第四話:これが、二人の日常
ここに来て1ヶ月程経ったこの日は、珍しくジェラールが私の部屋を訪ねてきたため、彼とは久しぶりに顔を合わせた。
「奥様、何かご不便等はございませんか?」
「ないわ」
ジェラールは即答した私を見つめるとさらに心配そうに声をかけてきた。
「あの、奥様。少しお痩せになりましたか?」
「そうかしら?気付かなかったわ」
「お食事の量が減っていると聞いています。食欲が落ちているのでしょうか?」
「そうなのかもしれないわね。……まあ、あまり気にするようなことでもないでしょう」
ジェラールは顔色を変えると今度は提案をする。
「お好みのものではございませんでしたか?ご希望があればそれを作らせますが?」
「いえ、どのお料理も美味しいわ。ただ、お腹があまり空かないのよ」
医師を呼ぶかどうかとひそひそと話す声が聞こえる。
(私はどこも悪くないわよ)
「ねえ、邸にいる限りは自由だとのことだけれど、建物の中にいないとダメなのかしら?敷地内なら良いかしら?それとも領地内なら外に出ても良い?」
(動きたい……)
引きこもっていて良いと言われたが、引きこもっていなければならないのかとほとんどを部屋の中で過ごしていたからか、明らかに運動不足で消費が足りていなかった。
そのため空腹を感じることがなかった。
「ええ、勿論でございます。奥様は自由になさってよろしいのですよ。旦那様がお相手出来ませんので社交を控えて頂ければ基本的には自由になさってください」
ジェラールは籠り続けたことで不調になっていることを読み取ったのか、社交以外は自由だと条件を提示した。
「そうだったの。では乗れる馬はいる?」
「馬、ですか?」
「ええ。乗馬をしたいの。出来れば遠乗りもしたいわ」
「乗れる馬もおりますが、奥様が趣味でお乗りになれるような易しい馬はご用意がありませんが」
「大丈夫よ。乗馬は得意なの。持参した衣装の中にも乗馬服があるくらいですから」
それを聞くなりジェラールはクラリスに目配せて確認を取っているようだった。
着替えを手伝ってくれたクラリスを伴って外へ行くと、馬が1頭とジェラールが待っていた。
「私がお供いたします」
(お供?1頭しかいないのに?)
鞍を見て納得した。
「お供ってもしかしてタンデム?私は一人で乗れるわ」
どうやらジェラールが一緒に乗るつもりだったようで、二人乗り用の鞍が用意されていた。
「一人でも大丈夫よ」
私は馬に近づき、乗せてもらう馬に触れコンタクトを取った。易しい馬はないと言っていたわりに穏やかそうな可愛らしい牝馬だった。
二人乗り用の鞍でも構わず馬に乗ろうとするとジェラールは慌てて制止してきた。
「奥様!?わかりました。お得意であることはわかりましたので少々お待ちください。鞍をお取り替えしますし、お供するための馬をもう1頭用意しますので」
その結果二人と二頭で出掛けることになった。本当は駈歩をしたかったがジェラールがいる手前、常歩で動き出す。
「ずいぶんと慣れていらっしゃるんですね。よくお乗りになられていたんですか?」
「ええ」
「普段はどの様にお過ごしだったのでしょうか?」
「……、そうね、何をしていたかしら。これといっては。同じ毎日を過ごしていたわね」
馬には訓練で騎乗する習慣があった。
でもこれは令嬢のすることではない。
私は毎日勤めに出て日々任務をこなしていた、ただそれだけのことなのだ。
「貴方も上手ねって、紳士に言う台詞ではないわね。貴方、爵位をお持ちなんだそうね。古株はマクシムでしょうけど若い貴方が家令をしているということは階級の関係かしら?」
「まあ、そのようなところですね。マクシムには敵わないことも多いですが、助けてもらいながら上手くやっていますよ」
「ねぇ、時々このように乗馬をしても良いかしら?私の腕前は十分に理解してもらえたでしょう?一人でも構わないかしら?」
「いえ、お一人というのは許可出来かねます。私かロランならばお付き合いしますし、外に出られるのであれば護衛もつけましょう。奥様用の馬もご用意致しますよ」
「でも、邸の使用人は最低限の人数しかいないじゃない。私のために人員を割く必要はないわ」
「それでしたらこうしましょう。私にとっても良い息抜きになります。美しい景色を分かち合うお供に私をお連れになりませんか?」
ジェラールは遠乗りには自分を連れていけと言う。
この邸の使用人らはなぜこんなにも私に寄り添おうとしてくれるのだろうか。
私を娶ったはずの公爵様ご本人にはお会いすることすらない。
主からそんな扱いを受けているにも関わらず彼らは私を虐げることなく誠心誠意仕えてくれる。
これまででは考えられなかった。
お相手となる方の家族からは御家の為に有益な振る舞いを求められ、その通りに尽くせばそれと反してお相手にはでしゃばることなく従順な女であることを求められた。
だからこそ縁談が纏まることもなく独り身であったのだ。
ところがどうだろうか、今回は御家の為に何かするように求められることはなく、お相手からは興味すら持たれていない。
それなのに私の日々は穏やかに流れていく。
(皮肉なことに、私が何もしないことこそが存在意義となっているのね)
ジェラールを乗馬のお供に指名すると約束し、この日は駈歩で邸まで戻ることにした。
それから数日後のことだった。
部屋で寝ていると何かの気配を感じた。
私の意識は目覚めた。
静寂の中、空気が動いた気がした。
目を開けると目の前に剣を振りかぶった人物を確認した。
(!!)
咄嗟に身体ごと横に反らしベッドから転がり落ちると、ベッドの下にある護身用に備えていた短剣を手に取り構えた。
窓からの月明かりで逆光になってしまいこの人物が誰かわからない。
さらにはもう一人人影を見つけてしまった。
(一人じゃないの!?)
剣を振りかぶって襲いかかってきた人物を顎の下から蹴りあげる。
うめき声から男性だということはわかった。
コンプレックスであった長い手足は私の武器でもある。この時ほど背が高くて良かったと思えたことはなかった。
蹴りあげられた衝撃で男はテーブルにぶつかり派手に水差しを割ることになった。
持っていた短剣を相手の顔を目掛けて投げたところでもう一人の人物が動き出す。
先程の男が手放した剣を拾い上げると、近づいてきた人物の攻撃をその剣で受け流したのち、剣を両手で握り直すと、迷いなく相手の胸元に突き刺した。
物音から異変を察知したのだろう。バタバタと数人の足音が近づいてくる。
「奥様!!ご無事ですか!」
部屋に入ってきたクラリスが目に留まると一気に気が緩んだ、というよりは目の前が歪み始める。
「しまった……。毒……」
私はその場に倒れた。
「奥様!?奥様!!」
悲鳴に近いクラリスの呼ぶ声がする。
そして意識を手放す直前に聞こえたのは、──私の名を呼ぶ悲痛なジェラールの声だった。
「リュシエンヌ!」
(なぜ……、その呼び方を……?)




