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何はともあれ一件落着と胸を撫で下ろした雪花だったが、この日はこれだけでは終わらなかった。


(なぜ、六花殿にいらっしゃるの……?)


 目の前にいる人物のせいで食事が喉を通らない。

 昼の騒動があったからと琴乃が雪花の好物を食卓に並べてくれたというのに、箸を持つ気が起きなかった。

 理由は普段ここに来ることのない人が、珍しくいるからである。


 硬い黒色の髪に黒い瞳。がっしりとした骨太の体格。帝である。

 帝が雪花の元を訪れることはほとんどない。それに食事を共にするのは片手で数えられるくらいしかないのに、珍しく今、雪花の前で食事をとっているのだ。

 雪花のことを気にも止めず、無言で食事を口にする。二人の空間は会話もなく、しんと静まり返っていた。


(主上はなぜ……)


 ちらと帝を盗み見るが、勢いよく酒を飲むばかりで意図を理解できなかった。

 ただ、理由もなく六花殿を訪れるわけはない。何かしらあるのだと思うが、声をかけるべきなのか胸の内で葛藤を繰り広げていた。


「おい」


「……はい」


「人払いをしろ」


「……はい?」


 音を立てて盃を置いた帝は、鋭い目つきで雪花を見た。何を言われているか一瞬理解できなかった雪花は思わず聞き返す。

 帝は眉間に皺を寄せて低い声を発した。


「人払いをしろと言っているんだ」


 重々しい声に、良からぬことが起きたのかもしれないと雪花は身体を強張らせた。だが、それが態度に出ないように努める。


「……承知いたしました。琴乃」


 琴乃に目配せすると、不安が拭えない表情をしたまま見つめられた。大丈夫だと気持ちを込めて頷くと、琴乃は渋々引き下がった。


 二人きりの部屋。料理はいつの間にか冷え切っていた。

 正面に座る帝をまっすぐ見られない。雪花は視線を彷徨わせた。

 沈黙を破ったのは、低い野太い声だった。


「一つ良いことを教えてやろう」


「……」


 帝は吐き捨てるように囁いた。


「蒼玉のかんざしが見つかった」


「……そうですか」


 その報告のためにわざわざ宮殿を訪ねたのか。いや、そんなはずがない。

 だが、雫にとって大切なものが見つかったのは喜ばしいことだ。

 かんざしは皇后候補を象徴する物。見つからなければどうなっていたのだろう。

 しかし、ほっとしたのも束の間、帝はとんでもないことを口走った。


「私は蒼玉のかんざしの在処を知っていた」


「……!?」


 思わず顔を上げると、嫌な笑みを浮かべた帝と目が合った。


「それはどういう……」


「私が紛失させたように見せかけたのだからな」


 息が詰まる感覚に陥る。

 平然と酒を飲みながら言い放った言葉の意味を雪花は上手く理解できなかった。

 なぜ、どうしてと疑問が次々に湧いてくる。

 帝はかんざしの在処を知りながら、大袈裟に騒ぎを起こしたというのか。

 雪花は呼吸を整え、帝をしっかりと見据えた。


「なぜ、そのようなことを」


 動揺が伝わらないように、表に出ないようになるべく冷静に答えるが、声が出しづらい。喉が狭まって声を塞いでいる感覚。


「ふっ」


 帝は鼻で笑うと、雪花に鋭い視線を向けた。凍てつくような視線に思わず背中が凍りつく。


「なぜと申したか?」


「……」


「良いだろう、特別にお前に教えてやろう――雫のかんざしはな、日乃子の宮殿で見つかったんだ。お前のせいでな」


「……っ!?」


 雪花は目を見開き、固まった。

 帝の声が何度も頭をこだまする。

 確かに日乃子と最近関わりが多かったのは事実だ。しかし、雪花のせいとはどういうことだろう。

 聞きたいことはたくさんあったが、まず何から聞けば良いのか分からない。


「……お前は最近、やけに日乃子と仲が良かったそうだな」


 帝の言葉が右から左へ流れていく。


「……日乃子さまはお優しい方なのです。こんなわたくしを気にかけて下さって……」


「ほぅ、そうなのか」


 帝は、雪花の話を最後まで聞かずに遮った。


「これは私から日乃子への罰だ」


「罰……」


「日乃子がお前を庇う様子が私は気に入らない。私に対して愛想もない、無表情なお前の肩を持っているようで見ていて腹が立つ」


「……」


「だから少し罰を与えたまでだ。雫のかんざしを時雨殿から持ち去り、日和殿にこっそり隠した。そして側仕えたちに探させて仕立て上げたまでだ。全ての宮殿を見た方がより現実味があるだろう? 我ながら傑作だ」


 淡々と悪行を語られ、雪花は目眩さえした。


「日和殿からかんざしが出てきた時の日乃子の顔は傑作だったな。青ざめて倒れそうになっていた」


 何も面白くないのに帝は不気味な笑みを浮かべるだけだった。


 ――私のせいで、日乃子さまが。


 こちらがいくら突き放しても優しく接してくれる日乃子が、自分のせいで追い詰められているのは心苦しい。

 あの優しい笑顔が歪む姿など想像したくもない。

 申し訳なさ、悲しさ、怒りが湧き起こる。

 それに伴って、外から冷風が吹き込み、襖をカタカタと揺らす。


「ふ、いいか、雪花。他の妃を巻き込みたくないのであれば、余計なことを吹き込まないことだ。ここは私の天華宮。私を崇めない者は即刻罰せられる、これを心に留めておけ」


 襖の隙間から冷たい空気が入り込み、一気に部屋の温度を下げた。風は段々と強くなっていく。


「冷えてきやがった」と小声で呟いた帝は、身体をさすりながら立ち上がり、固まったままの雪花の横を通り過ぎた。


「お前も本来であれば即刻追放なのだぞ、雪花。お前は私を不快にする元凶なのだからな。……だが、こればかりは仕方ない」


 襖を乱暴に開け放った帝は、大股でその場を離れた。

 大きく開いた襖からは、肌を刺すような風が吹き付ける。庭には、うっすらと氷の膜が張られていた。


(どうして、こんなことに……私のせいで日乃子さまが……)


 雪花はしばらくの間動けず、畳を見つめていることしかできなかった。

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