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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
正編 第十章『越えてはならない境界』
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10-7 贖罪のしかたを知らないまま


 セティはその日、初めて一人で王都に出かけた。


 今朝突然、「馬車を一人で使ってもいいですか」と聞いてきたのだ。


「……いいよ」

「はい。では、王都に行ってきます」

「……うん」


 ――ちゃんと、戻ってくるよね?


 玄関まで彼を見送った。

 セティは危なげなく馬車を操り、外門を越えていく。


 小さく、息が漏れた。




 アウレリウスは書斎で本を読んでいたが、ふと顔を上げ、廊下へ出た。


 ちょうど、荷物を抱えたセティが歩いてくるところだった。


「おかえり、セティ」

「戻りました」


 彼の腕から荷物を受け取り、そのまま並んで私室へ向かう。


 ローテーブルの上に、とりあえず置いた。


「これで全部?」

「食べ物は、食料庫に入れてきました」

「そっか」


 ――やっぱり、セティの部屋を作ったほうがいいな。

 私物を置く場所が、もう足りない。


 顔を上げると、セティが落ち着かなさそうにしている。


「……ん?」


 セティは少し迷ったあと、意を決したように、アウレリウスの胸に飛び込んできた。

 反射的に受け止め、背中を軽く叩く。


「どうしたの?」

「緊張しました。一人で王都に行くの」

「ふふ……。そっか」


 ――僕も、初めて一人で行った日は、すごく緊張したな。


 セティは身体を離すと、テーブルの上に荷物を並べ始めた。

 新聞が数冊。

 それから、何枚かのハンカチ。


「あと、茶葉とお菓子も買ったんですが、それは台所に置いてきました」

「そうなんだ」

「アウルにあげます」

「……ん?」


 セティは新聞を指さす。


「新聞……読みますよね?」

「読むけど……」


 今度は、ハンカチを広げてみせた。


「青い刺繍なんです。青、好きですよね?」


 受け取る。

 どれも、淡い青の刺繍が入っていた。


「……ありがとう。

 セティの分は?」


 セティは、きょとんとアウレリウスを見上げる。


「欲しいものは、特に無かったので」

「……え?

 じゃあ、買ってきたのは、茶葉とお菓子と、僕のための新聞とハンカチだけ?」

「茶葉とお菓子も、アウルのです」

「え……?」

「……嬉しくなかったですか?」


 アウレリウスは、思わず笑った。


「あはは……。

 嬉しいよ。セティ、本当にありがとう」


 セティも、ほんの少しだけ口角を上げた。




 その後、セティは台所にこもった。

「今日は、一人でスープを作ります」と言って。


 夕食の時間になり、アウレリウスが降りていくと、ちょうど器にスープを盛っているところだった。

 彼の隣に立ち、カップにお茶を注ぐ。


「今日は、ずいぶん頑張るね」

「……」


 セティは俯き、少しだけ眉を寄せている。

 二人で席に着き、食事を始めた。


「美味しいよ、セティ」

「……今日、料理の本を立ち読みしたんです。

 ちゃんと買えばよかった。

 なんだか、物足りなくて……それが分からなくて……」


 もう一口、スープを口に運ぶ。


「……クローブかな」

「くろーぶ?」


 セティが、少しだけ目を見開いてこちらを見る。


「うん。煮込み料理によく使われる香辛料だよ。

 でも、ちゃんと美味しい」


「そうですか……。

 でも……」


 少しだけ、声が落ちる。


「美味しいものを……

 アウルと食べたかったのです……」


 アウレリウスは、つい、笑ってしまった。


 ――そうか。

 そう思って、頑張ってくれたんだ。




 夜。

 ソファに並んで本を読んでいると、ふいにセティが席を立った。


 しばらくして戻ってきた彼は、何事もなかったように、またアウレリウスの隣に座る。


「少しだけ、食べませんか?」


 差し出されたのは、今日、彼が王都で買ってきたお菓子の包みだった。

 受け取って包み紙を開くと、乳白色の角切り菓子が、いくつか並んでいる。


「バニラファッジだね」

「はい」


 指先で触れると、ほんのり柔らかい。

 一つ摘まみ、アウレリウスはそれをセティの口に放り込んだ。


 セティは素直に、口の中で転がして、それから、もぐもぐと噛んでいる。


 つい、アウレリウスの口元が緩んだ。


 ――子どもみたいに、嬉しそうに食べる。

 ――かわいい。


 自分も一粒、口に入れる。

 ゆっくりと、甘さが広がった。


「甘くて美味しいね」

「はい」


 セティが、じっとアウレリウスの瞳を見つめてくる。


「本で、いいことをしてもらったら、お礼をすると書いてありました。

 でも、何をしたらいいかわからなくて」


 ファッジの包みを、ローテーブルに置く。

 アウレリウスの眉が、わずかに寄った。


「僕は、何もセティにしてあげられていないよ」

「そんなことないです。もらってばかりです」

「……それで、王都に行ったの?」

「そうです……。でも、よくわかりませんでした」


 膝の上で、無意識に拳を握る。


「そっか」

「だから……また今度、王都に行くときは、僕も連れて行ってください」


 アウレリウスは一度、瞳を伏せて息を吐いた。


 それから、セティの近くへ座り直し、腕を伸ばして彼を抱き寄せる。


 ――与えてしまった命。

 ――懺悔するだけでは、だめだ。


「セティ」

「はい」


 彼の瞳を、まっすぐに見つめる。


「セティ。僕は、君を愛しているよ」


 セティは、きょとんとした顔で見返してくる。


「……僕も。僕も、アウルを愛しています」


 アウレリウスは、小さく頷いた。


「セティ、君はとても美しい」

「アウルの方が……」

「君は、美しいよ」

「……はい」


「セティ。君の尊厳は、神にだって、犯させてはいけない」

「……はい」


 アウレリウスは、そっとセティを抱きしめた。


「君がくれた新聞も、ハンカチも。

 一緒に食べた料理も、お茶も、お菓子も。

 全部……全部、嬉しかった。

 ありがとう、セティ。大好きだ」

「はい」


 ――ちゃんと愛そう。

 ――そして、“愛している”と、きちんと伝えよう。

 ――“人”としての尊厳を、彼に教えよう。


 この温もりは、もう手放せそうにない。


 燭台の心細い灯りが、小さく揺れる。

 二人の影が、柔らかく重なって、部屋に落ちていた。


 ――僕は、罪を犯した。

 ――その贖罪の仕方を、僕はまだ知らない。


 ――それでも、僕にできることは、きっと、それだけだ。



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