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青春病。  作者: 翠吉
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105/105

赤い提灯が灯るころ

練習から帰り、夕食とお風呂を済ませたあと。

私はベッドの上に座り、スマートフォンを開いた。

画面には、さっき水谷先輩から送られてきた夏祭りの詳細が表示されている。

『来週日曜日』

『十六時、神社前の大鳥居集合』

『花火終了後、二十一時までに解散予定』

その下には、守屋先輩からのメッセージが何件も続いていた。

『屋台めっちゃあるらしいです』

『射的もあります』

『焼きそば、たこ焼き、りんご飴、かき氷』

『全部食べます』

すぐに岡田先輩から、

『誰も聞いてない』

と返されている。

私は思わず笑いながら、葵とのメッセージ画面を開いた。

『来週の日曜日、夏祭り行かない?』

一度送信する。

それから、少し迷って言葉を付け足した。

『バレー部のみんなで行くんだけど』

送った直後。

画面に既読がつく。

次の瞬間。

スマートフォンが震えた。

葵からの電話だった。

「もしもし。」

『行く!』

耳から少し離したくなるほど大きな声が響いた。

「返事早くない?」

『行くに決まってるじゃん!』

「本当に大丈夫?」

『何が?』

「バレー部のみんなで行くんだよ。」

『知ってる。』

「ほとんど先輩だよ。」

『結衣もいるでしょ。』

「いるけど。」

『じゃあ大丈夫。』

葵は迷いなく答える。

そして。

少しだけ声を潜めた。

『神谷先輩も来る?』

「そこ?」

『大事なところじゃん。』

「来ると思う。」

『思う?』

「予定がなければ行くって。」

『絶対来るじゃん。』

「どうして言い切れるの。」

『結衣が来てほしいって言ったんでしょ?』

一瞬。

言葉が止まった。

「なんで知ってるの。」

『言ったの?』

「……言った。」

『えぇ!?』

「うるさい。」

『結衣から言ったの!?』

「守屋先輩に聞かれただけ。」

『それでも言ったんじゃん!』

「みんなで行くならって言っただけだから。」

『はいはい。』

電話の向こうで、葵が笑っている。

嫌な予感がした。

『じゃあ、浴衣ね。』

「え?」

『浴衣で行こう。』

「普通の服でよくない?」

『駄目。』

「なんで。」

『今年最後の夏祭りだよ?』

「でも、バレー部のみんなで行くのに。」

『夏祭りへ浴衣で行って、何が浮くの。』

「みんな普通の服かもしれないし。」

『結衣が気にしてるの、みんなの反応じゃないでしょ。』

「何。」

『神谷先輩にどう思われるか。』

「違う。」

『今の間は何?』

「何もない。」

『絶対浴衣。』

「葵が着たいだけでしょ。」

『それもある。』

「やっぱり。」

『でも、結衣にも着てほしい。』

葵の声が少しだけ優しくなる。

『高校に入って、初めての夏祭りじゃん。』

『せっかくなら、ちゃんと思い出に残そうよ。』

私はベッドの上に置かれた部活用の鞄を見る。

今年の夏。

ほとんど毎日、体育館にいた。

朝から練習して。

試合をして。

インターハイへ行って。

負けて。

帰ってきてからも、また練習が始まった。

それが嫌だったわけじゃない。

むしろ、どの一日も大切だった。

でも。

普通の高校生みたいな夏を、ほとんど過ごしていなかったのも本当だった。

「……分かった。」

『本当に?』

「浴衣で行く。」

『やった!』

「でも。」

『何?』

「変なのは嫌だからね。」

『任せて。』

その言葉が、一番不安だった。

夏祭りまでの一週間。

学校でも、部活でも、その話題が途切れることはなかった。

昼休み。

廊下ですれ違った守屋先輩は、スマートフォンの画面を見ながら私を呼び止めた。

「結衣。」

「はい。」

「夏祭りの屋台、調べました。」

「授業中にですか?」

「休み時間です。」

「本当ですか?」

「細かいことは気にしない。」

守屋先輩は画面を私へ向ける。

そこには、夏祭り会場の簡単な地図が表示されていた。

「まず鳥居から入って。」

「右に焼きそば。」

「その奥にたこ焼き。」

「左にフランクフルト。」

「真ん中にかき氷。」

「射的は神社の裏。」

「りんご飴は花火会場の近くです。」

「全部食べ物ですね。」

岡田先輩が後ろから画面を覗き込む。

「お前、食う順番しか考えてないじゃん。」

「違う。」

守屋先輩は真剣な顔で首を横に振る。

「回る順番です。」

「同じだろ。」

「射的も入ってます。」

「射的以外全部食べ物。」

「金魚すくいもあります。」

「金魚飼えるの?」

「無理です。」

「じゃあ、すくうな。」

そのやり取りに笑っていると、水谷先輩が教室から出てきた。

「集合時間、みんな確認した?」

「十六時ですよね。」

「そう。」

水谷先輩は守屋先輩を見る。

「十五時に行くなよ。」

「なんで俺だけ。」

「下見するとか言ってたから。」

「十五時半にします。」

「変わってない。」

「早く行って何が悪いんですか。」

「勝手に屋台回るだろ。」

「食べません。」

「信用ないな。」

蓮さんも後ろからやってくる。

「射的は何時から?」

「蓮さん、やる気じゃないですか。」

守屋先輩が嬉しそうに画面を見せる。

「景品見ました?」

「まだ。」

「一等、大きいぬいぐるみです。」

「いらない。」

「じゃあ何を狙うんですか。」

「当てられるか試したいだけ。」

「絶対本気になる人じゃん。」

水谷先輩が笑う。

その隣にいた神谷先輩は、特に興味がないような顔で会話を聞いていた。

守屋先輩がすぐに顔を向ける。

「神谷さん。」

「何。」

「本当に来ますよね?」

「行くって言っただろ。」

「よかった。」

「何回確認するんだ。」

「当日来なかったら困るんで。」

「困らないだろ。」

「結衣が困ります。」

「なんで私なんですか。」

神谷先輩が私を見る。

目が合った瞬間、反射的に顔を逸らしてしまった。

「ほら。」

守屋先輩が笑う。

「やっぱり困るじゃないですか。」

「守屋先輩。」

「はい。」

「夏祭りまでにレシーブ何本追加されたいですか。」

「結衣まで神谷さんみたいなこと言い始めた。」

廊下に笑い声が広がった。

そして。

夏祭り当日の日曜日。

目を覚ました時から、落ち着かなかった。

集合は十六時。

まだ朝の八時を過ぎたばかりなのに。

何度も時計を確認してしまう。

朝食を食べ。

部屋へ戻り。

スマートフォンを見る。

まだ九時。

着替えを用意して。

もう一度時計を見る。

九時十分。

「早過ぎる……。」

誰に言うでもなく呟いた。

昼前。

浴衣を入れた袋を持ち、葵の家へ向かった。

玄関の扉を開けた葵は、すでに髪を整え始めていた。

「遅い。」

「約束の時間ぴったりだよ。」

「私は三十分前から準備してる。」

「それは葵が早いだけ。」

「今日は大事な日だから。」

「普通の夏祭りでしょ。」

「結衣にとってはね。」

葵が意味ありげに笑う。

「余計なことしないでね。」

「何も言ってないじゃん。」

「顔に書いてある。」

葵のお母さんに手伝ってもらい、着付けが始まった。

葵が選んだ浴衣は、明るい赤色に小さな花が散りばめられた柄だった。

私の浴衣は、白に近い淡い水色。

青と薄紫の朝顔が描かれている。

「結衣、動かない。」

背中から葵に言われる。

「苦しい。」

「まだ帯も結んでないよ。」

「これでお祭り歩けるの?」

「慣れる。」

「本当に?」

「神谷先輩を見たら走れる。」

「走らない。」

「下駄で走ったら危ないからね。」

「そういう意味じゃない。」

葵のお母さんが笑いながら、帯を整えてくれる。

普段の制服とも。

部活のジャージとも違う。

身体が締め付けられる感覚に慣れなくて、息をするのも少し難しい。

着付けが終わると、次は髪だった。

葵は高い位置でまとめてもらい、赤い飾りを挿してもらう。

私は普段下ろしている髪を、後ろで緩くまとめてもらった。

朝顔の色に合わせた、薄紫の髪飾り。

鏡に映る自分を見つめる。

いつもの自分とは、別人みたいだった。

「どう?」

葵が隣へ並ぶ。

「……変じゃない?」

「全然。」

「本当に?」

「可愛い。」

「葵も。」

「知ってる。」

「自分で言うんだ。」

葵は私の肩へ手を置き、鏡越しに顔を覗き込む。

「神谷先輩、何て言うかな。」

「何も言わないと思う。」

「じゃあ言わせる。」

「やめて。」

「似合ってるくらい言えるでしょ。」

「無理に聞かなくていいから。」

「どうして?」

「恥ずかしい。」

口にしてから、さらに恥ずかしくなる。

葵が嬉しそうに笑った。

「素直じゃん。」

「もう帰ろうかな。」

「まだ行ってもない。」

その時。

スマートフォンが震えた。

バレー部の連絡グループ。

守屋先輩からだった。

『着きました』

時計を見る。

十五時十二分。

集合まで、まだ四十八分もある。

すぐに水谷先輩から返信が来る。

『早過ぎ』

続いて。

『一人で待ってろ』

守屋先輩から。

『屋台の下見してきます』

その直後。

神谷先輩から一言だけ届いた。

『勝手に食うな』

私は思わず笑ってしまった。

「何?」

葵がスマートフォンを覗き込む。

「守屋先輩、もう着いたって。」

「早っ。」

「屋台の下見するらしい。」

「絶対食べるじゃん。」

「神谷先輩に止められてる。」

「もういつもの感じだね。」

葵の言葉に、私は小さく頷いた。

緊張していた気持ちが、少しだけ和らぐ。

十五時半。

私たちは家を出た。

外へ出ると、まだ空は明るかった。

昼間の暑さは残っているけれど、時折吹く風は少し涼しい。

慣れない下駄で歩くと、自然と歩幅が小さくなる。

カラン。

コロン。

二人分の音が、道に響く。

遠くから祭囃子が聞こえてくる。

道を進むにつれて、浴衣姿の人や家族連れが増えていった。

「結衣。」

「何?」

「さっきから帯触り過ぎ。」

反射的に帯から手を離す。

「崩れてない?」

「崩れてない。」

「髪は?」

「大丈夫。」

「浴衣は?」

「可愛い。」

「それは聞いてない。」

「じゃあ神谷先輩に聞けば?」

「聞かない。」

「私が聞く。」

「やめて。」

集合場所へ近付くほど。

胸の音が大きくなっていく。

ただバレー部のみんなと夏祭りへ行くだけ。

何度も自分に言い聞かせる。

それなのに。

いつもの体育館で会う時とは、全く違う気がした。

神社へ続く大きな鳥居が見えてくる。

その手前に、何人か立っている。

最初に目へ入ったのは守屋先輩だった。

黒いTシャツに、明るい色の半袖シャツ。

その隣には水谷先輩。

蓮さん。

そして。

神谷先輩。

普段は制服か練習着ばかりだから。

私服姿の四人は、少しだけ知らない人に見えた。

水谷先輩は落ち着いた色のシャツ。

蓮さんは白いTシャツだけなのに、体格のせいで人混みの中でも目立っている。

神谷先輩は黒いシャツに細身のパンツ。

特別な格好ではないのに。

いつもと違って見えて、思わず足が止まりそうになった。

最初に私たちへ気付いたのは、守屋先輩だった。

「お。」

こちらを見たまま目を丸くする。

数秒。

それから、口元がゆっくりと上がった。

嫌な予感がした。

「え。」

「誰かと思った。」

守屋先輩がこちらへ歩いてくる。

「結衣ですよね?」

「見れば分かるじゃないですか。」

「いや。」

守屋先輩は私を上から下まで見る。

「すご。」

「ちゃんと女の子じゃん。」

「普段は何だと思ってるんですか。」

「マネージャー。」

「マネージャーも女の子です。」

「知ってる知ってる。」

「絶対思ってなかったですよね。」

葵が隣で笑っている。

「結衣、朝から準備頑張ったんですよ。」

「葵。」

「何時から?」

守屋先輩が食いつく。

「お昼前から。」

「そんなに!?」

「着付けとか髪とかあるので。」

「へぇ。」

守屋先輩はもう一度私を見る。

「俺らなんか十分で終わりました。」

「比べないでください。」

水谷先輩たちもこちらへ歩いてくる。

「二人とも似合ってる。」

水谷先輩が優しく笑った。

「ありがとうございます。」

「ありがとうございます!」

葵が明るく答える。

蓮さんも頷いた。

「うん。」

「二人ともいいじゃん。」

「ありがとうございます。」

私は頭を下げる。

それから。

視線を上げることができなかった。

誰を意識しているのか。

自分でも分かっていた。

守屋先輩も、すぐに気付いたらしい。

ニヤッと笑う。

「神谷さん。」

「何。」

「感想は?」

「聞かなくていいです!」

思わず大きな声が出た。

周りの視線が集まり、さらに恥ずかしくなる。

「結衣が待ってます。」

「待ってません。」

「じゃあ、こっち見て言えます?」

「守屋先輩。」

「はい。」

「先に祭り行っててください。」

「ひどい。」

水谷先輩が笑いを堪えている。

蓮さんも少しだけ顔を逸らしていた。

神谷先輩は守屋先輩を冷たく見る。

「守屋。」

「はい。」

「明日。」

「レシーブ追加。」

「今日、部活休みですよ!?」

「明日はある。」

「夏祭りの日までペナルティあるんすか!?」

みんなの笑い声が広がる。

これで話が終わった。

そう思った時だった。

「結衣。」

神谷先輩に呼ばれる。

「……はい。」

恐る恐る顔を上げる。

神谷先輩は、真っ直ぐ私を見ていた。

ほんの少し。

間が空く。

「似合ってる。」

短い一言だった。

でも。

胸の奥へ、真っ直ぐ落ちてきた。

「……ありがとうございます。」

それだけ答えるので精一杯だった。

顔が熱い。

きっと浴衣のせいではない。

「言った!」

守屋先輩が大声を上げる。

「神谷さんが言った!」

「今の録音したかった!」

「守屋先輩。」

「はい。」

「本当に先に行ってください。」

「照れてる。」

「行ってください。」

「結衣、顔赤いですよ。」

「暑いだけです。」

「まだ夕方なのに?」

「暑いです。」

葵まで横で笑っている。

「よかったね。」

「何が。」

「聞きたかった言葉、聞けて。」

「後で話があるから。」

「怖い。」

その後も。

岡田先輩。

杉山先輩。

小林先輩。

加藤先輩。

広瀬先輩。

藤枝。

村山。

ほかの一年生たちも、次々と集合場所へやってきた。

普段は体育館でしか見ない人たちの私服姿は、少し不思議だった。

「あ。」

藤枝が私を見て、立ち止まる。

「結衣さん。」

「何?」

「いや……。」

何かを言いかけて、守屋先輩の方を見る。

守屋先輩は何もしていないのに、藤枝はすぐに首を横に振った。

「何でもないです。」

「なんで俺を見た?」

守屋先輩が聞く。

「別に。」

「俺、睨んでないよ?」

「誰も睨んだって言ってません。」

「じゃあ何。」

「怖いです。」

「ひどくない!?」

みんなが笑う。

最後の一年生が到着すると、水谷先輩が全員を見渡した。

「全員いる?」

一人ずつ人数を確認していく。

「いると思います。」

岡田先輩が答える。

「思いますじゃ駄目。」

水谷先輩はもう一度数える。

「よし。」

「全員いる。」

守屋先輩がすぐに手を挙げる。

「行きましょう!」

「待て。」

「まだですか?」

「帰る時も。」

水谷先輩は全員を見る。

「勝手にいなくならないこと。」

「屋台を回る時も、最低二人以上。」

「帰る時間になったら、ここへ集合。」

「特に守屋。」

「俺だけ名指し!?」

「一番迷子になりそう。」

「俺、もう高校二年生ですよ。」

「一人で屋台追いかけて消えそう。」

「否定できない。」

岡田先輩が言う。

「副キャプテンまで!?」

「財布とスマートフォンも落とすなよ。」

「水谷さん、俺のこと何歳だと思ってます?」

「行動だけなら八歳。」

「低過ぎる!」

笑い声が鳥居の前へ響いた。

水谷先輩は呆れたように笑いながら、神社へ続く道を見る。

赤い提灯には、少しずつ明かりが灯り始めていた。

遠くから聞こえる祭囃子。

屋台から流れてくる甘い匂い。

浴衣姿の人たち。

まだ明るい空の向こうには。

夜になれば、大きな花火が上がる。

「じゃあ。」

水谷先輩が笑う。

「行こうか。」

「はい!」

みんなの声が重なる。

守屋先輩が一番に歩き出し。

岡田先輩がその襟を掴んで止める。

「勝手に行くな。」

「まだ一歩です!」

「最初から見張っとく。」

「信用なさ過ぎ!」

また笑いが起きる。

私も葵と並び、みんなの後を歩き始めた。

カラン。

下駄の音が鳴る。

夏休みは、もう終わった。

学校も始まった。

私たちは、いつもの毎日へ戻っていた。

それでも。

今年最後の夏は。

まだ、終わっていなかった。

大好きな人たちと過ごす。

たった一日の夏が。

今。

始まろうとしていた。

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