雪解け
暗くて、音がない。
どこからともなく古臭いような嫌な匂いが鼻に届いた。頼りない炎を灯すろうそくが一つ置いてあるが、消えるのは時間の問題かもしれない。自分の手がうっすらしか見えなかった。
ひんやりと肌で感じる冷たさは、日の光が当たらない地下だからなのか、自分の力が漏れ出ているのかもうよく分からない。
雪花は虚ろな目で、ろうそくの炎を見つめていた。
小さな炎が今にも消えそうに揺れている。
ここに来てどのくらい経ったのだろうか。ずっと暗闇の中にいれば今が朝なのか夜なのか見当もつかない。
時折訪れる役人が、冷めた食事を持ってきた回数を数えれば、二日くらいは経っているはずだ。
ほとんど味のない薄い味噌汁に、どろどろになった粥。食欲が湧かずほとんど手はつけていないが。
(久しぶりにあんなに怒ったわ。わたくしあんなに怒れたのね)
命を軽んじる帝を見ていたら、怒りが収まらなかった。たとえ散々嫌味を言ってきた夕凪の子であっても、その命に罪はない。
だが、とうとう帝を含め、天華宮の人々に自分の力を見られてしまった。ここにきてからずっと隠し通せていたはずなのに。そして、力が見つかってしまった末路はこの有様だ。人気のない地下牢はジメジメしており、寒いし心細い。こんな不衛生な場所、虫や鼠が出てきてもおかしくないだろう。
絶望的だが、少し安心したのも事実だった。
(でも、ここなら何も気にしなくて良いのかもしれないわ)
人との関わりを断てば、感情を動かすこともないし、万が一ここで力を発動させたとしても誰にも迷惑を掛けないだろう。
(それに、もう疲れてしまった。わたくしのこんな力、やはり無い方が良いのよ)
普段より倍の力を使った雪花は疲労から壁に寄りかかり、目を閉じた。
もう十分自分は頑張った。このままここで最期を迎えるのも悪くはない。
(これで良い……のよ)
意識が遠のいていく。
がくん、と力が抜けそうになったその時だった。
しゃらん。
身体が大きく揺れたはずみで胸元から何か落ち、雪花の手に当たった。
(なにかしら……)
動くことも億劫で、薄目を開けて手元の方を見れば、闇の中に輝きを放つもの。
朦朧とする中、輝きを見つめ頭を動かす。
(あれは確か、春陽さまから……)
心の中で春陽の名を呼んだ雪花は、瞬きを繰り返した。瞬きをするたび、意識を取り戻していく。
『雪花』
脳裏に自分を見つめる優しい顔と優しい声が浮かんできた。
「……春、陽さま……」
口許が勝手に彼の名を呼ぶ。
自分を気にかけてくれた彼。その存在を思い出した途端、雪花は目を開き、身体を壁から離し座り直した。そしてかんざしを拾い、手の中に閉じ込める。
(あたたかい……)
光の少ない牢の中でも輝きを失わず、温かいかんざし。触れていると、まるで春陽の温かい手に包まれている感覚になった。
「約束、したんだわ」
自分を責めてはいけないと。自分の持つ力を認めて欲しいと。
(わたくしの力を信じる……)
氷の攻撃を帝にしてしまったのは確かに危険だ。しかし、逆を言えば、帝は攻撃されても仕方ない事をしでかしたとも捉えられる。
(あれは怒って良い事だったのよ)
雪花自身がしてしまったことを肯定する訳ではない。しかし、そう思う事で少し心が軽くなった。
(さっきの主上のことを、春陽さまに知らせなくては…… この国のために)
たとえ国の一番偉い方だとしても、夕凪のお腹の子を意図的に排そうとしたことは罪だと思う。尊い、罪の無い命を私欲のために殺めるなどどうかしている。
他にも天華宮で暮らす中で、主上に対する不可解な点はたくさんあった。
――このままではいけない。
この国を良くしようとしている春陽の力になりたい。
雪花は唇を噛み締め、上を向いた。弱音なんて吐いていられない。春陽が雪花のことを信じてくれているのなら、雪花だって、彼のことを信じ、彼の目標のために動きたい。助けたい。
そんな思いが雪花を奮い立たせる。
(まずはここから出られる方法を考えなくては)
雪花はかんざしを着物の帯部分に大切に挟むと、立ち上がった。
牢には見張はいないが、頑丈な鍵がかけられている。これを壊すのは骨が折れそうだ。だが、他に小窓も隙間もない。
(どうしたら……)
雪花は使えそうなものは無いか周囲を見回したが、もちろん、そんなものはなかった。
自分の無力さが虚しい。はぁ、と思わず大きなため息が漏れた。
ため息と共に冷たい空気が流れる。
(そう言えばあの時も……もしかしたら)
雪花はもう一度目を閉じ、胸の前で手を組んだ。
主上の顔がよぎるだけで怒りが湧いてくる。
じわじわと冷気が牢内に立ち込めた。みしみしと小さな音を立て、牢が揺れる。
(主上の好きにはさせないっ!)
かっと目を見開き、手を伸ばせば牢の入り口に向かって氷の刃が飛んでいった。
鋭く固い刃が鍵部分に一点集中、向かっていく。
すると、鈍い音と共に鍵部分が破壊された。
「できて、しまったわ……」
本当に氷の力で壊せるとは思っておらず、雪花は目を丸くした。
思わず自分の手をまじまじと見る。こんなに自分の力を上手く操れたのは初めてだったし、役に立つ使い方ができた事実が雪花の心を熱くする。
「……っは、急がなくては」
我に返った雪花は、震える足を叱咤しながら夢中で牢を飛び出した。




