■第67話 親子の別れと極上ステーキ、そして下界見納めの温泉
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翌朝。魔法の力で含有率を高めた30パーセントの極上マシュマロ布団からなんとか這い出した僕は、第二宿場町『風花』の出口でミーナちゃん親子と向かい合っていた。
「お兄さん、もう行っちゃうの?」
ミーナちゃんが、少し寂しそうに僕の純銀の鎧の裾をギュッと握りしめている。
「ああ。お兄さんは一番上にある『100パーセントのお布団』で寝るっていう野望があるからな。ミーナちゃんたちはどうするんの?」
「私たちは、ここで少し仕入れの手伝いを兼ねて遊園地を満喫してから、ゆっくり下へ降りていく予定です。騎士様、本当に何から何までありがとうございました」
お父さんが深々と頭を下げる。
短い間だったが、過酷なダンジョン探索の合間に、ただの「優しいお兄さん」として過ごせた時間は、僕にとっても最高の息抜きになった。
「じゃあね、ミーナちゃん。階段降りる時も、足元には気をつけるんだぞ」
「うんっ! お兄さんも、お空のドラゴンに気をつけてね! ばいばーい!」
大きく手を振る親子の姿が見えなくなるまで見送り、僕は再び一人きりになった白亜の大階段を登り始めた。
再び一人きりになった白亜の大階段。
子供の賑やかな笑い声がないのは少し寂しいが、僕の足取りは決して重くはなかった。なぜなら、事前に『風花』の商人から、次に待つ第三の宿場町についての「最高の情報」を仕入れていたからだ。
「空の特産品……『雲海牛』か。考えただけでヨダレが出てきそうだ」
なんでも、この先の標高の空域には、雲の上に生える特殊な浮遊草を食べて育つ『雲海牛』という幻の牛がいるらしい。
そんな美味そうな情報があるなら、登るスピードにも自然と熱が入るというものだ。
バケモノ級の筋力で階段をサクサクと駆け上がり、数時間が経過した頃。
風に乗って、先日の甘いお饅頭や氷菓子とは全く違う、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが漂ってきた。
「……これだ! 事前に聞いていた空の特産品!」
匂いを辿ると、階段の少し開けた踊り場に、一件の屋台が出ていた。
恰幅の良いおじさんが、炭火の上で巨大な肉の串焼きをジュージューと焼いている。
「おや、旅の冒険者かい。どうだい、ここでしか食えない『雲海牛』の串焼きは! 雲の上に生える浮遊草を食べて育った、空の特産品さ!」
「雲海牛! おじさん、それ三本ちょうだい!」
分厚い赤身肉なのに、驚くほど柔らかい。
噛んだ瞬間にジュワッと溢れ出す肉汁は、地上で食べる肉のような重たい脂っぽさが全くなく、雲のように軽やかで上品な甘みを持っている。特製の粗塩が、その繊細な旨味を極限まで引き立てていた。
「美味いっ! なんだこれ、いくらでも食えそうだな!」
「美味いだろ? 雲の上の澄んだ空気と水で育った雲海牛は、脂が口の中でスッと消えるんだ。上の第三宿場町に行けば、もーっと分厚い肉が食えるぜ!」「最高じゃないか! よし、猛ダッシュで向かうぞ!」
串焼き三本をあっという間に平らげた僕は、完全に「肉モード」へと切り替わり、さらにペースを上げて大階段を駆け上がった。
夕暮れ時。
無事に第三の宿場町へと到着した僕は、迷わず街で一番立派な宿屋へと飛び込んだ。
迷わず食堂で『雲海牛の極上ステーキ』を注文する。
「女将さん! 雲海牛のステーキをお願いします! 一番大きくて分厚いやつを!」
やがて、熱々に熱された分厚い鉄板に乗って、主役が登場した。
ジュウウウウウウウッ!!
「おおおおっ……!!」
顔の大きさほどもある、分厚い雲海牛の極上ステーキ。
立ち昇る湯気と、焦げた醤油とガーリックの香ばしい匂いが、僕の脳髄を直接揺さぶってくる。
ナイフを入れると、力を入れていないのにスッと肉が切れた。
断面からは、淡い桜色の美しい赤身と、宝石のように輝く透明な肉汁が溢れ出している。
「いただきます!」
大きめに切った肉を口に運んだ瞬間、僕は天を仰いだ。
「……溶ける。肉なのに、口の中でふんわりと溶けていく……!」
串焼きの時よりもさらに暴力的な旨味が、口の中いっぱいに爆発した。
分厚い肉を噛みしめる喜びと、雲海牛特有の軽やかな脂の甘み。濃厚な特製ソースが絡み合い、飲むように肉が喉の奥へと消えていく。付け合わせのシャキシャキとした高山野菜も、肉の脂をすっきりさせてくれて相性抜群だ。
「すいませーん! ご飯おかわり! 山盛りで!」
過酷なダンジョン探索も、一攫千金のロマンも、今はどうでもいい。
ただひたすらに目の前の極上ステーキと向き合い、僕は無心で肉を食らい続けた。
「はぁ〜、食った食った。大満足だ……」
膨れたお腹をさすりながら、僕は食後の腹ごなしも兼ねて、宿自慢の『絶景の露天風呂』へと向かった。
「ぷはぁっ……! 階段登った後の温泉、しかも食後の一風呂は最高だな」
白亜の石で造られた広い湯船に肩まで浸かり、冷たい夜風を頭に受ける。
ふと手すり越しに眼下を見下ろすと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。
遥か数千メートル下。真っ暗な闇の中に、無数の宝石を散りばめたような光の粒がキラキラと瞬いている。バベルの塔のある街や、アクアリアの水上都市など、地上の人々の営みが放つ「下界の夜景」だ。
「すげぇ……。あんな下から、自分の足で登ってきたんだな」
「おや、若い旅人さんかい。その下界の景色、よーく目に焼き付けておきなよ」
湯船の反対側でくつろいでいた初老の行商人が、僕に笑いかけてきた。
「どういうことですか?」
「この第三宿場町が、分厚い『大雲海』の層の下にある最後の街なのさ。明日ここを出て少し登れば、いよいよ雲を突き抜ける。それより上に行けば、階段の下を見下ろしても真っ白な『雲の上側』が広がっているだけで、地上の景色とはお別れってわけだ」
「なるほど。下界見納めの景色なんですね」
僕は温かいお湯に浸かりながら、遠く瞬く地上の灯りを静かに見つめた。
明日からは、いよいよ分厚い雲の上。本格的な天空の領域へと足を踏み入れることになるのだ。
温泉で身も心もほぐれきった僕は、部屋に戻り、敷かれていた真っ白な布団の前に立った。
ちょうどそこへ、冷たいお水を持ってきた女将さんが通りかかる。
「女将さん、ここのお布団の『雲含有率』ってどれくらいなんですか? 初日が10パーセント、昨日の遊園地の宿で30パーセントだったから、今日はもう50パーセントくらい行っちゃうんですか?」
期待に胸を膨らませて尋ねると、女将さんはクスッと笑った。
「ふふっ、お客さん、計算が合いませんよ。大階段は上まで十日の道のりです。三日目で50パーセントなんてペースで上がっていったら、最後は含有率が150パーセントになって、お布団がお客さんごと空へ飛んでいっちゃいます」
「あ……言われてみれば確かに」
「昨日の遊園地の30パーセントは、風の魔法を使って強引に雲を練り込んだアトラクション仕様です。純粋な自然の雲を使った当宿の含有率は、順当に『30パーセント』でございます」
「なるほど、ペース配分って大事なんですね」
僕の欲望が完全に先走っていたらしい。
しかし、妙に納得しながら自然製法・含有率30パーセントの布団へと倒れ込むと――。
ボッフゥゥゥゥンッ……!!
昨日の魔法の力とは違う、自然で優しい、それでいて底なしの柔らかさ。
体がフワリと浮き上がるような不思議で極上の寝心地に、僕は思わずだらしない声を漏らした。
最高級の雲海牛ステーキで満たされたお腹と、食後の温泉の温もり。
僕は見納めとなった下界の美しい夜景をまぶたの裏に思い浮かべながら、明日からの『完全なる雲の上の世界』に胸を躍らせ、泥のように深い眠りへと落ちていった。
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