拾遺1-6 森に溶けるもの
またある日のこと。
風が吹くたび、光の模様が静かに組み替わる。
木漏れ日が頬を撫で、手綱を握る指先までやわらかく届いていた。
アウレリウスは森の中心で馬を降りると、そっと馬の頬に触れる。
「ここで待ってて。少し、薬品を使うからね」
馬は応えるようにアウレリウスの肩を軽くつついた。
「いい子だ」
馬から離れて少し歩くと、小さな池がある。そのそばへしゃがみ込み、背負っていたショルダーバッグから布と小瓶を取り出した。そして布に小瓶の液体を染み込ませて地面に置く。
しばらく屈んだまま待っていると、カエルが一匹、また一匹と、引き寄せられてくる。
アウレリウスはそれを手袋越しに、迷いなく掴んだ。
数を確認しながら袋に入れる。
袋は、静かだった。
口を縛って、ショルダーバッグに入れる。薬品の染みた布も、別の袋に入れてバッグにしまった。
この池の周りにはミントの葉が生えている。記憶を呼び起こす、透き通った香り。
ふわりと吹いた柔らかな風が、湿った足元から、過去をすくい上げようとする。
アウレリウスは手を少し払ってから、踵を返した。
馬の場所に戻ると、草をはんでいた馬が首を上げる。
また跨り、ゆっくりと地面を踏んだ。
苔が岩を覆い、光を受けて淡く光っている。
道などはない。
昔は、木に印をつけて歩いていたものだ。その隣には、いつもエドマンドがいた。彼はその時、どんな表情をしていただろうか。
アウレリウスを見るたび、瞳を柔らかく細めていた気がする。
森は深いのに、どこか明るい。
葉擦れの音と、鳥の声が絶え間なくアウレリウスを追いかけてくる。
ふと、彼は視線を上げた。
背負っていた弓を取り出す。
リカーブボウ寄りの狩猟弓は、やや反った曲線が美しいものだった。
濃色の木で作られたそれは木目がはっきりとし、使い込まれて艶がある。
弓の内側には、月と輪を持つ土星がひっそりと刻まれている。
それは引く者にしか見えない位置にあり、誇るための信仰ではないことを、静かに物語っていた。
アウレリウスはそれを引き絞り、
――放つ。
何かが、落ちた音。
彼は、胸ポケットからメモを取り出した。
「……もう少し、集めておいたほうがいいかな」
ゆったりと、馬の歩を進める。
森が呼吸をしている。
その息遣いに合わせるように、歩く。
自分の足音だけが、ここにある証のようだ。
自分が溶けていってしまう気がする。
あれほど“死”を望んだのに、それを怖いと感じるのは、なぜだろう。
影の中だけ、空気が少し冷たい。
深呼吸すると、胸の奥まで澄む。
水が近い。
ゆっくり、ゆっくりと、馬を歩かせる。
川原に着く。
馬を降りて、ショルダーバッグを降ろすと、試料袋を一枚だけ持って川に躊躇いなく入っていく。
夏が近いというのに、水は冷たい。
膝まで浸かり、水に手を付け、少し漁る。
すくい上げ、少し指を広げて水を逃がすと、擦り付けるようにして、袋に落とした。
顔を上げる。
――太陽が、西に傾き始めている。
「セティが帰ってきちゃう。
……戻らなくちゃ」
川を上がり、バッグから布を取り出して手を拭く。また背負うと、馬に跨った。
金の髪が背で揺れる。
膨らんだショルダーバッグの位置を少しだけ直し、少し急いで城への帰路についた。
冷たい風が、一度だけ強く吹いた。




