第十話:努力とその結果
「皆様には近隣五か国語を学んでいただきます。会話だけでなく、読み書きも」
一同、息を呑んだ。
「あの、母国語以外に共通語だけでは不十分なのでしょうか?」
ヴィオレットは皆の顔色を見つつ、代表し質問する。
「はい。意思疎通に行き違いが生じるのを防ぐためでございます。王太子殿下の横に立つのですから、それくらいはこなしていただきます」
(取りこぼしがないようにということかしら……)
リュシエンヌは気を引き締め、語学を学ぶ。
公爵令嬢たちは日常会話であれば問題なくこなしていた。基礎ができているようだった。
(まずは追いつかないと……)
単語すらわからない。辞書をめくり文書とにらめっこする日々。
空いている時間があれば図書室へ足を運び、近隣諸国の原書も読み漁った。
隣にはマリレーヌがいる。
「一緒に頑張りましょうね、リュシエンヌ様」
マリレーヌは笑顔で話しかける。
「ええ、マリレーヌ様」
リュシエンヌも同じく笑顔を返した。
心強かった。同じ伯爵家出身ということもあり、リュシエンヌは自然とマリレーヌと行動を共にするようになった。
「皆様には本国の歴史及び近隣諸国の歴史も学んでいただきます」
一同、目を見開いた。
「あの、近隣諸国の歴史を学ぶ意味を教えていただけますか?」
ヴィオレットが質問する。
このころには、ヴィオレットが五人の代表を務めるようになった。
いつも冷静な筆頭公爵令嬢であるヴィオレットは、お立場の上でも適任であった。
「その国が成り立ち、歩んできた背景を知れば、おのずとその国民の考え方を学ぶことに繋がります。文化や人柄まで把握し理解することは、諍いが起きにくくなりますから。王太子殿下のお側にいなければなりませんから、妃は先んじてお守りする必要がございます」
(互いに尊重し合い国交につなげるってことなのかしら?君主を守る方法もいろいろなのね……)
リュシエンヌは戦記物の物語が好きだったこともあり、意欲的に取り組んだ。
この頃には歴史書も辞書を使わずして読めるようになった。
図書室ではこの日もマリレーヌが隣に座る。
「ここに出てくる茶葉って、今もあちらの国の特産品ですわよね」
マリレーヌが語る。
「そうなのですか?」
交易に疎かったリュシエンヌは首を傾げた。
「ええ。私、お茶が好きなんです。それで、我が家では各国の特産茶葉を仕入れていましたの。あちらの国の茶葉の輸入方法は少し複雑ですの。我が家は伝手があるので、手に入りますが……」
「そうでしたの……」
マリレーヌが教えてくれた情報を、片隅に書き記す。
(知識だけが全てではない。経験すらも知識になり得るのね……)
リュシエンヌはこれまで何かしてきただろうかと考える。
ただ貴族令嬢として何気ない日々を過ごしていただけだったと気づいた。
(これからは、すべてに意識し過ごしてみよう)
隣にいるマリレーヌから学んだ。マリレーヌの穏やかな横顔を見つめた。
自室として宛がわれた部屋と講堂、そして図書室を往復する日々を送っていた。
そんなある日、リュシエンヌは見知らぬ少年を見かけた。
(もしかして……あの方が王太子様?)
背丈は自分より少し大きいだろうか。その立ち姿も横顔も美しい。
しばらく見ていると、いつの間にかシルヴェーヌが後ろに立っていた。
「あの方は、アルナルディ公爵様ですわ」
「!」
気配も感じなかったリュシエンヌはその声に驚いた。
慌てて振り向く。
「あの方をご存じなのですか?」
「私も先ほど知ったばかりですの。王太子殿下なのかと思いましてお声掛けしましたら、ヴィルジール・アルナルディ公爵様だと教えていただきました。失礼なことをしてしまったと慌てましたわ」
──ヴィルジール・アルナルディ
その名前は、教育中に出てきた名前だった。
王太子殿下に次ぐ王位継承権を持つ、貴公子である。
「とてもお美しいですわね。王太子殿下もお美しいのかしら?」
シルヴェーヌはふわっと微笑むと、「さあ行きましょう」とリュシエンヌの手を引き、歩き出した。
リュシエンヌはちらりと振り返る。その視線の先の少年の姿は妙に心に残った。
「本日は刺繍を施していただきます。こちらは皆さま嗜んでおられますか?」
刺繍は貴婦人の嗜みだった。五人とも貴族教育で習得済みだった。
「お手並みを拝見したいと存じます。皆さま、ご自身のイニシャルを刺繍していただけますか?」
持参した裁縫道具を並べる。
すると、エロイーズが提案した。
「みなさん、お好きな色はございますか? よろしければお一つずつ差し上げますわ」
侯爵家の事業の一つで、貴重な色の刺繍糸が手に入るのだという。
「まあ、素敵!」
「こちらは個人的にお取引もできるのですか?」
「ええ、可能ですわ。この特別なご縁に、今後皆様には特別価格で提供いたしますわ」
(エロイーズ様はすごいです。この場ですら商機と捉えているわ)
この場でも商売をするエロイーズの逞しさに、リュシエンヌは感心した。
「では、私はこの色にしますわ」
「私はこちらをいただきます」
エロイーズにもらった糸で刺繍をする。
密度の濃い妃教育だったが、互いに切磋琢磨し、この教育を乗り切っていった。
(私もいつかこの刺繍をお渡しする日がくるのね……)
リュシエンヌは一針一針丁寧に刺していった。
「では、皆様には護身術を習得していただきます」
一同きょとんとしている。
「あの、護衛騎士さまがいらっしゃいますが……」
いつものごとくヴィオレットが聞き返す。
「もちろんでございます。ですが、護衛騎士は必ずしも貴女方をお守りできるとは限りません。予期せぬ事態でお近くにいなかったら? その間ご自身で身を守っていただく必要がございます。では、もし、そこがお二人の寝室でしたら? 妃が王太子殿下をお守りしなければなりません」
一同コクリと頷いた。
(すべては、王太子殿下を支え、お守りするために存在するということね)
リュシエンヌは気を引き締めた。
護身術の授業が始まった。
この授業で才能を開花させたのが、リュシエンヌだった。
「リュシエンヌ様は背が高くいらっしゃるから、大人に対抗できますわね」
「その長い手足は、それだけでも武器ですわ」
十二歳になったリュシエンヌは、成長期も相まってぐんと背が伸びた。
他の四人よりも頭一つ分は優に超えている。
それだけではなく、運動神経がずば抜けていた。
「リュシエンヌ様は反応がよろしいですね。まるで騎士のようです。剣技も習われますか?」
思わず指導官からも感嘆が漏れた。
(私に、向いている? 適性があるのかしら……)
「あの、でしたら、短剣から教えていただいてもよろしいですか?」
予定になかった技術の習得まで行うことになった。
リュシエンヌはそれこそ取りこぼしのないように、どの分野も極めていった。
(私の頑張りが、王太子殿下をお守りすることに繋がるのだから……)
そう信じて疑わなかった。
全ての課程を修了した五人の令嬢は、初めて王太子と面通しすることになった。
両陛下も見守る中、玉座の横に腰かけた王太子は令嬢らを一瞥する。
すると、席を立ち並ぶ令嬢らの前に来た。
ゆっくりと五人の前を歩き、足を止めた。
そして、リュシエンヌを見上げて指をさした。
わずかにその指が跳ねる。
「うん、君はないな」
「……は?」
リュシエンヌは唖然とした。
「背が高すぎる」
一同が言葉を失った。
その後のことは記憶にない。
リュシエンヌは誘導されるがまま帰り支度を整え、王宮を後にした。




