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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
正編 第八章『永遠が始まった日』
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8-6 刃を落とした夜


 エドマンドは書斎にこもった。


 彼は、錬金術の禁書をとにかく読み漁った。

 アウレリウスといる時間は極力削らないようにしながらも、それ以外の時間を全てこの作業に費やした。

 寝食を惜しみ、一字一句見落としがないように、丁寧に読み込んでいく。


 だが、錬金術で人体生成に成功した例などない。

 まして、わざわざ錬金術で生成した個体に“老い”を与えようなどという研究がこれまでにあったのだろうか。


 ――解釈どころか、その発想さえ、なかったのではないか?

 

 いくつか夜を越えたが、エドマンドが答えを見つけることは、できなかった。


 ――錬金術で生成された生物の恒常性の強さに言及するものさえ、見つからないとは……。


 髪をかきむしる。

 机に拳を打ち付け、その手が血で滲もうと、そんなことはどうでも良かった。


 エドマンドは、どうすべきか、

 ――もはや分からなくなっていたのだから。


―――


 アウレリウスの世話をする使用人は、彼に触れない範囲で、今も仕事をこなしている。


 暖炉の管理や部屋の掃除、リネンの交換。食事の準備と片付けなど。

 エドマンドが選び抜いた信頼できる使用人達が、日夜彼のそばに侍り、彼の世話をしているのだ。


 ある日の午後。

 雪が時間を遅らせるように降っていた。音を飲み込み、静寂を人々に与える白銀の日。


 机で書き物をしていたアウレリウスは、ふと顔を上げた。


 使用人が新しい薪を抱え、彼の部屋に入ってきたからだ。

 牛の目模様が角の部分に深く刻まれた、オーク材で囲われた暖炉。

 使用人は、その横のウッドストッカーに薪を一度置いた後、火かき棒で暖炉の中を整えている。


 アウレリウスは席を立ち、彼のそばにしゃがみ込んだ。

 使用人はちらとアウレリウスと、その背後にいたエドマンドを見るが、そのまま淡々と作業を続ける。


「ねぇ」

「……はい。どうされましたか」


「火って生きてるみたいだね」


 使用人は一度手を止めて、困ったように眉を下げる。

 主人にはアウレリウスとの接触は固く禁じられている。会話を禁じられたわけではないが、好ましいことではないだろう。


「暖炉の火ってどうやって維持するの?

 僕にも教えて」


「……え」

 

「やって見せて」


 使用人の男は、視線を一瞬持ち上げ、小さく頷いた。日ごろの仕事を見せるくらいなら問題ないだろうと判断したのだ。


 彼は薪を並べ、空気穴を調整する。

 すると、たちまち火が笑うように息を吹き返した。


「そっか。火は酸素を必要とするから、穴を作ってあげるんだね」

「……はい」


 エドマンドは、この光景を静かに眺めていた。


 アウレリウスは無垢で、人懐こい。

 それは危ういほどに。


 彼は震える息を吐き、口を引き結んで静かに瞳を伏せた。


 ――そんな彼を一人、この世界においていくわけには行かない。

 ――自分はいずれ、彼を守れなくなる日が来るのだから。




 全てが静寂に飲み込まれ、月だけが真実を知る、そんな夜。


 エドマンドは、一人、明かりの灯らない廊下を歩いた。

 音をどれほど殺しても、石の床は、彼の存在を顕にするようだ。


 アウレリウスの部屋の扉をそっと押し開け、中へと滑り込む。


 月光を避けるようにして歩き、ベッドの傍らに立った。

 

 白いリネンに散る金の髪。

 あどけなく眠る、その表情。

 柔らかな頬。


 エドマンドは腕を伸ばし、そっと彼の前髪をかき分けた。


 今は伏せられているその青い瞳に自分が映り込むのを見るたび、どれほどの罪悪感に苦しめられたことだろう。


 それでいて、どれほどの幸福感を、彼は自分に与えたことだろう。


 手にしていた短刀を取り出す。

 

 白々と澄んだ刃に、月光が閉じ込められる。

 

 エドマンドは歯を食いしばる。


 彼は、アウレリウスの白い喉に、刃を――。


 エドマンドの震える手から、

 それは、音を立てずに零れ落ちた。


 ――できるわけがない。

 

 緑がかった灰の瞳から、雫が頬を伝う。


 ――アウレリウスを殺すことなど、できるわけがない。


 初めはただの贖罪だった。

 愛などと、そんなものを自分が抱くことになるなど、少しも信じていなかった。


「ふっ……」


 嗚咽が漏れる。

 ベッドの脇に立ち尽くし、エドマンドは力なく腕を下ろした。

 足元にまで滑り落ちた短刀は、今は闇を飲み、沈黙している。


「……エドマンド?」


 侯爵は肩を震わせる。


 アウレリウスがゆっくりと瞳を開けると、その澄んだ瞳には、淡い月光が映り込んだ。

 

 目をこすりながら身を起こし、眠たげな瞳で、彼はエドマンドを見る。


 そして、柔らかく、温かい声で、その美しい顔で言うのだ。

 

「どうしたの? 眠れないのかな。

 エドマンド、泣いてるの……?」


 わずかに首を傾げ、淡い髪に月明かりが滑り込む。


「……そっか。もしかして、怖い夢を見たんだね」


 アウレリウスはベッドの端に寄って膝で立つと、腕を伸ばしてエドマンドを抱きしめた。


 優しく背をさする。


「大丈夫だよ。エドマンド、大丈夫。

 怖くない」


 誰よりも、彼は優しい。

 穢れのない、無垢な心を持つ。


 そうしたのは、

 そうしてしまったのは、ほかでもない。


 ――自分なのだ。


 白い月が雲に隠され、ゆっくりと夜が侵食される。

 まるで月は、問うているようだった。

 人類が答えを持たないそれを、あざ笑うかのように。


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