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雪花は牢の外の暗い道を進んだ。
今にも崩れそうな壁をつたいながら、確実に足を進める。
そこはまるで迷路のようだった。
暗闇に目が慣れてきたとはいえ、知らない道はやはり歩きづらい。これまでの疲労も相まって歩くたびに身体が大きく揺れた。
(とにかく外へ…… 早く春陽さまにお伝えしなければ……)
なんとか意識を保ちながら、春陽に会うことだけを考える。その目的を見失えば、意識が朦朧としてしまいそうだった。
刹那、目の前にぼんやりと橙色の光が見えた。揺らいでいるその光は、ゆっくりと雪花に近づいてくる。
(誰か……ここに来る……)
先程、牢の鍵を壊した時の物音で気付かれたのだろうか。雪花の心臓がどくどくと大きな音を立てた。
引き返そうにも、足が氷のように固まって動かない。背中に嫌な汗が伝った。
(どうしましょう……身体が動かない……)
背中を壁に預け、息を潜める。
ど、ど、ど、ど、と異様に早い心臓の音を聞きながら、雪花は近づいてくる橙の光を見つめることしかできなかった。焦りや恐怖から、また冷たい弱風が漂い出す。
(もう、駄目……)
目の前まで迫った光に思わず目を固く瞑り、顔を背けた。
「……雪花さま?」
聞き覚えのある、高い声に雪花はそっと目を開く。恐る恐る声の方に顔を向ければ、そこにはろうそくを持った日乃子が立っていた。
「日、乃子さま……?」
予想外の人物に雪花の声が裏返った。なぜ彼女がこんな闇の中にいるのか疑問が浮かぶと同時に、見知った顔に会えて力が抜けた。がくん、とその場に崩れ落ちる。
「雪花さまっ!? 大丈夫ですか?」
地面にへたる雪花に駆け寄る日乃子は、今にも泣きそうなくらい顔を歪めていた。ふわりと香る春らしい日乃子の匂いが、雪花を安心させた。優しい手が雪花の肩に置かれる。
「日乃子さま、どうしてここに……」
日乃子を見つめて問えば、彼女の大きな目から涙がこぼれた。一つ溢れればどんどん落ちてくる。
「お怪我は、ありませんか?」
日乃子は雪花の顔や身体を見回す。きっと今の雪花は妃らしかぬ姿だろう。埃まみれの打掛に、汚れた顔。見せられたものじゃない。
「怪我はありません。あの、どうしてここに……いいえ、早く戻った方がよろしいですわ」
視線を彷徨わせながら雪花は再び聞いた。見つかれば日乃子だって同じ末路を辿るかもしれないのに。日乃子に同じ思いは味わって欲しくない。
「……友を心配することはいけないことでしょうか?」
「……えっ」
雪花はゆっくり顔を上げ、日乃子を見た。眉を下げ力なく笑う日乃子が目に入る。雪花の動きが止まった。
「雪花さまが心配でこっそりここに来ましたの」
「……わたくしを心配?」
「ええ。心配しましたよ」
日乃子も雪花の持つ力を目の当たりにしてはずだ。それを見たというのに、雪花に対して恐怖は湧かなかったのだろうか。いや、それより自分を友と認識してくれていたことに驚きが隠せなかった。
「……どうして、日乃子さまはわたくしの姿を……」
「えぇ。見ましたわ」
「だとしたら、なぜ? ……恐ろしいとは思わなかったのですか?」
そわそわと弱い風がどこからともなく吹く。頬に当たる風が、戸惑いを隠せない雪花に現実だと告げる。
平然と、だけど優しさのこもった笑みを向ける日乃子に目が釘付けになった。
日乃子は柔らかい手を固く握られた雪花の手に重ね合わせた。
「雪花さまは、何も悪くありませんから」
「……」
「夕凪さまを守ろうと怒って下さった。いいえ、夕凪さまだけではないわ。いずれ私の身にも起こるかもしれなかった。それを怒って下さったのに、なぜ怖がらなくてはならないのですか?」
「私は、人を……傷付けてしまうから……」
「そんなことありません。救われる人もいますわ」
優しく語る日乃子の声は春のように暖かい。閉ざしていた心にふんわりと日がさしたようだった。
目の奥が熱い。気を緩めれば涙が出てきそうだ。
「さぁ、お立ちになって。早くここから出ましょう?」
雪花は力強く頷いた。手を取り合って立ち上がり出口を向く。
「遠出中の春陽さまに急ぎの伝言を頼みました。じきに戻ってくるはずですわ」
日乃子には色々とお見通しらしく、にっこりと笑う。
「それまで頑張りましょう」
味方がいるとはこんなに心強いものなのか。自分の本当の姿を知っても離れずにいてくれる存在が心強く、ありがたい。そして気持ちを前向きにしてくれる。
雪花の足の震えはもう止まっていた。
土を踏み締め、前に進む。
二人は手を取り合い出口を目指した。
目前がぼんやりと明るくなっていく。
「あそこまでいけば、私の侍女たちがいますわ。もう少しです」
日乃子の励ましを受けながら進む。そんな中、背後から耳障りな音が響いた。
「おい! いたぞ!」
「化け物を捕まえろ!」
ざっざっ、と土を蹴る音と荒げられた声が次第にこちらに近づいてくる。
――見つかった。
暗闇の中から役人が刃物を構えて向かってくるのが見えた。日乃子と雪花は顔を見合わせ足を速める。
着物が重く走りづらい。軽装の役人たちはどんどん二人に近づいた。
「待て!」
「っ!」
小石につまずき、雪花はその場に倒れた。しっかりと繋がれていた手がはらりと離れる。
「雪花さまっ?!」
立ち上がろうと腕に力を込めるが、積み重なった疲労や恐怖で身体が棒のように動かなかった。このままでは日乃子も見つかってしまう。
「日乃子さま! お進みくださいっ!」
優しい日乃子を巻き込みたくない。その思いが勝り、雪花は叫んだ。
「そんなこと……!」
「大丈夫です。わたくしならなんとかしますから! 早く!」
その間に、役人たちは雪花のすぐ後ろにまで迫っていた。このまま引き戻される。これが主上の耳にでも入れば、これ以上に重い罰が下されるかもしれない。
そう思うと、ますます身体が動かなくなった。
日乃子も恐怖で一歩も動けないようだった。
役人は下品に笑う。
「手こずらせやがって! 主上さまに言いつけてやるからな! ほら! こい!」
先頭にいた役人が大股で近付き、雪花の手首を掴んだ。
ぎりぎりと締め付けられて痛い。
「い、いや……」
雑に引っ張られ、引きずられるようにして暗い道を戻りかけたその時だった。
背後から温かい声が聞こえたのは。




