第十一話:導かれた守護の道
(私のこの二年、なんだったの……)
屋敷に戻る道を馬車に揺られながら、リュシエンヌは呆けていた。
(背が高すぎる? たったそれだけ?)
たったそれだけの理由で、この二年の努力は見向きもされずに否定された。
リュシエンヌはゆっくりと窓の外を眺める。
すると、一台の馬車が走り抜けていく。
(あの紋章……)
豪華な馬車は貴族のものの中でも高貴なデザインであった。
そして、そこに描かれていたのは、アルナルディ公爵家の家紋であった。
馬車が向かった先は、貧民街だ。
貴族が向かうには相応しくない。
「ねえ! あの馬車を追って! 向かう方向がおかしいと思うの!」
リュシエンヌは御者に指示した。
追いつくが、馬車が乗り捨てられている。
中の人は見当たらない。
(どこにいらっしゃるの?)
辺りを見渡してみれば、暗がりに人影が見えた。
(あそこだわ!)
帰路を安全に帰るために付き添ってくれている護衛騎士と共に向かう。
野党は護衛騎士により追い払い、リュシエンヌは少年に近づいた。
「ご無事ですか? 良かった」
やはり、襲われていたのはヴィルジール・アルナルディ公爵だった。
彼の傷を、持っていたハンカチで手当てする。
「ここは、貧民街です。このような馬車で通るのは相応しくありません。次からは地味な馬車を利用したほうがよろしいかと。それから、紋章は外しましょう」
リュシエンヌはこの先を安全に帰宅するために整えていく。
「お付きの者はいらっしゃらないのですか?」
「……あ、ああ」
「では、安全な道まで出ましたら、彼をお連れになってください」
護衛騎士に目配せすると、彼も同意してくれた。
「し、しかし、それでは君が……」
「私は大丈夫です。あの、無礼を承知で申し上げます。ご自身の身は、ご自身でお守りできるようにされた方がよろしいかと」
「自分で守る……」
「はい。では、戻りましょう。もう日が暮れます」
(ご無事でよかった。少しでも学んだことが活かされたわ……)
護身する。その知識を公爵に伝授する。
リュシエンヌは一つの命を守った誇りを胸に、帰路へとついた。
ギルメット伯爵は一部始終を把握すると、「そうか」と受け入れた。
納得せざるを得なかった。
リュシエンヌの成長は明らかだったからだ。
しかし、リュシエンヌが得たものは大きい。貴族令嬢としては、申し分ない教育を受けている。王太子妃候補になっていたことは極秘に進められていたことであり、今リュシエンヌは十二歳。まだまだ新しい縁談を十分に用意できる。
そこでギルメット伯爵は、一つの婚約を用意した。家格も同等である伯爵家嫡男との婚約だった。
しかし、徐々に陰りを見せ始める。
婚約者はリュシエンヌのことを快く思わなかった。
リュシエンヌは助言を重ねたが、そのたびに煙たがられた。
「貴族ですし伯爵家の跡取りですから、『俺』ではなく、『私』に直された方がよろしいかと」
「俺の方が言いやすいんだよ。周りだって俺を使っている奴らが多い」
「しかし、ご友人らは騎士団に所属されている方が多いとお聞きしました。貴方は文官を目指していらっしゃいましたよね?」
「騎士団にいる友人が悪いと言いたいのか?」
「そういったことではございません」
「言葉遣いくらいで俺の価値は下がらないんだよ、あれこれうるさいな」
「跡取りとして把握された方がよろしいかと思いますが?」
「何をだよ」
「領地経営についてです。自領のことをどこまで把握されていますか?こちらの収入を得るためにどれだけの労力が必要かご理解されていますか?そもそもこの宝飾品は何のために購入されたのです?」
「なんだっていいだろう?伯爵家の金なんだから。お前じゃなくて俺の為に使うの!」
「私は奥様から花嫁修業として学ばせていただいているところです。私もこちらについて学び把握を始めているのですよ。貴方が継がれるのですから、もう少し理解を深められた方が……」
「はいはい、お小言が多いことで……」
会うたびに不機嫌になり、顔を合わせる機会は減っていった。
そして、リュシエンヌのデビュタントがやってくる。
何を思ったかこの婚約者は公開婚約破棄を告げた。
「こんな上から目線の暴力女は願い下げだ。かわいげもない。ふっ、女装令嬢が。ドレスが似合わないな」
リュシエンヌは何も言えなかった。
「ふふっ、あなたがいつも仰ってましたものね……本当に大きいんですのね」
彼の腕には、小さく可愛らしい令嬢が絡みついている。
(ああ、またか……)
彼を支えようと努めたつもりだった。
伯爵家の嫡男としての振る舞いについて進言したり、自領について知り、領民にも目を向けるべきだと話したこともあった。自分の為の消費が多かったため、お金の使い方にも助言したが、不機嫌に目を逸らされるだけだった。
ある時は逆上した婚約者に殴られそうになったのを、身につけた護身術で己の身を守ったことがある。
(暴力女って……)
リュシエンヌは、半ば呆れてその場を後にした。
そして、ギルメット伯爵令嬢として社交場には二度と姿を現すことはなかった。
「んな、ど、どうした⁉ その髪は⁉」
ギルメット伯爵は、髪が短く切られ、まるで青年のようなリュシエンヌを見て、腰を抜かした。
「お父様。私、騎士になろうと思います」
「何を言い出すかと思えば……。いや、今回のこともショックだったことは理解できよう。だが、そんな男のすることを……」
「どうやら、ドレスよりこちらの方が周囲には受け入れられるようですし……」
ギルメット伯爵はリュシエンヌを上から下まで見やるが、正直なところ納得してしまっていた。視線の高さは同じであった。
「とはいえ、君は女性だ。貴族令嬢なんだ。そんな事せんでも……」
「ですが、ああなった以上、伯爵令嬢としての格は落ちたと思います。前回とは状況が異なりますから。私は、私が出来ることで、役に立ちたいと思うのです。さもなくば、修道院にでも行きましょうか?」
伯爵も理解はしていた。リュシエンヌを求める声がないことを。
社交界では傲慢令嬢と虚偽の噂が出回り、収集がつかなくなっていた。
「だが、なぜ騎士なんだ?」
「体を動かすことが性に合っております。また身体特徴も活かせますし。王太子妃教育では、護身術の才能をほめていただけましたし、剣術まで習わせてもらえました。この髪が元の長さになる頃には、トップクラスの騎士になると宣言いたします」
揺るぎない決意に、ギルメット伯爵は頷くしかなかった。
有言実行とはこのことだろう。
リュシエンヌは、その名をリュシアンとして、男性に交じって鍛錬に励み、数年後にはその実力と見目も相まって近衛騎士団に選抜された。
そして、その頃、王太子殿下とマリレーヌの結婚が発表された。
「リュシアン、君の配属先は、王太子妃殿下の護衛騎士だ」
「マリレーヌ様の?」
「妃殿下直々のご指名だそうだ」
十二歳の時の別れから、かれこれ六年の年月が経っていた。
「久しぶりね、リュシエンヌ。元気にしてましたか?」
マリレーヌのその表情からは、感情がわからなかった。
「マリレーヌ様……いえ、妃殿下。ご無沙汰しております」
マリレーヌはフルフルと首を振る。
「いいの。二人きりの時は、あの頃のように過ごしましょう」
マリレーヌはリュシエンヌの手を取る。
「私はあの中で最も未熟だったと思っているの。だから、貴女に支えてもらえると嬉しいわ」
能力も、精神的にもとマリレーヌは添えた。
マリレーヌの指名は、リュシエンヌへの救援要請だったのだ。
リュシエンヌは、必要とされたことが嬉しくて、胸が熱くなった。
「全力で、貴女をお守りし、そして支えます。貴女に忠誠を誓います」
この日、王太子妃護衛騎士リュシアンが誕生した。
それから、王太子妃殿下マリレーヌの後ろは騎士リュシアンの定位置となった。
立ち姿も美しく、王家の側仕えに相応しい。
公式行事では誰よりも目を引いた存在になった。
「今日も麗しいですわね。妃殿下の騎士様」
「先日も不審者を取り押さえたとお聞きしましたわ」
「え? 不審者って、王太子殿下が襲われたとお聞きしましたわよ」
「ええ。その不審者を、妃殿下の護衛の騎士様が対処したそうですわ」
その漏れ聞こえる会話に、マリレーヌは誇らしげな笑みを浮かべていた。
「楽しそうですね、妃殿下」
「貴女が褒められているのよ。嬉しいに決まっているわ。それに、貴女を見初めたのは私よ。まるで私が評価されてるみたいだわ」
「妃殿下が素晴らしいのですよ」
この頃には、マリレーヌの側に仕えているのが、リュシエンヌにとって天職だとさえ思っていた。
ふと視線を上げると、そこには、凛とした背筋が美しい青年の姿があった
。
(あの方は……)
「あら、今日は幻の貴公子様がいらっしゃるわ」
「本当ね。すごく素敵だわ」
(やはり、アルナルディ公爵様だわ)
自然と目に留まる。その彼は以前と比べ物にならないほど体格がしっかりしている。
(まるで騎士のようね)
リュシエンヌはほっと一息つく。
この日は滞りなく宴がお開きになった……かに思えた。
リュシエンヌは不穏な動きを感じ取っていた。
マリレーヌを早々に部屋へと案内し終えると、警備に回ることにした。
妙に近衛騎士が手薄に感じる。
(なんだか、警備に穴がある……)
ふと、あの彼のことを思い出した。
(今日はいらっしゃっていたわ……まさか……)
速足でその姿を探しまわる。
庭園を超えたところで、その姿は確認できた。
(いらっしゃった。よかった)
だが、その瞬間、奥に何かが光って見えた。
急いで彼の前に体を差し入れる。
リュシエンヌの登場に驚いた刺客は、公爵襲撃が未遂に終わると慌てて去っていく。
「っ!」
リュシエンヌは公爵を残し、すぐにその後を追った。
アルナルディ公爵からは離れた場所で捕まえた刺客は、見知った顔だった。
(あのお方は……この脅威から、ずっと狙われているのね……)
城内を見て回ったが、もう彼の姿はなかった。
(無事、お帰りになったかしら……)
違和感をそのままにせず良かったと、リュシエンヌは大きく一息吐いた。
そして七年の年月が経ったある日、父から突如告げられた内容に、リュシエンヌは驚愕した。
「私が……アルナルディ公爵様と……」
「ああ。婚約の打診が来た。私はお受けしようと思っている。構わないだろ?」
「ですが……」
「もう君は二十五歳だ。デビュタントの時の噂ももう聞かなくなった。なにより、君はギルメット伯爵令嬢だ。騎士の前に貴族令嬢だ。結婚、してくれるな?」
ギルメット伯爵の目力に、リュシエンヌは怯む。
「……また、断られるということはないのでしょうか……」
リュシエンヌは俯く。
「あちらからの打診だぞ? 公爵家だ。ありがたい話だと思わんか。そもそももう後がない。嫁げ、リュシエンヌ」
(そうね……令嬢リュシエンヌとしてお役に立つ機会……)
「ギルメットのためになる結婚ですから、お受けいたします」
有無を言わさぬ父に、リュシエンヌは頷いた。
「急ではありますが、退役することになりました」
リュシエンヌはマリレーヌに報告した。
「ここまでありがとう、リュシエンヌ」
二人は抱きしめ合い、共に歩んだ日々に別れを告げた。
そして、今、リュシエンヌは、アルナルディ公爵夫人として暮らしている。
随分と長く自分のここまでを振り返ってしまったが、目の前の夫には、質問の通り、王太子妃候補として励んだ日々と、選ばれなかった理由だけを告げた。
ヴィルジールも口をあんぐりと開けている。
「ふふっ。そうなりますよね。……私もそうなりました」
(でも、もういいの。今、こうしていることで、不思議と後悔はしていないから……)
この人を守る。
今はそれが、リュシエンヌの存在意義となっていた。




