものだった。
慌ててしまっていたはずの引き出しを開ける。
するとそこには、全く同じ刺繍の施された、同じハンカチがきちんと仕舞われていた。
「……え?」
自分の宝物は大切に仕舞われたままだった。
これは、私を助けてくれた令嬢が、私の傷に当ててくれたもの。おそらく、令嬢のイニシャルの入った、あの日の彼女のハンカチだ。
そっと引き出しを閉めると、今しがた拾ったハンカチをまじまじと眺めた。
(まったく同じだ……)
もう何度見たことか。癖のあるイニシャルの刺繍の形ははっきりと覚えている。
「あ、そこにありましたか。よかったぁ。旦那様、拾ってくださりありがとうございます」
ロランの声にはっと顔を上げる。
「お前のか?」
「はい。奥様に刺していただいたんですよ」
「リュシエンヌに?」
「はい。刺繍をお勧めしたところ、お渡しする相手がいないと仰るので、では私にとお願いしたのです」
「相手がいない?私がいるではないか」
「私もそうお伝えしたんですがね」
彼女が私に刺すことを拒否したということだろうか。
だが、次に告げられた言葉に、私は言葉を失った。
「しかし、旦那様からの愛を望まないよう奥様にお伝えなさったのをお忘れですか?」
立ち尽くす私を置いて、ロランはハンカチを手に再び部屋を出ていった。
なぜ、気付かなかったのだろう。
今思えば私の心に残る人物は、いつも彼女だったのだ。
強い意志を持った瞳の令嬢も、
凛とした美しい背中の騎士も、
切れ長で妖艶な瞳が麗しい私の妻も──
──全て、リュシエンヌだった。
全てが繋がったとき、やってきたのは喜びではなく後悔だった。
忘れていた。
私から拒絶したのだ。
それも、文書ではっきりと。
愛を望むなと……。
であれば、あの信義を貫く彼女が、私に愛を望むことはない。
(俺は……、なんてことを……)
私が愛の真実を知ったとき、その愛は交わることがないという事実に、私の世界からは、急激に色が消え失せていった。
もはや、一歩も動けなかった。




