最終話:あなただけを見ていた
「リュシエンヌ様!海の向こうはこんなにも輝いていたのですね!」
港に到着し船からおりると、輝く笑顔でドレスのすそをはためかせるマリレーヌの姿があった。
(あんなにもかわいらしい笑顔をお持ちの方だったのね……)
王太子妃だった頃にはないその姿を、感慨深げにリュシエンヌは見つめていた。
家門を破門されたマリレーヌは荷物をまとめて国を捨てることを決めた。その決断を知ったリュシエンヌは自分たちの出国に彼女を誘ったのだ。
「ここは、女性の社会進出が進んでいると聞きます。私もなにかを見つけたいと思います」
きちんと隣国の知識も備えているマリレーヌ。彼女は軽んじられていい人ではない。
ヴィルジールはマリレーヌの決意に提案をする。
「それでしたら、そのなにかが見つかるまで、我が家にいらっしゃいませんか?子爵邸になりますから、そこまで大きくはないのですが」
「ヴィルジール様……、よろしいのですか?」
「ええ、ぜひ」
マリレーヌは自分の進む道を選び始めた。確実に自分の幸せのために歩みを進めている。
その姿は眩しくて、リュシエンヌは目を閉じた。
(解放された彼女は美しいわね)
ふと、前をみる。
彼の背中が見えた。
無事隣国へと足を踏み入れることが出来た。
(彼はもう安全だ。私の役割も……、終わったわ……)
晴れやかな顔をしている一行の中で、唯一浮かぬ顔をしているリュシエンヌ。
共に歩んできたマリレーヌはそれを見逃さなかった。
入国の手続きがあるからとヴィルジールはこの場を離れた。
マリレーヌはリュシエンヌの横にすっと近づく。
リュシエンヌの視線はいつも同じ方を向いている。
マリレーヌは変わらぬ彼女の姿に安堵し、優しく微笑んだ。
「リュシエンヌ様、ここからですわね。私たちには幸せが待っていますわ」
ところが、リュシエンヌの表情は明るくない。
「ですが、私にはもう理由がないのです」
「理由?」
「彼のお側にいる理由が、ないのです……」
ヴィルジールと共にいるためには、自分は護衛する立場であることが必要なのだと思い込んでいるリュシエンヌに、マリレーヌは優しく説く。
「リュシエンヌ様、一緒にいるために理由づけする必要はないんですよ? 選ばれる理由を探さなくていいんです。貴女は選ぶことができるのですから」
「え?」
「貴女が一緒にいたいのは誰ですか? ……昔から、変わっていないでしょう?」
「……」
「この先ずっと誰と一緒にいたいですか? あなたが幸せになるためには誰が必要ですか?」
「……一緒に、いたい人?」
リュシエンヌが思い浮かべたのは、──ヴィルジールだった。
ヴィルジールの優しい笑顔がすぐに浮かんだ。
(どうして……)
「私……!」
呼吸が乱れていく。
ヴィルジールを想うと急に胸が苦しくなった。
「リュシエンヌ!?」
胸を抑え込み苦しそうな様子に、遠くにいたはずのヴィルジールは駆け寄った。リュシエンヌの肩に手をかけ、困惑した顔で、心の底から心配する様子のヴィルジール。
(そんなに私のことを、心配してくれるの?)
すると、リュシエンヌの脳内を記憶が走馬灯のように駆け巡る。
綺麗な顔立ちの幼い少年、
成長し、凛とした立ち姿の青年、
そして今、自分を見つめる優しい眼差し
──全て、ヴィルジールだった。
押し込んでいた想いが堰を切って溢れ出す。
(ずっと、好きだったの……)
……ずっと目で追っていた。
気付いていたのに、気付かないふりをしていた。
彼を探している自分も、いつも彼を視界にとらえている自分も。
だからこそ彼の危険にも気付いたし、助けることができたってことも。
(本当は、嬉しかったの……)
彼から婚約が申し込まれたことも。
彼と結婚できたことも。
だからこそ、私を必要とされていないと知った時、私は、必死に理由を探した。
一緒にいるための理由を。
単純なことだったんだわ。
(……好きなの。ヴィルジール様が好きなの)
溢れる思いと共にこみ上げる涙が止まらない。
拭うこともせず、ぼろぼろと涙をこぼし続けるリュシエンヌに驚いたヴィルジール。
何があったとマリレーヌの方に目を向けたが、彼女は「おそばにいてあげてください」とその場を静かに去っていった。
「リュシエンヌ?」
いつもと変わらぬ穏やかな声だった。
「……ヴィルジール様」
リュシエンヌはやっと口にした。
「私は……っ。私は、──あなたの隣にいたい……。護衛ではなく、──妻として……」
ヴィルジールは、言葉を失った。
「……まさか」
ずっと気丈に振舞っていた彼女の本心に触れ、ヴィルジールもまた、溢れ出す想いを絞り出した。
「そんなの……当然だ、当然だろう……! リュシエンヌ……!」
「君は……、君は、私の妻だ。……ああ……、なんてことだ……。『夫に愛されることを期待していたならば……』なんて……、何を……、私は呑気に……」
ヴィルジールもまた胸元を抑え込む。
「あんな、始まり方をして……、あの時の君は……どれほど……」
ヴィルジールは自分の瞳から溢れるものはそのままに、リュシエンヌの顔を両手で包むと、親指の平で頬を伝う涙を拭う。
「今の私があるのは、君の、おかげだというのに……」
「……それは、どういう……?」
リュシエンヌは言葉の意味を探ろうと、ヴィルジールの瞳を覗き込んだ。
「君が……、守ってくれたから。……あの時も、それからもずっと……。自分の身を守れと、示してくれたから……」
リュシエンヌは息を呑む。
「あの時のこと……覚えて……、おいでだったのですか?」
「あの時からずっと、君が支えだった。──恥ずかしながら、あの少女が君だったと気付いたのは、最近なのだが……」
胸元から刺繍の入ったハンカチを出す。
「それ……」
ヴィルジールの手に乗せられているハンカチには、刺繍の横に、うっすらとシミが残っていた。
「私のお守りだ。ロランも全く同じものを持っているのが癪だが……」
「あっ……」
リュシエンヌはロランの言葉を思い出す。──旦那様のお心に想われる方がいる──
(あれは……)
ヴィルジールはそっとリュシエンヌの手を握った。
「よかったら、私のためにも刺してくれないか? 私の、イニシャルで」
愛を望まれた。それも、最愛の人から……。
「ふっ、当然です。あなたは、私の夫なのですから」
リュシエンヌは満面の笑みで微笑んだ。それは見惚れるほどに輝いていた。
「愛してるよ、リュシエンヌ。……ずっと、私の隣にいてくれ」
「はい。……ヴィルジール様」
ヴィルジールの愛が、リュシエンヌの涙を止めた。
ヴィルジールはリュシエンヌを強く抱き寄せた。
──もう、離さないと。今度は自分が守るのだと誓うように……。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
リュシエンヌとヴィルジールの物語を見届けていただけたことを、とても嬉しく思います。
ふたりが辿り着いたこの想いが、
少しでも心に残るものとなっていましたら幸いです。
もしよろしければ、評価や感想をいただけると励みになります。
そして、もう少しだけふたりのその後を描いたお話をご用意しております。
よろしければ、エピローグもお付き合いください。




