表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
川の向こうで乾杯を  作者: 相坂トア
返本の日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/35

窓側の席

 その夜、栞はドラッグストアへ寄った。

 洗剤の棚の前で、しばらく立つ。

 詰め替え用、本体、香り付き、無香料、部屋干し用。

 少し迷ったあと、栞は家にある洗剤と同じメーカーの、一番小さな本体を選んだ。

 広島へ行く前に、部屋の洗濯物を全部片づけることはできないかもしれない。それでも、空の容器だけがそこにあるよりはましだった。

 レジで袋はいらないと言い、洗剤を鞄に入れる。一番小さなものを選んだのに、肩にずしんと重さがかかった。

 帰宅すると、部屋はやはり薄暗かった。

 栞はカーテンを開けた。夜の窓に、自分の顔が映る。朝と同じ顔だ。けれど、鞄の中には洗剤がある。

 それだけで、無敵だとまでは思えないまでも、少しは違っているような気がした。

 洗濯物を一度に洗うには量が多すぎた。

 栞は、まずタオルだけを選んだ。白いもの、薄い灰色のもの、端がほつれたもの。洗ったものかどうか分からないものも、まとめて洗濯機に入れた。

 洗剤のキャップを開ける。新しい匂いがした。

 洗剤を入れてボタンを押すと、洗濯機が音を立て始めた。

 タオルがゆっくり沈んでいく。栞はその様子をしばらく眺めていた。

 洗濯が終わるまでの間に、栞は叔母へ返事を送った。

『来週の火曜の夜に着きます』

 少し経って、返事が来た。

『駅まで迎えに行くけえ、時間分かったら教えて』

 栞は、新幹線の予約画面を開いた。

 今度は、最後まで進んだ。

 東京から広島。座席を選ぶ。窓側にした。決済完了の画面が出る。

 栞はそれを見て、息を吐いた。

 行くことになった。いや、自分で行くことに決めた。

 予定到着時間を送ったら、叔母からは『了解』とだけ返事が来た。

 洗濯機が止まった。蓋を開けると、湿ったタオルの匂いが上がる。栞はそれを一枚ずつ取り出した。

 部屋干し用の折りたたみスタンドを広げる。久しぶりに使ったせいで、金具が少し固かった。白いタオルをかける。灰色のタオルをかける。端のほつれたタオルをかける。

 窓は少しだけ開けた。夜の空気が入ってくる。東京の、埃が混じったような風だった。広島の風ではなかった。それでも、タオルは少し揺れた。

 洗濯物は、まだかごに残っている。山は小さくなっただけで、なくなったわけではない。

 洗い終えた服の山は、そのまま残っている。

 仕事もある。返本もある。書けないPOPだってある。

 広島へ行ったところで、何かが変わる保証はない。

 それでも、水を吸ったタオルが風に揺られ、少しずつ乾いていく。それを見ていると、少しずつまぶたが重くなって、いつの間にか眠っていた。


 翌週の火曜日、栞は仕事を少し早く上がった。同僚たちに軽く挨拶をして、ロッカールームの端に置いた小さなキャリーケースを手に取る。

 中には、着回しができる数日分の服と、充電器と、化粧品。外に引っかけた小さな鞄には、貴重品と、メモ帳と、読みかけの文庫本が一冊入っている。

 読みかけの本には、栞が昔もらった紙の栞が挟まっていた。捨てられないままずっと使っている、もう閉店した店の名前が印字された栞だった。

 東京駅のホームは、人でいっぱいだった。

 スーツケースの車輪の音、弁当の袋を提げた人、イヤホンをした学生、改札前で手を振る親子。

 栞は、自分の指定席を確認して列に並んだ。

 新幹線がホームに入ってくる。白い車体が、長く、静かに滑り込む。

 乗り込む前に、栞はスマートフォンを取り出した。

 叔母に、これから新幹線に乗ることを連絡したら、すぐに返事が来た。

『気をつけて来んさい。晩ご飯、軽いもん作っとくね』

 栞は、その文字を読んでから新幹線に乗った。窓側の席に座り、鞄を引っかけたままのキャリーケースを足元に置く。

 発車のベルが鳴る。少し遅れて、車体がゆっくり動き出した。

 東京のホームが後ろへ流れる。

 栞は窓の外を見た。

 行けなかったのではなく、行かなかったのかもしれない。そう思った夜から、何日も経っていない。

 膝の上で、手を重ねる。手の甲に、ペンの跡が薄く残っていた。今日の昼、最後に書いた発注メモのインクだった。

 栞は親指でそれをこすった。少し薄くなった。けれど、完全には消えなかった。

 新幹線は速度を上げていく。

 栞は目を閉じた。眠れるかどうかは分からなかった。けれど、気持ちは落ち着いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ