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 自室に戻った雪花は、部屋の中央に置かれた二畳台に座り込んだ。


 雪花の自室はどこかひんやりしている。

 雪花が座る二畳台も立てかけられた屏風も真っ白で、繊細に描かれている雪輪模様や小さな花々が美しい。まるで真っ白な雪の世界にいるような部屋で雪花は、目を閉じた。

 襖を隔てた縁側からは、琴乃と千代のやりとりが微かに聞こえる。

 千代の声はひどく震え、自分を責めているようだった。


(そうじゃないのよ……千代)


 雪花の本心は声になることなく胸の中で溶けて消える。

 千代に分かりやすく、もっと丁寧に説明すれば誤解を生むことも無かっただろう。

 だが、人と時間を共にして、多くを語れば知らず知らずのうちに感情が表に出てしまうこともある。

 感情を出して誰かに迷惑を掛けるなら、誤解されても良いから飲み込んだ方が良い。感情が揺れた時ほど、周囲を巻き込む力が溢れ出してしまうのだから。


 ――だから、人とはなるべく関わりを持ちたくない。


『さぁ、お部屋に戻りましょう?……え? いいえ。雪花さまは怒っているわけではないわ。大丈夫よ』


 琴乃は全てを察したようだ。

 さっきまで怪訝な顔をしていたが、雪花の意図を汲み取り、変わって千代に伝えてくれている。

 いつも雪花のことを考え、動いてくれる琴乃には本当に頭が上がらない。

 高官の娘として育てられ、本来であれば、皇后候補の座は琴乃だったはず。それなのに選ばれたのはなぜか自分だった。恨まれても仕方がないと思っていたのに、「雪花お姉さまが心配だから」の一点張りで、筆頭侍女としてついてきてくれたのだ。


 琴乃がいなくては雪花はここにいられないだろう。

 きっと、全てが誤解にまみれて呼吸が出来なくなってしまう。

 人との関わりを避けている雪花にとって琴乃は、人との繋がりを作る唯一の存在だ。

 他の妃や帝など六花殿外の人間とはもちろん、数少ない自分の宮殿の侍女たちとの仲介もしてくれる。


(わたくしの宮殿の侍女が少ないから、千代にも無理をさせてしまったのかしら。他の侍女たちも大丈夫かしら)


 ため息を飲み込むように、雪花は唇を噛み締めた。


 今日の千代はどう見ても具合が悪そうだった。

 掠れた声に、熱が上がっている最中なのか小刻みに震えていた身体。

 きっと周囲に気遣い隠していたのだろう。具合が悪い中、仕事をすれば判断を誤ることも容易に想像できる。

 雪花の食事の用意、洗濯、それから広い宮殿の掃除や管理。他の妃の侍女は数十人といる中、六花殿はたったの十名。侍女の人数が少ないと一人の負担がどうしても大きく、疲労がでてしまうのも納得できる。

 侍女たちには申し訳ないことをしていると思ってはいるが、自分の周りに人が多くいる場面は避けたい。

 だが、今回の千代のように働き詰めで体調を崩させてしまうことが増えるのであれば、何か策を講じなくてはならない。

 自分の不甲斐なさと周囲への申し訳なさが身体から吹き出しそうになるのを必死に抑えた。


(落ち着いて、大丈夫)


 胸に手を当てて深呼吸を繰り返し、自分に言い聞かせる。それを繰り返していると、室外から声が掛かった。


「雪花さま、失礼致します」


「はい、どうぞ」


 琴乃の声で我に返り、心を落ち着けて返事をする。

 部屋に入ってきた琴乃は、雪花を見てふわりと笑った。


「千代は部屋に戻りました。今朝から熱があったそうです。雪花さまに感謝しておられましたよ」 


 静かに襖を閉め、雪花の正面に座った琴乃は、雪花が去った後のことを教えてくれた。


「そう。あとで身体に良いものを差し入れてあげて」


「はい、かしこまりました。それにしてもよく気が付かれましたね。雪花さまが言わなければ私も気がつきませんでした」


「侍女をまとめる者として失格ですね」と琴乃は眉尻を下げた。


「たまたまよ。そう、たまたま」


 雪花は畳に目線を落としながら呟いた。

 琴乃が侍女失格なわけが無い。いつも雪花のことを想い、奔走してくれる姿を近くで見ている。

 今日、千代の体調に気付いたのは、本当にたまたまだ。


「やはり雪花さまはお優しいのですね」


「そんなこと……」


 自分を否定する雪花の言葉は、琴乃の柔らかい声に掻き消された。


「ところで、先程の文はお読みになりましたか?」


「……いいえ、まだ」


「受け取ってしまったのですから、確認しなくてはいけませんね」


 文のことなど、すっかり忘れていた。雪花は、懐にしまっていた文を取り出す。

 表には美しい文字で雪花の名が書かれていた。

 そして手紙を丁寧に広げていると、ふわりと春のひだまりのような優しい匂いが鼻をくすぐる。


(香かしら? 良い匂い……)


 文香なんて洒落たことをする。雪花は美しい文字を目で追った。


「日乃子さまはなんと?」


 日乃子からの文に、琴乃は興味津々だった。読み終えた雪花は文を雑にたたみ、簡単に伝える。


「……日和殿で茶会を開くからぜひにと」


「茶会ですか? 雪花さまと日乃子さまお二人で?」


「文にはそう書いてあるわ」


 雪花は読み終えた文を琴乃に差し出した。受け取った琴乃は一読し、首を捻る。


「二人きり…… 日乃子さまはどのようなおつもりなのでしょう?」


 妃は茶会をすることが多い。

 だがそれはただの楽しい場ではなく、情報交換会。

 顔に笑みを貼り付けながら、互いに腹の中を探り合うもの。

 妃たちにとって茶会は当たり前のことだが、雪花は誘われても断り続けていた。妃たちと茶会など心臓に悪そうで行けたものじゃない。


「これは行かないという選択肢は……」


 縋るような目で琴乃を見る。琴乃は渋い顔をしていた。


「難しいでしょうね。文を受け取ってしまったのですから」


「……」


 これまでは中身を読まずに門前払いしていたが、受け取ってしまったものは仕方がない。

 気が進まないが、腹をくくらなければ。


「少しだけお顔を出して、すぐに帰れば大丈夫だと思いますよ、雪花さま。私もおそばにおりますし」


「そうね……」


 雪花が小さく頷くのを確認した琴乃は、「そうしましょう」と笑った。


「それにしても日乃子さまは雪花さまのことをとても気にされていますね。文を拒否しても何度もくるんですもの」


「……」


 日乃子と聞き、柔らかい茶色の髪が魅力的な可愛らしい妃が頭に浮かんだ。

 天華宮の東側に位置する日和殿に住む妃だ。

 雪花自身は距離を置こうとしているが、日乃子はやたらと関わろうとする。

 偶然出会った時は話しかけてくるし、茶や菓子などを贈ってくれる。

 受け取ったのは今回が初めてだが。

 いくら雪花がそっけない態度を見せても、あまり気に留めている様子もない。こっちの調子が狂ってしまうほどに。


「茶会も本日午後なんて急ですね。雪花さま、私は日和殿にお持ちする手土産の用意などして参りますね」


「えぇ」


 琴乃はばたばたと部屋を出る。遠くで侍女たちに何やら指示をする声が聞こえた。

 琴乃の背中を見送った雪花の口から、冷たいため息が漏れ、一瞬部屋を冷やした。

 

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