拾遺1-1 祝福されなかった理
本作『拾遺』は、
正編『グレイブハル城の観測者たち』の後日談・補足編にあたります。
物語の性質上、
正編よりも内面描写や関係性の掘り下げが強くなっています。
ご理解の上、お読みいただければ幸いです。
アルストリア王国。アルデン暦九四八年。
この世界には、魔法はない。
創造神オルドは、かつてこう告げたという。
『私は、壊れぬように世界を組んだ』
太陽神ソラエは、それに応えたと伝えられている。
『壊れぬ世界に、熱は宿らぬ。
ならば私は、燃えるものを与えよう』
理が敷かれ、
秩序が重なり、
この世界は、完成した。
だが、ある偉人は、こうも記している。
『理も、熱も、
そこに“在る”だけだ。
我らを護る意思など、どこにもない』
そんな、法と理が支配する世界。
――そう、人々は信じている。
護られなかった者たちは、
今日も静かに星を仰ぐ。
月と、輪を持つ星の影に、
身を潜めながら。
◇
王都オルドンからほど近い、湖のほとりに建つ――グレイヴハル城。
風光明媚なこの城は、いつしか観光名所として知られるようになった。
美しく、
静かで、
それでいて、どこか不思議な場所として。
この城を守るのは、
錬金術によって生み出された二体のホムンクルス。
絶世の美貌を持つ青年、アウレリウス。
そして、彼の手によって生まれた少年、セティ。
その誕生に、
祝福があったのか。
それとも――
それを知る者は、誰もいない。
世界から弾かれたこの城に封じられた、
厳かな秘密である。
◇
水面に揺蕩う光のように、朝陽が部屋を満たしていた。
衣擦れの音に、黒髪の少年――セティがゆっくりと振り返る。
緑がかった灰の瞳がとらえたのは、金の髪の青年――アウレリウスだった。
“人類が到達し得る最高の美”を求めて設計された存在。
彼は今日も、ただ美しくそこにいる。
アウレリウスはベッドから降りると、静かに歩み寄り、窓辺に佇むセティのそばに立った。
黒髪の少年もまた、整った顔立ちをしている。
垂れがちな大きな瞳を持つ、どこか甘い相貌。
アウレリウスは腕を伸ばし、セティの手首にそっと触れ、そのまま抱き寄せた。
「おはよう、セティ」
「おはようございます、アウル」
額に短くキスを落とし、
指先を添えて、頬を包み込む。
「今日も、いい天気だね」
「……はい」
柔らかな笑みを浮かべて、アウレリウスはセティを離れ、クローゼットへ向かう。
セティは、その背を静かに見送った。
この世界に、ホムンクルスは二人しかいない。
かつて錬金術は盛んに研究された。
だが、成功した者は、ついに現れなかった。
世界は、そう信じている。
彼らは忘れられた存在。
理を司る神にすら、弾かれた存在。
――本当に、そうなのだろうか。
一から象られた彼らこそ、
理を体現する存在とは言えないだろうか。
だが、そう唱える者は、この世界にいない。
彼らの存在を、誰も知らないのだから。
夜。
大地が闇を吐き出し、星が生まれる頃。
月明かりの差し込む部屋で、燭台の火が揺れていた。
ソファに並んで、二人は座っている。
セティは姿勢正しく、本を膝に置いている。
アウレリウスはセティに背を預けるように座り、同じく本を読んでいた。
静かな時間。
ページを捲る音だけが、淡く落ちている。
やがて、アウレリウスは本を閉じ、テーブルに置いた。
向き直り、少年の手を取って、顔を覗き込む。
「セティ」
「はい」
「愛してるよ」
「僕も愛しています」
「君はとても美しい」
「アウルも、美しいです」
「君は、大切にされるべき存在だ」
「アウルも……そうです」
アウレリウスは片腕でセティを抱き、
もう片方の手で、指を絡めた。
ほんの一瞬だけの抱擁。
壊れてしまわないように。
――まだ、壊れていないことを確かめるように。
「寝よっか」
「はい」
静かなグレイブハル城は、
こうしてまた一つ、夜を刻む。
祝福されなかった理など、
まるで最初から存在しなかったかのように。




