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 気が付けば、口走っていた。

 驚き目を丸くする雪花としっかり目が合う。天色の瞳の奥は、ゆらゆらと何か不安を感じているように揺れている気がした。


「……」


 固まったまま雪花は動かない。静かな時間だけが過ぎていく。


「何事もなかったかのように凛と立ち振る舞っているようでしたが、本当は思うことがあったのではないですか?」


「……」


 なるべく優しく問いかけていくも、雪花は沈黙するばかりだった。


「夕凪殿の態度に嫌な思いはされなかったのですか? 茶がかかり、熱いとなぜ訴えなかったのですか? なぜ、己の心の内を隠しているのですか?」


 一つ言葉をこぼすたび、春陽の中で雪花に聞きたいことが溢れ出て、止まらなくなった。

 まるで息が止まっているように雪花は動かない。困らせていると自覚しているが、聞かずにはいられなかった。

 雪花の口が小さく開いた。そして、震えた声を絞り出す。


「……どうしてわたくしのことを気にかけてくださるのですか?」


 雪花がただぽつりと呟いた。いつの間にか天色の瞳は自身の膝の上の手を捉えている。


「どうしてと言われましても」


「……わたくしのことなど放っておいて下さい。あなた様には関係ありません」


 冷静な突き放すような声色。だが、春陽は気付いてしまった。

 固く握る雪花の手が小刻みに震えていることを。

 何かに耐えるように、唇を噛み締めていることを。


(やはり、何かあるのだろう)


 凛として、冷静な雪花はきっと、彼女が作っているものだろう。本当の姿はもっと違うのかもしれない。漠然とそう思った。


「雪花殿」


 春陽は深く息を吸うと、雪花を呼び止めた。雪花はこちらを向くことはないが、話を続ける。


「私は天華宮を管理する役割を担っていますから、理不尽なことは見逃せないのです。それに」


 春陽は言葉を切ると膝を詰めた。そして、震える手にそっと自分の手を重ねる。

 雪花の手は驚くほど冷たく、ぴくりと自身の手が動いた。だが、それに構うことなく雪花の手を温めるように包み込む。

 はっとした雪花と至近距離で目が合った。


「私はあなたのことがとても気になる。あなたのことをもっと知りたい」


「……!」


 さあっと風が吹いた。秋に似合わない、冬の空気を含んだような風が二人の髪を靡く。


「気持ちが表に出なくても、うちに秘めているものは必ずあるはずです。私はそれが知りたい」 


「……どうして」


「何かありましたらいつでも声をおかけ下さい。力になりますから」


 雪花の問いに答えず、それだけ言うと、春陽は立ち上がり颯爽と立ち去った。

 回廊を歩きながら雪花のことを考える。


(彼女は兄の皇后候補。一人に肩入れしてはいけない)


 分かっている。

 皇后候補である雪花一人を構ってはいけない。天華宮を、天華国を立て直すために戻ってきたというのに、皇后候補の一人が気になってしまうとは。

 でも、頭から離れない。

 何かを堪えようとする仕草や表情。何があっても平然としようとする態度。

 彼女が何かを隠していることは定かだ。


 ――それを知りたい。力になりたい。


 そんな思いが込み上げるのだった。




 ◇◇◇◇




 六花殿から戻り、自室で大量に積まれた仕事をこなしていた春陽はため息を吐いた。

 仕事をしているつもりだったが、先程のことが気になってどうも進まない。

 筆を置き、吸い寄せられるように襖に近づく。大きく開け放つと、ちょうど夕日が沈みかけるところだった。

 沈みゆく夕日を眺めながら、物思いにふける。


「春陽さま、今お時間よろしいでしょうか?」


「あぁ」


 思考を巡らせていた春陽は、側仕えの和正からの声で我に返った。和正は春陽の横で跪き、頭を下げていた。


「中庭に来ていただけませんか?」


「中庭? 何かあったのか?」


「はい。実は、日乃子さまと夕凪さまが口論をされておりまして……」


「中庭で口論? いったいなぜ……」


「私も今、他の者から連絡を受け取ったばかりで詳細が分から無いのですが。結構激しく口論なさっているようで……」


 先程より深いため息が出る。

 妃という立場である人たちが、人目のつくところで口論などどうかしている。


「……兄上はどうした? まず私より兄上に相談するべきでは? 兄上の妃なのだから」


「それが主上は……」


 和正の返答の歯切れが悪くなった。その様子だけで春陽は兄の様子をだいたい把握し、またため息をついた。


「その様子だと、どこぞで遊んでいるのか」


「……主上は、雫さまのところにいらっしゃいます」


 呆れた兄だ。

 たった四人しかいない妃を見ることもできないのか。

 不甲斐なく何も言えない。


「なら仕方ない。行くか」


 大量の仕事はそのままに、足早に部屋を出る。

 夕日が傾く回廊を急いで横切り、庭に出た。

 遠くからでも聞こえる妃たちの言い争う声と、周囲の人々のざわめき。

 春陽は紺青色の髪を靡かせながら、人だかりに向かった。

 周囲の見物者たちは春陽の姿を見ると、頭を下げ、道を開ける。開かれた道を堂々と進むと、はっきりと話し声が聞こえてきた。


「だから、何度もおっしゃっているでしょう? わたくしは何も知りませんわ」


「いいえ、そんなはずありません! あれはわざとですわ」


「何を証拠におっしゃっているの?」


「そ、それは……」


「証拠もないのに人を疑うのはよしてください!」


 白熱する言い争いに、春陽が近づいたことも気が付かない。春陽は心の中で呆れながらも、顔には笑みを貼り付け、声をかけた。


「妃たちがこんな場所で大声を出すなんて、いかがされましたか?」


 低く穏やかな声に妃たちの動きが止まる。そして、ゆっくりと声の主へ顔を向けた。


「春陽さま……」


「し、失礼致しました……」


 ばつが悪そうな顔を浮かべた日乃子とふてくされた様子の夕凪。春陽は二人に笑みを絶やさず話を続けた。


「日乃子殿も夕凪殿もいかがされましたか? お二人が声を荒げるなんて何か問題でもありましたか?」


「そ、それは……」


 日乃子は苦々しい顔をして地面を見つめた。だが、夕凪は違った。潤んだ目を春陽に向ける。


「昨日の宴の話をしておりました。……日乃子さまはっ、わ、私がわざと雪花さまに、お、お茶をかけたと疑うのですっ……! 証拠もありませんのに……!」


 ほろほろと涙を流しながら夕凪は訴える。

「私はそんなこと致しませんわ」と何度も言う隣で、日乃子はぎゅっと扇子を握り、歯を食いしばっていた。


「日乃子殿?」


「……確かに証拠はございません。ですが、おかしいのです」


「おかしい、と言いますと?」


「雪花さまはお茶を被ったあと、手が真っ赤に赤くなっておりました。しかし、大体同じ頃に出された私のお茶は、火傷するほど熱くはなかったのです。どう考えても、雪花さまの茶碗に故意的に熱湯を入れていたとしか考えられません」


 日乃子はよく周りを見て、些細な変化に気付くことができている。

 言われてみれば、雪花の茶碗からは結構な湯気が出ていた気がする。遠目からではっきりと見えなかったが、そんな熱湯でお茶を淹れれば、風味が落ち、渋みも多く出てしまうだろう。

 だが、お茶の味はそんなに変だった記憶もない。


「……雪花さまは、色々と勘違いされてしまう方かもしれませんが、決して悪い人ではありません。雪花さまに謝罪してください」


 日乃子が言い放つと、夕凪は顔を真っ赤にさせた。


「謝るですって? あんな方に謝る必要などございませんわ!」


 売り言葉に買い言葉。これでは埒が開かない。


「落ち着いて下さい。日乃子殿、雪花殿に先程お会いしましたが、大丈夫そうでしたよ。きちんと治療もされていたようなので、すぐに治ると思われます」


「それは、良かったです……」


「そして夕凪殿、わざとではないとは思いますが、宴の席での立ち居振る舞いには十分お気をつけ下さいね」


「……っ」


 春陽に言われて面白くないのか、夕凪は黙り込んだ。


「それでは、私はこれで」


 一件落着、と春陽が踵を返したその時。


「い、痛い……」


「ゆ、夕凪さま!?」


 夕凪がお腹を抑え、その場に崩れていく。香風殿の侍女たちが夕凪を取り囲み様子を見るも、かなり苦しそうだった。

 息が荒く、脂汗が浮かんでいる。


「夕凪さま? 大丈夫ですか? どこが痛みます?」


 侍女の問いかけにも答える余裕もないようだ。


「和正! 至急、医官と兄上に連絡せよ!」


「か、かしこまりました」


「香風殿まで私が連れて行きましょう」


「春陽さま、申し訳ありません」


 苦しむ夕凪を抱き抱え、春陽は香風殿に急いだ。


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