■第76話 怠惰な寺院と『フライ』の薬、そして小さな相棒
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天空の浮島へと続く大階段の頂上で、案内人さんの小さな背中が見えなくなるまで見送った僕は、一つ大きく深呼吸をして空を見上げた。
「……よし。行こう」
少しだけチクリと痛む胸の奥を奮い立たせ、僕は天空の浮島の市街地へと歩みを進めた。
そこは、これまでの石造りの街並みとは違い、透き通るような白亜の建築物と、風車、そして至る所に「雲」を使った不思議な施設が点在する、まさに空の楽園のような美しい場所だった。
まずは恒例のルーティンだ。僕は街の人に道を尋ね、この街に用意されているはずの神様の補給所を探した。
路地の奥にひっそりと建っていたその木造の建物の看板には、力の抜けたようなだらしない筆致でこう書かれていた。
『怠惰な寺院』
「……『手頃』『適当』『気楽』と来て、ついに『怠惰』か」
大雑把な神様のネーミングセンスにツッコミを入れつつ、中に入る。
カラン……と気の抜けたようなベルが鳴った先の祭壇には、人をダメにしそうな巨大なフカフカのクッションが置かれ、だぼだぼの神官服を着た少女が、顔の半分を埋めて丸まっていた。
「……むにゃ。あー、いらっしゃーい。チート弾きちゃった一般人様でしょ……神様から聞いてるよぉ……」
「うん、僕だけど。君、もうちょっと神官らしくシャキッと……」
「シャキッとするのは疲れるからヤダぁ……。はい、これ、天空用の新しいポーションねぇ……」
怠惰な神官ちゃんは起き上がる気配すら見せず、クッションに埋もれたまま片手だけを伸ばして、ふわふわとした白い液体が入った小瓶を差し出してきた。
「これはどんな効果があるんだ?」
「天空専用の『フライ』のポーションだよぉ……。飲めば、ほんの数秒間だけ体が宙に浮くのぉ……。ジャンプするのが面倒な時に使うと、すっごく怠惰になれていいよぉ……むにゃ」
「数秒間だけ浮く薬か。なるほど、空のダンジョンには必須になりそうだな」
これまでのバフや魔法と違い、完全な移動補助用のポーションだ。僕はいくつかストックをもらい、そのまま冒険者ギルドへと向かった。
天空の浮島のギルドは、空の猛者たちが集うだけあって、非常に洗練された雰囲気だった。
僕がカウンターに向かおうとした、その時だ。
「あのっ! そこの重そうな鎧のお兄さん!」
不意に、銀の鎧の袖をグイッと引っ張られた。
振り返ると、少しサイズの合っていない魔法使いのようなローブを着た、まだ年若い――僕の妹と言っても通じそうなほどの、小柄な女の子が必死の形相で立っていた。
「お願いです! 私と、パーティを組んでくれませんか!?」
「……へ? パーティ?」
予想外すぎる勧誘に、僕はポカンとしてしまった。
僕はこれまでずっと完全なソロ(単独)でやってきた。バベルの街でも何度か誘われたことはあるが、自分のバケモノじみたステータスと独自のペースを乱されるのが嫌で、すべて断ってきたのだ。
「ごめんね、僕はソロで活動してるんだ。他の人をあたって……」
「そこをなんとか! 銀騎士様!」
なんと、断ろうとした僕に食い下がってきたのは、その女の子ではなく、カウンターの奥からすっ飛んできたギルドの受付職員だった。
「ちょっ、ギルドの人までどうしたんですか!?」
「実は、この子はまだ駆け出しでして……他のベテランパーティには『足手まといになる』と全く相手にされなかったのです。ですが、天空のダンジョンはソロで挑むには危険すぎます。ギルドとしても、彼女一人に許可を出すわけにはいかず困り果てていたところで……!」
「うぅ……私、絶対に足手まといにはなりません! 一生懸命サポートしますから、どうか連れて行ってください!」
涙目で懇願してくる小柄な女の子と、深々と頭を下げるギルド職員。
……ズルい。こんなの、断れるわけがない。
「……はぁ。わかりましたよ。とりあえず、一時的なパーティってことでいいなら」
「本当ですか!? ありがとうございます!! よろしくお願いします、お兄さん!」
彼女は、パァッと顔を輝かせて僕の手を両手でギュッと握りしめてきた。
かくして、僕は思いがけず「小さな相棒」と一時的なパーティを組むことになり、二人で天空のダンジョンへと向かうことになった。
「……なるほど。こりゃあ、ギルドがソロの初心者を止めるわけだ」
街の奥にある天空ダンジョンの入り口を抜けた僕は、眼前に広がる光景に息を呑んだ。
そこは、底が見えない果てしない青空の中に、大小様々な『浮雲の島』が点々と浮かんでいる、広大な三次元の立体迷宮だった。
上の階層へ進むためには、この不安定に浮かぶ島々をジャンプして渡り歩かなければならないのだ。
「魔法少女ちゃん、落ちないように気をつけて……って、うおっ!?」
僕が気合を入れて最初の浮島へ向かってジャンプした瞬間。
足元から、恐ろしいほどの『重力』の引っ張りを感じた。
「お兄さん!?」
「やばっ……フライ!!」
僕は空中で間一髪、先ほどもらった『フライ』のポーションを口に含んだ。
体がフワリと数秒だけ宙に浮き、なんとかギリギリで向こうの浮島の縁にしがみつくことができた。
「はぁ、はぁ……っ! これ、ダメだ!」
這い上がった僕は、自分の体を包む数十キロの『純銀の鎧』を見下ろした。
これまでのダンジョンでは、バケモノ級の筋力で重さをカバーして無双できた。だが、ここは「空の足場を跳躍で渡る」アスレチックのような迷宮だ。落下と重力という物理法則の前では、この重厚な金属鎧はただの『超重量の枷』にしかならない。
「お兄さん、その金属の鎧じゃ、ここを登っていくのは絶対に無理ですよ!」
「うん、身をもって理解した……」
フライのポーションがあるとはいえ、数秒しか浮けないのでは、いずれ必ず飛距離が足りずに落ちる。
「仕方ない。一度街へ戻ろう」
僕たちは一旦ダンジョンを引き返し、天空の市街地にある工房(武具屋)へとやってきた。
「いらっしゃい! おや、見事な銀装備だが……天空のダンジョンで重力に負けたクチかい?」
「はい。ここ用の、軽くて丈夫な装備ってありませんか?」
恰幅の良い職人のおじさんに尋ねると、彼はニヤリと笑って店の奥から真っ白な装備一式を持ってきた。
「天空を攻略するなら、こいつしかねえ! 名付けて、シリーズ『雲海』だ!」
それは、まるで本物の雲を圧縮して固めたような、不思議な質感の白い剣と鎧だった。
「これ、雲で出来てるんですか?」
「おうよ! 天空の特殊な雲を魔力で圧縮してある。持ってみな」
渡された『雲海の剣』と『雲海の鎧』を受け取った瞬間、僕は「えっ?」と声を漏らした。
驚くほど軽い。まるで羽毛か、あるいは何も持っていないかのような錯覚に陥るほどの軽さだ。
「これだけ軽いのに、魔力圧縮のおかげで防御力は鋼の鎧と同等以上だ。それに、この『雲海』シリーズの最大の利点はな……装備しているだけで、着用者の跳躍力(ジャンプ力)を大幅に底上げしてくれることだ。さらに、万が一高いところから落ちても、雲の反発力で落下速度を落とし、パラシュートみたいに衝撃を吸収してくれる優れものさ!」
「すごい! まさに天空ダンジョンのための特効装備じゃないですか!」
これなら、銀装備の重量に悩まされることもないし、足を踏み外した時のリスクも極限まで減らせる。
僕は大量の金貨を支払い、すぐにその『雲海』シリーズへと着替えた。
純白のフワフワした鎧を身に纏い、軽くその場でジャンプしてみる。
「おおおっ……! 体が羽根みたいに軽い! これならどこまででも飛べそうだ!」
「似合ってますよ、お兄さん! 雲の騎士様みたいです!」
魔法少女ちゃんが隣でパチパチと手を叩いて喜んでくれた。
「よし! 新しい装備も手に入ったし、気を取り直して再挑戦だ!」
「はいっ! わたしも全力でサポートします!」
これまで頼りにしてきた銀の相棒をアイテムポーチの奥にしまい、僕は新たな『雲海の装備』と小さな相棒と共に、再び果てしない青空の迷宮へと飛び出していくのだった。
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