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 熱さを感じない。


 恐る恐る目を開けた雪花の視界に入ったのは、地面に落ちて弱くなった炎だった。

 自分の力が発動したのか、束の間の出来事でよく分からなかったが、大事にならなかったことに、雪花は長く息を吐いた。


 意識を周囲に向けると、雪花は自分の身体に違和感があることに気づく。

 視線を辿れば、雪花は春陽の大きな身体に包み込まれていた。


「間一髪、ですね。お怪我はありませんか?」


「……は、はい」


 どうやら雪花の力が発動したわけではなく、春陽が手を引いて火から遠ざけてくれたようだった。

 手を引かれ、そのまま春陽の腕の中に飛び込んでしまっていた。

 麗しい顔に似合わない逞しい腕に胸が高鳴る。


「申し訳ございません、春陽さま……」


 腕から抜け出し、頭を下げる。顔を上げた雪花は春陽の腕を見て声を上げた。


「春陽さま……その腕」


 よく見れば春陽の着物の袖口が焦げ、そこから覗く肌が赤く腫れていた。

 雪花を庇ったせいで、燃えた枝が彼に当たってしまったのだろう。


「大したことはありません」


 春陽はさらりと言った。涼しい顔で言っているが、腕の赤みは広範囲に広がっている。その痛々しさに雪花は顔を歪めた。


 夕凪はまずいと思ったのか、雪花と春陽が取り込んでいる間に姿を消していた。だが、夕凪を追いかけるよりも春陽の腕が気になってしょうがない。


「春陽さま、早く手当を……」


 焦る雪花とは対象に、春陽は落ち着いていた。焦れば焦るほど風が蝋梅の木を揺らす。


「このくらい大丈夫ですよ。落ち着いて下さい」


「……手当致しますので、六花殿においで下さい」


 雪花は春陽の手を掴むと、六花殿に急いだ。

 自分のせいで春陽に怪我を負わせてしまった罪悪感が大きすぎて、胸が苦しい。

 雪花の苦しみが白い砂のようなごく小さな粒状の氷になり、雪花が通った道に撒かれていく。

 だが、春陽の怪我のことにしか目がいかない雪花は、気付くこともなく足を進めるのだった。


 



 雪花は自室にたどり着くと、春陽を二畳台に座らせた。


「ここで少しお待ちください」


「……くっ」


 火にあたった部分を冷やすための氷や薬を持ってくるために離れようとしたその時、春陽から小さなうめき声がした。


「春陽さま?」


 振り返ると、春陽は右腕を押さえながら歯を食いしばっていた。


「いかがされましたか?」


 先程の余裕そうな様子とは打って変わって、痛みを堪える姿に雪花は動揺が隠せなかった。駆け寄り、袖口を捲って腕を見れば、深い火傷だったことが分かる。赤みを帯びていただけだった患部はいつの間にか大きく膨らんでいた。


(酷い火傷……)

 

 これでは氷で冷やしても跡が残るだろうし、痛みが引くまで長引いてしまう。


(どうしましょう……)


 痛みを堪える春陽を前に、血の気が引いていく。自分のせいだと己を責めることしかできない。

 雪花の指先が氷のように冷たくなっていく。

 ふと、雪花は自分の指先を見つめた。


(もしかしたら、今の私の手の冷たさなら)


 ――患部の炎症を抑えられるかもしれない。


 今の苦しさ、怒りの感情を出せば急速に火傷を冷やし、進行を止められるかもしれない。そんな考えが浮かぶ。

 しかし、それをしてしまえば、雪花の力を春陽に知られることになる。

 そうすれば、春陽はどう思うのだろうか。


 もしかしたら、今まで通り優しくしてもらえなくなるかもしれない。

 もしかしたら、雪花から離れていくかもしれない。

 もしかしたら、気味悪がられるかもしれない。 


 だけれども――


 目の前で痛みを耐えている春陽が治るのであれば、それでも良い。

 このまま何も出来ないのは嫌だ。

 雪花は汗ばむ手をぐっと握った。

 一つ深く息を吸い込むと、春陽の右手に触れ、自分の方に引き寄せた。


「ゆ、雪花殿……?」


 春陽は顔を歪ませながら、焦りを含んだ声を上げた。


「春陽さま」


 雪花は春陽の患部に優しく触れながら、静かに話し始めた。


「春陽さま、少し目を瞑っていただけませんか?」


「え?」


 首を傾げる春陽に雪花は、眉を下げながら笑みを浮かべた。

 戸惑う春陽を差し置いて、雪花は目を瞑った。患部を包み込むように手を置けば、雪花の指先から、淡い霜が広がる。


(春陽さまのお怪我が、綺麗に治りますように)


 心の中で何度も繰り返す。

 霜は春陽の火傷を優しく包み込み、熱を静かに奪っていった。


「これは……」


 春陽は目を閉じるのも忘れ、息を呑んで雪花を見る。まじまじと見られる視線に耐えながら、雪花は手に力を込めた。

 赤みが引いた頃、雪花はゆっくりと手を離した。


「……これで大丈夫だと思います」


 雪花の声に春陽が自分の腕を見る。そして目を見開いた。


「火傷が、治っている…… それに痛みもない」


 春陽の手は水脹れも無くなり、赤みも完全に引いていた。元のきめ細やかな肌に戻っている。

 雪花は安堵したと同時に、もうこの力を隠し通せない現実を味わうのだった。


(これで良いのよ。これで)


 春陽が離れてしまっても、彼が無事に過ごしていれば良い。

 そう思っていたはずのに。


(どうしてこんなに、苦しいの……)


 心臓を鷲掴みされたような苦しさが雪花を襲う。

 雪花はじわりと滲む目元を隠すように下を向いたまま立ち上がった。


「……あとは安静にしていて下さいませ。それではわたくしはこれで……」  


「雪花殿」


 多くを語らず立ち去ろうとした雪花の手首を春陽が掴んだ。


「お待ち下さい」


「は、離して下さい……!」


 驚いた雪花は春陽の手を振り払おうとした。

 しかし、男の力には敵わない。

 そのまま手をやんわりと後方に引かれ、向かい合わせに座らせられた。

 春陽を直視できず、畳を眺める。

 手は繋いだまま、音のない時間が過ぎていった。



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