第三話:分け与えた愛
何をすることもなく、毎日が過ぎていく。
何をしても自由だというのならば邸の仕事を分けてもらおうと考えて、執事のマクシムに公爵家の管理について尋ねた。
当主の務めは公爵様が担い、ジェラールと公爵専属侍従のロランが補佐をしているという。ロランというのはマクシムの息子だそうだ。
女主人が行う仕事は侍女長アレットが穴埋めする程度で済んでいるという。そもそも社交をせずにいるアルナルディ公爵家ではもてなしというものが存在しない。
財源は王家からの給付金を元に起こした事業で賄われているらしい。安定しているという話だった。
アルナルディ公爵家は、先代が王弟殿下で臣籍を離れた際に賜ったものだ。領地と給付金が与えられ、先代が信頼のおけるものたちを伴い公爵邸を作り上げた。
「ここはアルナルディの砦なのです」
マクシムはそう言った。
砦だと表現したのは腑に落ちた。特殊な構造をした屋敷に絆の強い使用人たち。
公爵様がほとんど表に出ないのも、王族の血を引くがためなのだろう。必要な場にのみ姿を現すと聞いたことがあった私は小さく頷いた。
しかしそこでふと疑問が残る。
ではなぜ私の名を伴侶に据えなければならなかったのか。
もしかして私のことを知っていたのだろうか?
私がただの引きこもり令嬢ではないということを。
「奥様はお屋敷のことをされる必要はございませんよ。そもそもやらなければならないこともそんなにないのです」
にこやかにマクシムは告げる。
「奥様には居ていただくだけで良いのです」
「居るだけ、ですか…」
(やはり、そういうことね)
名前を必要としただけなのだから、人手はいらないのだ。
公爵様からも邸の人々からも必要とはされていない。
この事実は、想像していたよりも深く胸に刺さった。
私の専属として仕えてくれているクラリスは、私の気持ちとは裏腹にとても良い子だった。単身で嫁いだ私を気遣うように、この邸には敵はいないのだ味方だというかのように接してくれた。
平民だというわりに一般的な教養やマナーをしっかりと身につけていた。
なんでも、マクシムとアレットが両親で、その二人は伯爵家の出なのだとか。ロランとクラリスは生まれたときからアルナルディ公爵家に仕えていることもあり、その恩恵も受けているという。
「ということは、貴族籍のある使用人はこの邸にいるの?」
「ジェラール様は子爵の爵位をお持ちですよ」
「あらまあ。貴族籍どころか爵位を持ってるの?」
「他は父と母のように、元は貴族でも今は籍を持たない者がほとんどです。旦那様は新しく人を入れることもなさらないので、若い者は身内ばかりでして」
「クラリスのように?」
「はい。親子で仕えている者も多いのですよ」
本当に身内も身内ということで絆の強さは理解した。そして公爵様の警戒心が強いということも。
無理もない。
私は公爵様が命を狙われるところを、二度も、目の当たりにしている。
公爵様が基本邸に籠って一般には姿を見せないのは警戒からだと推察している。
だからこそ、私を妻に迎えた理由の一つだと思ったのに、そのことには一切触れられていなかった。
庭に出てみると庭師らがせっせと花を植えていた。
「これは奥様。いかがなさいましたか?」
庭師の横にいた青年が目を丸くしながら聞いてきた。
「気晴らしよ。やることも何もないんですもの。あなたは?」
「私は旦那様から花の植え替えの指示をするよう仰せつかりまして。クラリスと一緒ではないのですか?」
彼女には黙って一人で出てきてしまった。まずかっただろうか。
「そういえばこのようにお話させていただくのは初めてですね。私は旦那様の専属侍従をしていますロランです」
「ああ、あなたが」
私が気晴らしに庭に出たと聞いたからか、ロランは話相手になってくれた。
「この花は公爵様の好み?定期的に植え替えしているの?」
「通常、花は庭師に任せています。ちなみに奥様はどのような花がお好きですか?」
「え?」
思わぬ質問に咄嗟に答えがでなかった。私が言い淀んでいるとロランは訝しんでいるようだった。
「あ、ごめんなさいね。今まで聞かれたことなかったから」
「え?……」
(そんなこと考えたこともなかった)
「……私のために選んでもらえる花ならば何でも良いわ」
「そうですか」
ロランはそれ以上は踏み込まず、穏やかに頷いた。
この花がなぜ植え替えられることになったのかは私にはわからなかったけれど、高貴な感じで美しかった。
何をして過ごせばいいのか分からないと話すと、ロランは少し考えてから口を開いた。
「読書や刺繍あたりはいかかでしょうか?」
立派な書庫があったけれど、読書は好きというわけではないから飽きてしまった。
「刺繍ね……」
「はい。私が知る限りでは貴族女性は刺繍を嗜んでいらっしゃる印象がありまして……」
「そうでしょうね。でも私にはお相手がいないようなものですから」
それを聞いてロランは失敗したといった表情をしている。
それもそうだ。この国では愛するパートナーに刺繍を施した物を贈ることが貴族女性の風習でもあり、いつか来るその日のために練習するための刺繍であったりする。
公爵様からは愛を望むなと言われている私は、愛を伝える相手がいないも同然なのだ。
「まあ、旦那様のお心に想われる方がいらっしゃるのも事実ですが、それでも妻からの愛は嬉しく思うのではないでしょうか」
──そんな事実は知らない。
でも手紙にはきちんと書いてあった。
彼からの愛を望むなというのは、愛を与える相手が他にいるからなのだろう。
愛し合う関係にはならないというのは、愛し合っている方がいるからというのが自然だ。
初めから告げられていたのだ。
「想う相手がいらっしゃるのならば惨めになるようなことはしないわ」
苦笑いしたロランは驚くべき提案をしてきた。
「あ、あの、それでしたら奥様。図々しいのは承知の上で申し上げますが、私に刺していただくことはできますでしょうか?」
「貴方のために刺繍を?」
「はい。奥様はアルナルディ公爵家の女主人です。私にとりましても主となるお方です。貴女に忠誠を誓いますので、その……、私に愛を分けてくださいませんか?」
最後は照れたように告げたロラン。
「貴方に愛を分ける?面白い提案ね」
必要とされるとまでは言わないが、依頼される、やることがあるというのは今の私にとってはありがたいことだった。
「良いわ、やりましょう」
すぐに出来ることでもあったが、丁寧に一針一針時間をかけて刺した。
求められ、誰かのために尽くす。
彼の言葉を借りるならば、ロランに愛を分けるというよりはロランが愛を分けてくれたように感じ、とても嬉しかった。
私を必要としてくれたように感じて嬉しかったのだ。
公爵様の王宮訪問にロランは同行していたため、彼に会えたのは戻ってきてからだった。刺繍を施したハンカチーフを渡すと彼は目を見開いた。
「実はこのようなものを受け取るのは初めてのことでして、なんて大それたことを申し出てしまったのかと思っていたんです。本当にいただけるのですか?」
「ええ。あなたの為に刺したものよ」
「奥様、ありがとうございます。大切にいたしますね」
「ふふふ、ええ。是非、使ってちょうだいね」
「そうでしたね。大切に使わせていただきます」
喜んでくれているのが明らかだった。
後にロランに渡すために刺繍をしていたと知ったクラリスからも催促があり、クラリスにもハンカチーフと、彼女には特別にリボンも用意した。
クラリスは子供のように飛び跳ねて喜んでいた。
たったこれだけのことで、こんなにも喜ばれるなんてと心が温まる出来事だった。




