第十四話:伝えられぬ愛
時は数日前に戻る。
(今の旦那様なら、奥様が刺繍したハンカチ、欲しいでしょうね……)
そして、妻への恋心を煩わせているヴィルジールを思うならば、ロランの初動も余計なことだったかと、頭を掻く。
ロランは、イニシャルが刺繍されたハンカチを持ち固まっていたヴィルジールを思い出す。
そしてその表情は、自分に対する嫉妬というよりは、驚きだったことに疑問を抱いたロランは、少しだけ部屋に戻る速度を上げた。
「だ、旦那様⁉」
部屋の中で座り込むヴィルジールを見つけたロランは、慌てて駆け寄った。
「ど、どうなさったのですか⁉……旦那様⁉」
揺すってもその焦点が合わない。
ふと、下ろされたヴィルジールの手元に落ちているハンカチが目に留まる。
「あ、あれ?」
ロランはポケットに手を当てた。そこに収まっている自分のハンカチを取り出し手元にあったことを確認した。
「では、これは……」
恐る恐る手に取ろうとすると、ヴィルジールがゆっくりと口を開いた。
「……かつての令嬢が、私の傷に当ててくれたものだ……。唯一、彼女が残した、手がかり……」
じっと、一点を見つめたままのヴィルジールに一度目を向け、ロランは落ちているハンカチを手に取った。
「同じ……」
刺繍の癖までも同じ。そのことに、ロランも気が付いた。
「ああ。君が持っているハンカチと同じだ」
ロランは気が昂るのを感じた。
「……まさか! では、かつての令嬢は奥様ですか⁉ ……旦那様……。お会い……するどころか……お側にいるなんて……」
ロランは涙ぐむ。ハンカチを持つ手は震えていた。
「ああ」
反応の薄いヴィルジールに、ロランは首を傾げる。
「?……旦那様?」
しばし、静寂に包まれた。
「……うぅ」
ヴィルジールは片手で顔を覆うと、人目もはばからず涙した。
「リュシエンヌだったんだ……全て……全て……」
ロランの目からも涙がこぼれる。
「はい、旦那様」
ヴィルジールが流しているのは喜びの涙だと思っているロランは、笑顔で応える。
しかし、どうにも様子がおかしい。
「私は……彼女の横にいる資格がない」
ヴィルジールはロランのハンカチを指差した。
「私の、ハンカチですか?」
なぜロランに刺繍をしたのか。ロランがお願いしたからだけではない。
──でも私にはお相手がいないようなものですから。
夫から愛を望むなと言われている女主人に、堪らず声をかけたからだ。
そして、夫に刺繍を贈ることはせず、ロランの手元に彼女の愛がある。
「……はっ」
今、彼女は夫の愛を期待していない。愛されていると知らないのだから当然である。
ならばと、ロランは提案をする。
「愛を、お伝えになったらよろしいではないですか。ずっと探していたのは奥様だと。あの言葉は忘れて欲しいと……」
ヴィルジールは首を振る。
「あの時の言葉はあの時の私の偽りのない言葉だ。名前だけを借りた伯爵令嬢に対して伝えた言葉。だからこそ、重い……」
自分を納得させるようにつぶやく。
「初恋と妻が同一人物だとわかったところで、私には愛を伝える資格がないんだ……」
ロランはこれ以上何も言えなかった。
すっとヴィルジールが立ち上がる。
「さぁ、執務に戻ろうか」
ロランはその背中を見守ることしかできなかった。
ヴィルジールが再び執務室にこもるようになって一週間。
あれだけ理由をつけてリュシエンヌに会いに行っていたのに、愛の真実に気付いて以降は彼女の姿すら見ていなかった。
そんな時、リュシエンヌから遠乗りがしたいと同伴要請がきた。
「ロラン。君が行け」
「何をおっしゃっているのですか? 奥様と堂々とお話ができる機会じゃないですか」
ヴィルジールは顔を逸らす。
「普通でいられない気がして、彼女の前に立つのが怖いんだ」
事情を知るロランには隠さず本音が告げられた。
ロランは体の横に添わせた拳を握りしめる。
「リュシエンヌの要望は叶えてやりたい。彼女が自分の欲を出すことは珍しいから……」
そして、護衛のためにと、ヴィルジールの護衛騎士を連れていくように指示が出された。
ロランは今、リュシエンヌの前にいる。
「公爵様じゃないの?」
リュシエンヌに問われ、ロランはとっさに執務を理由にした。
「執務が滞っておりまして……。本当は、旦那様もお越しになりたがってたのですが……」
主の気持ちも代弁する。
(本当はお会いしたいはずなんです……)
眉を八の字にしたヴィルジールの顔を思い出し、ロランは視線をわずかに逸らした。
「ほら、ごらんなさい。あなた一人に押し付けていたからよ」
自分が振り回されていると思っているのだろうか。
そんな優しさを見せてくれたリュシエンヌに、ロランは困り笑いをした。
「ロラン、剣は扱えるの?」
突如振られた話題にロランは首を傾げる。
「剣はそこまでは……」
(なぜそんなことを?)
するとリュシエンヌに後ろに控えている騎士について問われた。
ヴィルジールが連れていくよう指示した護衛騎士たちだ。
やはり彼女は見逃さなかった。
護衛騎士はいらないとリュシエンヌは騎士の一人から剣を受け取った。
それを身に着けるリュシエンヌに、ロランは慌てた。
「お、奥様⁉」
「あなたたちは、戻ってください。私とロランで出かけます」
(何をおっしゃって……私では貴女をお守りするには力不足で……)
騎士に目を向けると、指示を受けて動揺しているのが見て取れる。
「私が騎士なので、ロランは私が守ります」
彼女が騎士を下げた理由に驚愕した。
「え⁉ いえ!! そうではなくて!!」
(違うのです!奥様。守られるのは私ではなく……)
リュシエンヌを守るための騎士であって、ロランに護衛が必要なわけではない。
しかし、ヴィルジールの護衛騎士を連れてきてしまったことが仇となった。
説得もむなしく、遠乗りは中止になってしまった。
(奥様の要望も……旦那様の願いも、叶えられなかった……)
鍛錬をするからと騎士に声をかけ、リュシエンヌは屋敷の方へ行ってしまった。
ロランは、その背中を見送り、立ち尽くした。
「なぜ、戻ってきた?」
執務室に戻ったロランは、窓の外を眺めているヴィルジールに問われる。
この窓からは、外の様子がよく見えた。
「奥様が……護衛が手薄になるならと……」
その言葉にヴィルジールはゆっくりと目を閉じる。
(私の、配慮のせいなのか……)
「それで、リュシエンヌは?」
ヴィルジールはちらりとロランを見る。
「鍛錬をする、と、騎士を一人、連れていかれました」
己の欲を捨て、ヴィルジールを守ることに重きを置くリュシエンヌの行動に、ヴィルジールは苦しさを感じ自分の胸を掴んだ。
(なぜ私は、彼女を守ってやれない……)
彼女を犠牲にしている気がしてならない。
彼女にほんの小さな幸福すら与えてあげられない現実に、ヴィルジールは絶望した。
ヴィルジールの計画が実行される決戦の日は、もう目前に迫っていた。




