第5話 パワハラという言葉の重さ
黒川望は、部署の中央に立った。
誰かを見下ろすでもなく、詰め寄るでもない。ただ、その場に“責任者”として存在している。
「本日は、外部業者の方からの申し立てを受け、事実確認のために伺いました」
課長の大野が慌てて口を挟む。
「い、いえ、その……大した話ではなくてですね……ちょっとした行き違いといいますか……」
「続けてください」
黒川は視線を向けるが、遮らない。
その一言で、大野は言葉を失った。
黒川は、今度は全員に向けて話す。
「本日ここで行われていたやり取りについて、コンプライアンス対策室として、正式に申し立てを受理しています」
“正式に”という言葉が、重く空気に沈んだ。
村瀬由香が、強張った笑顔を作る。
「ちょっと待ってください。こちらはお願いしただけですし、強制なんてしてません」
「お願い、という表現でしたか」
黒川は静かに問い返す。
「業務外作業を断った結果、納品確認のサインを行わなかった、という事実はありますか」
村瀬は言葉に詰まる。
「……でも、それは、ちゃんと仕事をしてもらえなかったから……」
「契約外業務を拒否された、という理解でよろしいですね」
黒川の声は変わらない。だが、逃げ道がひとつずつ塞がれていく。
「それから」
黒川は一度、手元の資料に目を落とした。
「“女ばかりで大変”、“男の人ならできるでしょう”――そう発言されたという証言があります」
「……は?」
「その発言は、相手の立場・性別を理由に、業務外の負担を強いるものです」
黒川は、そこで初めて明確に告げた。
「パワーハラスメントに該当する可能性があります」
その瞬間、オフィスの時間が止まった。
村瀬は、一瞬何を言われたのか分からないという顔をした。
だが、黒川の冷徹な視線を受け、その表情から徐々に血の気が引いていくのが分かった。
誰もがその言葉の意味を知っている。
だが、こうして“正式な場”で宣告されると、重さが違った。
大野が、声を震わせながら言う。
「い、いきなりパワハラなんて……大げさじゃないですか?」
黒川は首を振った。
「大げさかどうかを判断するために、私たちは存在しています」
そして、淡々と告げる。
「本件については、当部署全員を対象に個別ヒアリングを実施します」
「全員!? 私だけじゃ……」
村瀬が声を上げる。
「関係者全員です」
黒川は、そこで初めて語調を強めた。
「組織の問題は、個人だけの問題ではありません」
沈黙。誰も反論できなかった。
黒川は、俺の方を向いた。
「三上さん、本日はこれ以上の作業は不要です。納品未完了として処理してください」
その言葉で、俺の胸の奥に、何かがすとんと落ちた。
――自分は、間違っていなかった。
黒川は最後に、全員へ向けて言った。
「調査が終わるまで、本件についての問い合わせ、外部への連絡は控えてください」
明確な業務命令だった。
黒川が部署を出ると、誰も追いかけなかった。
残された空間には、さっきまでの“強気”は微塵もない。
トラックへ戻る途中、俺は佐伯さんに言った。
「……守られた、って感じがします」
「ええ。制度が、ちゃんと機能した瞬間ですね」
俺は、コピー機の箱を見た。
もうそれは“揉め事の象徴”ではなかった。




