拾遺2-1 沈黙を嗜む部屋
王都オルドンからほど近い、湖のほとりに建つ――グレイブハル城。
風光明媚なこの城は、いつしか観光名所として知られるようになった。
美しく、
静かで、
それでいて、どこか不思議な場所として。
この城を守るのは、
錬金術によって生み出された二体の――ホムンクルス。
絶世の美貌を持つ青年、アウレリウス。
そして、彼の手によって生まれた少年、セティ。
その誕生に、祝福があったのか。
それとも――
それを知る者は、誰もいない。
世界から弾かれたこの城に封じられた、
厳かな秘密である。
◇
グレイブハル城、スモーキングルーム。
見学ルートには含まれない部屋だ。
鍵はかかっていない。だが、なぜか人は足を向けない。
セティは羽はたきを持ち、扉を押し開けた。
重みのある空気。
煙草の匂いは、もう残っていない。
この部屋が使われていたのは、かなり昔のことだ。
それでも、革、磨かれた木、わずかな灰の記憶が混ざった、乾いた静かな匂いが、確かにある。
埃はない。
あるのは、沈殿した時間だけだった。
壁は、深い緑を帯びた布張り。
腰壁は黒に近いマホガニー。
艶は抑えられ、光を静かに返している。
壁際には、深く沈む革張りのアームチェアが並んでいた。
セティは、なんとなく腰を下ろす。
本来は落ち着くための場所なのだろう。
だが、どうしても落ち着かない。
小さな丸テーブルの天板には、縁に焦げた跡がいくつも残っている。
壁際のサイドボードには、空のクリスタルデカンタ。
中身はないのに、光だけが揺れていた。
窓には、厚いカーテン。
この部屋は、掃除の時以外、ほとんど閉め切りだ。
だが、昔もまた、このカーテンはあまり開け放たれなかったような気がする。
この部屋だけは、いつも夕方の色をしている。
誰かが、長い夜をひとりで過ごした名残が、そう思わせるのかもしれない。
ここに、アウレリウスは入らない。
セティ自身も、滅多に足を運ばない。
貴族のための、貴族らしい部屋。
だが、この部屋に宿る静けさを、人に見せたいとは思えなかった。
――アウレリウスを、連れてこようとも。
セティは小さく息を吐き、立ち上がった。
扉に手をかける。
真鍮の取っ手が、わずかにぐらついた。
◇
「アウル」
玄関ホールに戻ると、アウレリウスはベンチを拭いていた。
「どうしたの?」
「スモーキングルームの扉の取っ手が、ぐらついています。修理が必要です」
「……ああ、そうなんだ。あとで見に行くよ」
「はい」
――そういえば、そんな部屋もあったな。
アウレリウスは少し考え、掃除の手を止めた。
「今……行ってこようかな」
「では、僕は受付室にいます」
「うん。お願い」
今日は開城日だ。
見学者が来るかもしれない。
受付室をセティに任せ、アウレリウスはスモーキングルームへ向かった。
鈍く光る取っ手に触れる。
屈み込み、部品を外して確かめる。
「……部品が悪いわけじゃないな。
締め直せば、大丈夫そうだ」
取っ手を付け直し、扉を何度か開閉する。
そのまま、アウレリウスは部屋の中へ、一歩だけ足を踏み入れた。
音が、吸われる。
足音も、衣擦れも、呼吸さえも。
掃除は行き届いている。
空気が濁っているわけでもない。
それなのに。
胸の奥が、わずかに締め付けられる。
――ここに来たのは、いつぶりだろう。
――エドマンドは、この部屋で一人になることもあった。
アウレリウスは、エドマンドが上位貴族であったことは知っている。
だが、どのような立場にあり、何を担っていたのかまでは、よく知らない。
彼と出会う以前の人生。
どのような仕事をし、どのように生きてきたのか。
記録としては、知ってはいる。
――だがこれまで、理解しようとはしなかった。
アウレリウスは部屋を出ると、
少しだけ足早に、受付室へ戻るため階段を降りていった。




