10-6 優しさが嘘になる夜
セティは、なんでもすぐに覚えた。
相変わらず無表情に近いが、これが彼の個性なのだと、僕はすぐに理解した。
朝、僕が目覚めると、たいていセティは既に起きて着替えまで済ませている。
窓の前に立ち、彼は静かに外を眺めていた。
朝のアルストリア王国は、とても綺麗だよね。それを見ているのかな。
これまで使っていたベッドは、天蓋も壊れていたし、業者に引き取ってもらった。代わりにシンプルなベッドを二つ、新たに購入して並べた。
ソファも、二人でも余裕のある大きなものに替え、セティの書き物机やクローゼットも買い足した。
それだけで、部屋が少しだけ、息を吹き返したように見えた。
僕がベッドから降りると、セティは振り返った。少しだけ、口角が上がっている。
「おはようございます、アウル」
「おはよう、セティ」
“おはよう”って言いあえるだけで、こんなに嬉しいのか。
僕が書き物机の椅子に座ると、セティが背後に立ち、髪を編み始める。
はじめは一つに縛るだけだったが、セティは編むのが楽しいのか、いろんな編み方に挑戦していた。
――そういう小さなことを楽しむ性質は、好ましく思える。とても、いい子だ。
その後はそれぞれ部屋の掃除をし、終わるとなんとなく受付室に集まる。
この受付室も最近増設したものだ。
これまでは人の気配を感じてから降りていたけど、城の水回りの改築に合わせて造ってもらった。
小さな暖炉と、座り心地のいいソファを入れた。
窓は大きくはないけど、よく日が入って、昼間はぽかぽかと温かい。
セティは、ここのソファで静かに本を読んでいることが多い。
僕は小窓の前の机に座っている。
話さない時間が長い。
――だけど、それが苦じゃない。
この城には、本がたくさんある。
ライブラリー、主人や夫人の部屋、僕たちの部屋、どの部屋の本棚も本がたくさん詰まってる。
それから、エドマンドと僕の書斎にも。
セティはどこかからか本を選んで、読んでいるようだ。
だけど、彼は、僕とエドマンドの書斎の本には触れない。
そうして欲しいって言ったわけじゃない。
――多分、僕が触らないでほしいって思っていることに、彼は気づいているんだ。
ページをめくる音がする。
心地の良い無音が、この部屋に落ちていた。
夜、ソファに二人で並んで本を読む。
セティは背筋を伸ばして姿勢正しく座り、僕は彼とは反対の肘掛けにもたれるように座る。
ローテーブルに置いた燭台の橙の炎が、ゆらゆらと揺れている。
これも、せめてオイルランプにしたほうがいいのかな。
「……アウル」
セティが、こちらを見ている。
「眠くなってきた?」
「はい」
「寝ようか」
「アウルは?」
「僕はもう少し起きてるよ」
「そうですか」
二人して立ち上がり、僕はセティをベッドまで送る。
セティはベッドの前で僕を振り返った。
「アウル」
「ん?」
セティが腕を伸ばして抱きついてくる。僕はそれを、ただ受け止めた。
「アウルと今日も過ごせて、楽しかったです」
「そっか……」
「おやすみなさい、アウル」
「うん。おやすみ。セティ」
セティは離れて、ベッドに潜り込む。
セティが寝たあと、僕は書斎に駆け込み、嘔吐してしまった。
――僕は今日、セティのために、何もしていない。
セティはもう、なんでもできる。
朝起きて、水を用意して顔を洗い、服も自分で選んで着られる。
掃除も、本を選んで読むことも、湯浴みだって。
僕の手を、必要としないほどに。
会話らしい会話も、今日はなかった。
“アウルと今日も過ごせて、楽しかったです”
――あれは、僕が言わせたんだ。
セティが僕の手を煩わせずに一日を過ごすのは、
必要以上に話しかけてこないのは、
僕に抱きついてくれるのは、
僕に“楽しかった”と伝えてくれるのは、
僕が、彼を、
“僕の孤独を癒すための存在”として、
――そう、設計したからだ。
彼の気持ちはどうなる。
セティの本当の気持ちは、どこにある。
「嫌だ……。
僕はなんて……穢らわしいんだ……」
夜は、こぼれ落ちた涙をすくうように、ただそこに横たわっていた。




