9-5 香りの消えるところ
西区住宅街の奥。
リンデンの甘い香りが、ふっと途切れる場所。
石壁と低い鉄柵に囲まれたそこは、墓地だった。
木が多く植えられ、墓石は整然と並べられている。姿の見えない鳥の声だけが、どこかからか響いていた。
アウルは、ゆっくりと、だが、迷いなく歩いていく。
僕は、木の陰を静かに、なぞるように歩いた。
影と苔。静かな場所に、呼吸を整えるようにここにある。
歩く音は、ほとんどしない。
ふと、アウルの足が止まる。
視線をあちこち巡らせた後で、僕をまっすぐに見て、手を差し出した。
「いいでしょ?」
アウルは、すぐ手を繋ぎたがる。
小さく息を吐いて、歩み寄る。差し出された手を取ると、一気に引き寄せられて抱きしめられた。
そして、額にキスを落とされる。
――時と場所を選んでほしいな……。
眉を寄せてアウルを見ると、彼は楽しそうに笑っていた。
「あはは。だめだったかな」
どうして彼は、僕に過剰に触れたがるんだろう。
気安いから?
庇護対象だから?
アウルは僕を離すと、手は握ったまま歩き出した。
「ここは、静かだけど、にぎやかだね」
彼の横顔を見る。
相変わらず綺麗で華やかなのに、どこか、ここではない遠くを見ている。
思わず、その手を握りしめてしまった。
――アウルは、“死”の研究をしている。
アウルは、人が好きだ。
人に寄り添い、
人と共に老いて、
そして、死にたいのだ。
彼は、“人”になりたいのだ。
僕は、あまりそういうことには興味がない。死にたいとも、生きたいとも、どちらもあまり思わない。
でも、
だけど、
アウルがもし、老いて死ぬというのなら、僕は当たり前についていく。
僕は彼となら、“死”を選ぶ。
そう、決めている。
もしも、アウルに“セティは生きて”って言われてしまったら、
――どうしよう。
アウルのいない世界で生きていく?
そんなこと、できるわけない。
アウルの願いは、全て叶えてあげたい。
だけど、その願いだけは、叶えてあげないんだ。
そんなときは、アウルが死んだ後に、僕も死ぬことにする。
残されるのは、絶対に嫌だ。
アウルのいない世界なんて、僕はいらない。
アウルが振り返る。
少しだけ驚いた顔をして、また腕を引き寄せて僕を抱きしめた。
「……どうしたの? セティ」
「……なんでもないです」
そっと背中をさすられる。
「大丈夫だよ。ホープは見つかる。もうすぐ会える気がするんだ」
「……」
猫のことは、今はあまり考えてなかったけど……。
本当に、人の気持ちに敏感なんだか、鈍感なんだか。
アウルの肩の向こう。
白い毛並み。
「あっ」
すぐ近くの墓石。
白い猫はゆったりと歩き、その前に座り込んだ。
アウルも僕の視線を追って猫に気づくと、僕を離して墓石に歩み寄る。
その指が、刻印された文字をなぞった。
僕もポケットに入れていたメモを取り出す。
マーガレットさんの住所とフルネームが書いてあるもの。
彼女の夫の名前は知らない。
だけど、姓が一緒だ。
「……君がホープ?」
アウルが猫に優しく話しかけると、猫は応えるように彼にすり寄った。
そっと、抱き上げる。
「……旦那さんに、マーガレットさんのお話をしてあげてたのかな」
アウルは柔らかく笑った。
眩しくて、僕は思わず目を細めた。
柔らかな風が、アウルの金の髪をそっと撫でていく。
ふと、アウルの青い瞳が僕を見た。
「セティも抱っこしてみる?」
「え……? 抱っこさせてくれるでしょうか」
自分の手のひらを見る。
少しだけジャケットに擦りつけて汗を拭き取ると、腕を伸ばした。
「ホープ、彼はセティ。とても優しくてかわいい人だよ」
“かわいい”は余計では?
猫は素直に僕の腕の中に入る。
ふわふわ。
少しだけ、重みもある。
そして、
「あったかい」
「かわいいね」
「はい」
「マーガレットさんのところに、連れて行ってあげよう」
「はい」
アウルが手を伸ばす。
「……僕が抱っこしててもいいですか?」
アウルがきょとんと僕を見て、そして優しく笑った。
「もちろん。いいよ」
ここは、静かに“死”が受け入れられている場所。
残された誰かが、誰かの“死”を受け止めた場所。
僕はふわふわの猫を、そっと抱きしめた。




