拾遺2-3 知らなかったという事実
「いやぁ! 本当に素晴らしい城ですね」 「……ありがとう」
大ホールの天井を見上げながら、ヘンリーはそう言った。
シャンデリアのクリスタルが弾く光は星屑のようで、真鍮の眼鏡にも鈍い煌めきを落としている。
「調度品自体は多くはありませんが、積み重ねられた月日の重みを感じますよ」
「それは、よかった」
正餐室を見て回るあいだも、ヘンリーの言葉は途切れなかった。
感嘆の声は、石壁に吸い込まれるように溶けていく。
「それにしても、静かですね。石床なのに、歩く音がしない」
「……うん。ここは、そういう城なんだ」
二人はライブラリーへ向かった。
両開きの重い扉は開け放たれており、天井まで届く深色の木で組まれた書架の列が、静かに来訪者を迎える。
高窓から差し込む光が、部屋全体を淡く満たしていた。
「わぁ……。広いですね。本の数も、とんでもない」
書架に隙間なく詰められた蔵書。
背表紙の金文字が、まるで彼らを試すように並んでいる。
「この城の持ち主だったエドマンド・ヴァレイン侯爵は、学問への造詣が深く……大学建設や研究施設の整備、有能な学者の誘致にも尽力した人物だと聞いています」
ヘンリーの声は弾んでいた。
アウレリウスは、曖昧に笑って応じる。
「今、ハートウェル区にある大学も、ほとんどは彼が建てたようなものだよ」
二人は、ゆっくりと室内を進む。
中央に置かれた長い閲覧卓。
磨き込まれた天板を見下ろしながらも、ヘンリーは決して手を触れなかった。背もたれの高い椅子が整然と並んでいる。
「研究者たちの立場を確立するための法整備にも、かなり力を入れていたそうですね」
この部屋でも、足音はしない。
ときおり、ヘンリーの鞄の中で何かが触れ合う音だけが、小さく響く。
「この蔵書を見れば納得です。彼は、この国の学問を育てたと言っていいでしょう」
ヘンリーは片手を上げ、書架を示した。
「アルストリア王国の八代目国王、その王妃の系譜に連なる家系、でしたよね?」
アウレリウスは、小さく頷いた。
その事実は、文字としては知っている。
城の来歴として、見学者に語ることもある。
けれど――
それがどれほどの意味を持つのかを、深く考えたことはなかった。
「建国時から多大な影響力を持ち、広大な土地を治めてきた家。
エドマンド侯爵は、その三世にあたる人物です。政治への影響力も相当なものだった」
その土地は、エドマンドの死後、国のものとなった。
王族の親族が治め、時代ごとに統治者の家系も変わっていった。
アウレリウスにとっては、ほとんど縁のない土地の話だ。
「それだけの立場にありながら、奢ることもなく功績を残した。
本当に、たいした人物だ!」
アウレリウスも視線を上げ、書架を見渡した。
この蔵書を見れば、エドマンドの仕事の一端が伝わってくる。
彼が学問に深く関わっていたことは、疑いようがない。
――彼の書斎にも、本は溢れていた。
今思えば、使用人たちのエドマンドへの忠誠心も、並外れていた。
歴史に名を残すほどの人物であったなら、それも当然なのだろう。
――エドマンドと、あれほど長く一緒にいたのに。
――僕は、彼のことをほとんど知らない。
その事実だけが、
静かな部屋に、ゆっくりと沈んでいった。




