表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
拾遺 第一章『境界がまだ壊れていない日々』
92/101

拾遺1-6 森に溶けるもの


 またある日のこと。

 風が吹くたび、光の模様が静かに組み替わる。

 木漏れ日が頬を撫で、手綱を握る指先までやわらかく届いていた。

 

 アウレリウスは森の中心で馬を降りると、そっと馬の頬に触れる。


「ここで待ってて。少し、薬品を使うからね」

 

 馬は応えるようにアウレリウスの肩を軽くつついた。


「いい子だ」


 馬から離れて少し歩くと、小さな池がある。そのそばへしゃがみ込み、背負っていたショルダーバッグから布と小瓶を取り出した。そして布に小瓶の液体を染み込ませて地面に置く。


 しばらく屈んだまま待っていると、カエルが一匹、また一匹と、引き寄せられてくる。

 アウレリウスはそれを手袋越しに、迷いなく掴んだ。

 数を確認しながら袋に入れる。

 

 袋は、静かだった。

 口を縛って、ショルダーバッグに入れる。薬品の染みた布も、別の袋に入れてバッグにしまった。


 この池の周りにはミントの葉が生えている。記憶を呼び起こす、透き通った香り。

 ふわりと吹いた柔らかな風が、湿った足元から、過去をすくい上げようとする。

 アウレリウスは手を少し払ってから、踵を返した。


 馬の場所に戻ると、草をはんでいた馬が首を上げる。

 また跨り、ゆっくりと地面を踏んだ。


 苔が岩を覆い、光を受けて淡く光っている。

 道などはない。

 昔は、木に印をつけて歩いていたものだ。その隣には、いつもエドマンドがいた。彼はその時、どんな表情をしていただろうか。

 アウレリウスを見るたび、瞳を柔らかく細めていた気がする。


 森は深いのに、どこか明るい。

 葉擦れの音と、鳥の声が絶え間なくアウレリウスを追いかけてくる。

 

 ふと、彼は視線を上げた。


 背負っていた弓を取り出す。


 リカーブボウ寄りの狩猟弓は、やや反った曲線が美しいものだった。

 濃色の木で作られたそれは木目がはっきりとし、使い込まれて艶がある。

 

 弓の内側には、月と輪を持つ土星がひっそりと刻まれている。

 それは引く者にしか見えない位置にあり、誇るための信仰ではないことを、静かに物語っていた。


 アウレリウスはそれを引き絞り、

 ――放つ。


 何かが、落ちた音。


 彼は、胸ポケットからメモを取り出した。


「……もう少し、集めておいたほうがいいかな」


 ゆったりと、馬の歩を進める。




 森が呼吸をしている。

 その息遣いに合わせるように、歩く。

 自分の足音だけが、ここにある証のようだ。

 自分が溶けていってしまう気がする。

 あれほど“死”を望んだのに、それを怖いと感じるのは、なぜだろう。


 影の中だけ、空気が少し冷たい。

 深呼吸すると、胸の奥まで澄む。


 水が近い。

 

 ゆっくり、ゆっくりと、馬を歩かせる。


 川原に着く。

 馬を降りて、ショルダーバッグを降ろすと、試料袋を一枚だけ持って川に躊躇いなく入っていく。


 夏が近いというのに、水は冷たい。


 膝まで浸かり、水に手を付け、少し漁る。

 すくい上げ、少し指を広げて水を逃がすと、擦り付けるようにして、袋に落とした。


 顔を上げる。

 ――太陽が、西に傾き始めている。


「セティが帰ってきちゃう。

 ……戻らなくちゃ」


 川を上がり、バッグから布を取り出して手を拭く。また背負うと、馬に跨った。


 金の髪が背で揺れる。

 膨らんだショルダーバッグの位置を少しだけ直し、少し急いで城への帰路についた。


 冷たい風が、一度だけ強く吹いた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ