拾遺1-7 『境界がまだ壊れていない日々』最終話
アウレリウスが採集に出かけたその日、セティは王都でベーコンを買ってきた。
二人で並んで、ブロススープを作る。
ベーコンを丸ごとひと塊。それから野菜をたくさん入れ、弱い火でじっくり煮込んでいく。
アウレリウスがスープを器に盛っている間に、セティは紅茶を用意し、小さなテーブルに並べた。
パンと、スープと、紅茶。
二人の夕食は、いつも変わらず、簡素だ。
湯気が、ほわりと立ちのぼる。
席に着き、食べ始める。
アウレリウスは、ふと頬を緩めて、セティを見た。
彼はまず紅茶を一口。
次にベーコンを一口。
それからスープの中の野菜を選び、一口。
最後に、スープを一口飲む。
パンをちぎって一口。
そしてまた、紅茶を一口。
――いつも、同じ順番だ。
視線に気づいたセティが、顔を上げる。
「……美味しいですか?」
「美味しいよ」
セティはわずかに首を傾げたが、それ以上は何も言わず、食事を続けた。
アウレリウスは、ほんの少しだけ、笑った。
食事を終えると、二人で片付けをする。
「明日の朝は、残ったベーコンを焼こう」
「そうですね」
食器の触れ合う音が、控えめに響く。
夜が、ゆっくりとグレイブハル城を包み込んでいった。
片付けを終えると、セティは寝支度のために部屋へ戻る。
アウレリウスは、城の中を少しだけ見回ろうと、歩き出した。
玄関ホール。
人を迎えるための、城の顔とも言える場所。
階段の踊り場に据えられた大きなステンドグラスが、薄闇の中で、静かにこちらを見下ろしている。
月桂樹を纏った創造神。
その背後には、輪を持つ星。
月明かりを透かすステンドグラスは、息が詰まるほどに美しかった。
――なぜだろう。
目の奥が熱くなり、涙が滲む。
それなのに。
胸の奥で、小さな反発が、確かに蠢いた。
なぜ。
どうして。
その理由を、僕はまだ知らない。
振り切るようにして、アウレリウスは玄関ホールを後にした。
私室に戻ると、すでに夜着に着替えたセティが、ローテーブルのそばで本を読んでいた。
燭台の柔らかな灯りが、静かに彼を照らしている。
テーブルの上には、小皿とカップが二つ。
アウレリウスは歩きながら、覗き込む。
「……バニラファッジ?」
「はい」
セティが顔を上げる。
相変わらず、表情は乏しい。
アウレリウスは少しだけ口角を上げ、セティの隣に、彼の方を向くようにして腰を下ろした。
ファッジを一粒取り、指で押すようにして、セティの口に入れる。
セティは素直に、もぐもぐと咀嚼した。
――ほとんど無表情なのに、喜んでいるのが、よく分かる。
「美味しい?」
「はい。甘いです」
「今日は、疲れた?」
「……どうでしょうか」
「疲れた時に、甘いものはいいんだよ」
自分も一粒、口に入れる。
やさしい甘さが、ゆっくりと広がった。
「セティは、バニラファッジが好き?」
「……よく売っているので」
「そっか」
夜のために、薄く淹れた紅茶。
香りだけが残り、味は透き通っている。
カップを戻す、小さな音。
この城では、それさえも特別に感じられた。
アウレリウスは本を取らず、ただ、セティの横顔を見つめる。
瞬きを一つ、二つ。
黒いまつげが灰の瞳を隠し、そのたびに橙の光が映り込む。
やがて視線が上がり、アウレリウスを見る。
不思議そうに見つめ、すぐにまた視線を逸らした。
アウレリウスはセティの手首をそっと取って、抱き寄せる。
身体をわずかに寄せるだけの、短い抱擁。
離れ際に、頬を包む。
緑がかった灰の瞳。
深い森の色。
すべてを呑み込んでしまいそうな、静かな色。
――セティには、錬金術などに触れず、無垢でいてほしい。
――けれど、それは、僕のエゴなのかもしれない。
長く生きる僕たちが、無垢であり続けることは、きっと難しい。
それでも。
――どうか、この瞳が濁りませんように。
◇
湖畔に建つ、グレイブハル城。
静かで、美しく、
どこか不思議なこの城は、
月と、輪を持つ星の影に佇んでいる。
創造神オルドが世界を組み、
太陽神ソラエがそれを見つめる、その只中で。
息を潜め、
語られぬ秘密を抱いたまま。
ホムンクルスである二人は、
この城で、今日も静かに暮らしている。
誰に知られずとも、
それでも、世界は続いていく。




