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結局、六花殿からは何も見つからなかった。
確認を終えると早速と去っていく側仕えたち。残ったのは疲労だった。
側仕えが帰ると、雪花はぐったりした表情で自室の二畳台に座り込んだ。
琴乃が淹れてくれたお茶から沸き立つ湯気が、冷え切って姿をなくす。
雪花は侍女たちをなるべく自室に近づけないように言い聞かせると、部屋に篭った。
「大丈夫でございますか? 雪花さま」
事情を知る琴乃だけは雪花のそばに残り、心配そうな目を向ける。
「えぇ、なんとか」
「ご無理はいけませんよ。いくら主上さまの命令であっても宮殿の中を捜索するのはやりすぎであって……お気持ちが沈んでしまってはいけませんよ」
「……ありがとう、琴乃。私を守ろうとしてくれて」
すとんと口から落ちた感謝の言葉。その言葉に、琴乃は顔を明るくさせた。
「とんでもございません……! 私は侍女として当然なことをしたまでで……!」
「そんなことないわ。琴乃がいると心強い」
「これからも私がお守りしますから」
この笑顔に何度救われてきたのだろう。
この声に何度励まされてきたのだろう。
「私のことは考えず、雪花さまのお心が穏やかになる決断をして下さいね」
にこりと笑む琴乃につられ、雪花の唇が弧を描きそうになるのを必死に堪える。
天華宮にいて辛いことや腑に落ちないことはたくさんある。その度に雪花の心はころころと動いてしまう。
でもたった一人でも雪花のことを理解し、寄り添ってくれる存在がいるのは心強かった。
「そういえば、日和殿の侍女いらっしゃいませんね。今日お茶を届けに来るとのことでしたが」
日乃子と木の下で会ったあの日に、今日の午後にお茶の葉を届けると言われていたのだ。確かに日は傾き始め、あたりが橙色で染められているというのに、まだ見えていない。
「私、勘違いをしてしまったのかしら」と琴乃が呟くが、しっかりしている琴乃が間違えるはずないだろう。
「……何かご用事や事情があるのかもしれないわね」
突然帝が訪ねてきたとか、他の妃との茶会が入ったとか。
色々想定はできる。だから、雪花はそこまで気にしていなかった。
それがこの後雪花の感情を激しく揺さぶることに繋がるとは思いもしなかった。
◇◇◇
目の前で酒を楽しむ男の意図が分からない。
春陽は歯を食いしばりながら目前の男を見た。
昨夜は大量の仕事に追われ、明け方まで仕事をしていたこともあり、起きたのは普段より遅かった。
自室を出た瞬間に違和感を感じた。
側仕えたちが天華宮内をバタバタと走り回り、忙しなく動いている。
宴の準備時や有事の際にはバタつくことはある。しかし、今日の予定は何もないし、何かあればすぐに春陽の元へ連絡が来るはずだ。
春陽は通り過ぎようとしていた側仕えを呼び止め、事情を聞いた。
「雫さまの蒼玉のかんざしが紛失されたそうで……」
早い時間から動き回っていたのだろう。側仕えの額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「かんざしがなくなっただけでこんなに大事になるものなのですか?」
的確な春陽の質問に、側仕えは視線を彷徨わせながら、小声で言った。
「いや、それがですね…… かんざしを探すために全ての宮殿に立ち入るように言われておりまして……」
「全ての宮殿?」
「はい…… 他の妃の宮殿にはないはずですと何度も申し上げたのですが、良いから探せとの一点張りでして」
妃の立場で盗みを働けば、追放される可能性もある。
何度か妃たちと顔を合わせているが、そのような馬鹿な真似をする妃がいるとは思えないし、他の宮殿に入ったとて勝手に行動するほど非常識な妃はいないはずだ。
それなのに何故全ての宮殿を調べる必要があるのだろう。
嫌な空気が身体にまとわりつく。春陽はそのまま帝の元へ足を向けた。
「失礼します、兄上」
金色の襖の向こうには、昼間だというのにすでに酔いが回り顔を赤くしている帝がいた。
ため息を吐きそうになるのをぐっと堪える。
なんて愚かな兄、帝だろう。
「なんだ春陽、私を訪ねるなど珍しいな」
「お楽しみのところ申し訳ありません……一つお聞きしたいことがありまして」
「なんだ?」
「……なぜ、全ての宮殿に立ち入りの命を下したのですか?」
言葉を告げた途端、場の空気が一気に冷えたのが分かった。身体に寒さが突き刺さり身震いしそうになる。
「……ほう」
帝は大きなため息を吐くように、野太い声を放った。
「お前に何の関係がある?」
「恐れながら、やり方が少々荒っぽいと思われます。雫殿のかんざしが他の妃の宮殿から出てくるなど普通であれば考えられないでしょう」
他の宮殿で不審な動きを見せれば、侍女たちに止められるに決まっている。そう簡単に他の宮殿の物を持ち去ることはできないはすだ。
「……お前は私のやり方が間違っていると言いたいのか?」
ぐっと帝の眉間に皺が寄り、険しい顔つきになる。その鋭い目つきで春陽を睨むが、こちらも簡単には引き下がれない。
真っ直ぐに帝を見る。
「……いえ、間違っているとかそういうことではありません。ただそこまで大事にしなくても良いのではと思いまして。何か理由でもあるのですか?」
「……理由、理由か……」
帝は立派に蓄えられた黒髭を触りながらぼやく。
「理由など深いものは特にない。だが、少し現実を見せようとしただけだ」
「……現実?」
帝は立ち上がり、足を襖に進めた。
「どこに行かれるのです?」
「六花殿だ」
「……」
帝が六花殿に足を運ばないことは知っていた。それなのに今行く理由が分からない。
ふと頭に思い浮かぶ、あの触れればすぐに壊れてしまいそうな儚い妃の顔が。
何が起ころうとしてるのか分からないが、胸の中が激しくざわついた。――あの妃に理不尽な矛先を向けさせてはいけないと自分の中で警告音が鳴る。
「お待ちくださいっ、なぜ六花殿にっ……?」
何か良からぬことが起きそうな予感がする。
そう思い声をかけたが、帝の姿は遠ざかり、春陽の声など聞く耳も持たないようだった。
(なんてことっ……。またあの妃を傷つけてしまうのか……)
表情はあまり動かないのかもしれない。しかし、悲しみ、怒りを全く感じないわけないだろう。
春陽は帝が立ち去った方向を見つめ、手を握りしめた。




