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 時は少し遡る。


 天華宮に到着した春陽は驚きのあまり呼吸の仕方を忘れかけた。


 天華宮一帯が灰色の分厚い雲に覆われ、氷の破片が所々に突き刺さっていたり、塊が落ちていたりした。

 池の水にも膜が張り、屋根の至る所につららのようなものが見える。

 そして何より寒い。身体の芯から冷え込みそうな空気が流れていて、無意識のうちに自分の身体を抱き抱えていた。

 春陽は天華宮の奥へ進む。雪花と兄を探したが、外には天華官女を含め人が一人もいなかった。


(なぜこんなことに……)


 額に手を当てながら六花宮を目指す。これが雪花の力なら、雪花はかなり強く感情を出したことになる。一体自分が留守の間に何があったのか。

 雪花の力を知り、助けたかった。それなのに自分がいない間にこんなことになっていては本末転倒も良いところだ。


(守ると決めていたのにな)


 自虐的な乾いた笑いが出た。だが、もう起きてしまったことは戻れない。今から、この段階から彼女を救わなくては。

 春陽は手がかりを求め六花殿を訪れた。そこに雪花の姿はなく、泣き腫らして真っ赤な目をした侍女の琴乃がいた。

 春陽を見るなり、琴乃は縋るように春陽の着物を掴んだ。


「春陽さま……! 雪花さまを、雪花さまを……」


 幼子のように泣いて言葉に詰まる琴乃を初めて見た。普段冷静な彼女が取り乱すなど只事ではない。


「落ち着いて下さい、琴乃殿。雪花殿はどうされた?」


 言葉に詰まりながら一連の出来事を聞いた春陽は、青筋を立てた。兄の身勝手な振る舞い、雪花の中身を見ようとせず、血だけで恐れて対処してしまう愚かさ。冬弥に教えてもらった闇妖兵の存在が頭にちらつく。

 このままでは、雪花が危ない。

 雪花のいる場所はなんとなく見当がついた。宮内でなにかやらかした人が送られる場所は一つしかないから。あのじめっとした嫌な空気が心身から力を奪っていく地獄のような場所。きっとそこにいるはずだ。

 春陽は縋っている琴乃の肩に手を置き、そっと身体から離した。


「今から、迎えに行ってくる」


「……え?」


 頬に涙をつけた琴乃と目が合った。その瞳からは心の底から主人を心配する色が浮かんでいた。


 兄の国だから、好きなようにするのは仕方がない。自分は側室の子だからと我慢していた。

 しかし、こんな横暴なやり方では天華宮どころか国がおかしくなってしまう。優しかった父が作り上げてきた国が傾くのは見たくない。

 それに兄が異様に妖に敏感な所もはもしかしたら自分が関係しているのかもしれない。

 冬弥から聞いたことを思い出し、春陽の全身に力がこもった。怒りが身体中を駆け巡り、それが原動力となる。


 救いたい。国を、雪花を――


「私が雪花殿を迎えに行く。だからここで待っておれ」


 そう告げ、踵を返した春陽を琴乃の声が止めた。


「お待ちくださいませ。私も一緒に参ります……!」


 琴乃は袖で涙を拭うと、真っ直ぐに春陽を見た。主人を助けたいという思いが滲み出ている。

 この先、どんなことがあるのか春陽も想像がつかない。琴乃に何かあれば一番に悲しむのは

雪花だ。

 それは避けたかったが、琴乃の目つきに春陽は断ることができなかった。


「危険かもしれないぞ」


「私はどうなっても構いません。雪花さまをお守りできるのならば……」


「……分かった。ただし、無理だけはしないように。あなたが傷付けば、雪花殿は悲しむ」 


 琴乃がしっかりと頷いたことを確認した春陽は颯爽と六花殿を出た。

 見張りがいることを懸念していたが、地下へと続く入り口はもぬけの殻で、妙に静かだった。


(おかしい。静かすぎる) 


 春陽は目つきを鋭くした。少しの間、様子を伺うも何も起こらない。


「琴乃殿、こちらで待っていてほしい」


「いえ! 私も……!」


 地下の暗さに顔を青ざめさせながら琴乃は言い切るが、春陽はそれを手で制した。


「必ず連れて戻る」


 琴乃はまだ何か言いたげだったが、一歩も譲らない春陽に折れ、渋々頷いた。


(雪花)


 暗い道をひたすら進んだ。

 入り口からどのくらい経った頃だろう。それまで静かだった道の前方遠くから足音や話し声が微かに聞こえてきた。

 音に引き寄せられるように、自然と足が速くなる。


 そして、少し開けた場所で見えたもの――


 それは大きな役人たちに囲まれ、地面の上を引きずられている雪花だった。


 ぷつん、と頭の中で何かが切れた。

 お腹の奥底から怒りが込み上げ、身体全体を支配していく。


「い、いや……」


 弱々しい声が耳に届いた途端、春陽の身体は無意識に動いていた。


「彼女から手を引きなさい」


 自分でも驚くような低い声が出た。春陽の声は地下の空間に響き渡り、皆の動きがぴたりと止まった。 


「き、貴様…… っは、春陽さま!?」


 ろうそくの灯りで春陽の顔を確認した役人たちは声を震わせた。

 主上の次に尊い方の登場、その方に貴様と罵ったとなれば罪は重い。そのことに気付き、雪花を掴んでいた手から力が抜け、後退りしていく。

 春陽は倒れる雪花に駆け寄り、彼女の身体を抱き起こした。


「雪花、大丈夫か?」


 春陽は役人たちに構うこともなく、頭からつま先まで異常がないか確認した。

 白い肌には黒い汚れがつき、打掛の裾は破れている。普段の凛としている彼女とは遠い弱々しい姿に春陽の心は痛んだ。


(こんなになっていたなんて……)


 彼女が味わった苦痛や恐怖を思えば、唾液を飲み込むことさえも辛く感じてしまった。弱りきった雪花は見ていられない。

 雪花は力が抜け身体が思うように動かないのか、春陽の胸元に身体を預けた。


「……は、るひさま……」


 その名を呼ばれた瞬間、春陽は雪花を抱く腕に力を込めた。


「……もう安心してください。あなたは私が守ります」


 弱々しい声が胸元から聞こえる。雪花を見れば、目には涙が溜まっていた。

 

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