表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
正編 第一章『触れてはいけない城』
6/62

1-6 伝えるべき言葉


 呼び鈴に応えて現れた老執事は、最初こそ怪訝な顔をしていたが、

「グレイブハル城のアウレリウスです」

と名乗ると、何か思い当たるところがあったのか、すぐに表情を和らげ、二人を応接室へ案内した。


 エリオットの家は、王都オルドンの西――高級住宅街の一角にあった。

 彼が下位貴族なのか、裕福な庶民なのか、アウレリウスたちには判断がつかない。

 ただ、大きな家であることだけは確かだった。


 深い真紅のソファに並んで腰を下ろすと、女性の使用人が紅茶を運んでくる。

 花のように強い香りが立ちのぼり、アウレリウスはわずかに目を瞬いた。

 城でセティと飲む紅茶は、ここまで香り立たない。

 一口含む。

 口当たりは柔らかく、後味が残らない。

 茶葉もいいのだろうが、淹れ方も丁寧なのだろう。

 視線を上げると、使用人は目を合わせることなく一礼し、静かに下がっていった。

 大きな家の使用人ほど、目を合わせない。


「セティ、美味しいね」

「はい」


 大きな窓には、臙脂色のベルベットのカーテン。

 刺繍が昼の光を受け、淡い絹壁にぼんやりと影を落としている。

 隅には大ぶりの花瓶に活けられた花々。

 マントルピースの上には、誇示するように並べられた陶器――異国のものかもしれない。

 人を招き、財を示し、視線を楽しませるための部屋。


 品はいい。

 だが、アウレリウスたちには、あまりにも多くの物が一度に話しかけてくるようで、少しだけ息苦しかった。


 扉が開く。


「あぁ! お待ちしてました!」


 エリオットが朗らかに笑いながら歩み寄ってきた。

 二人は立ち上がり、軽く頭を下げる。

 アウレリウスが手を差し出すと、エリオットも応じて手を握った。


「ごめんね、エリオット。

 僕では、日記帳は開かなかった」


 エリオットは一瞬、眉を下げたが、すぐに穏やかに笑った。


「……そうでしたか。

 いえ。一緒に考えてくれただけで、嬉しかったです」


 手を離そうとしたエリオットの指に、アウレリウスがそっと自分の指を絡める。

 青年は、わずかに目を見開いた。


「でも、聞いて。

 この日記帳の“パートナー”は、いるかな?

 おじいちゃん……かな」

「祖父、ですか?」

「そう。今日、いるかな?」


 エリオットは、アウレリウスの手を反対の手で包むようにしてから、やさしく引き抜いた。


「温室にいると思います。

 ついてきてもらえますか?」

「うん」


 屋敷の裏手に、小さな温室があった。

 古いガラス越しに差し込む光はやわらかく、花よりも、人の時間が残っているような場所だった。


 中には、ひとりの老紳士がいた。

 棚に並んだ素焼きの鉢を、ぼんやりと眺めている。


「お祖父様」


 エリオットの声に、ゆっくりと振り返る。

 細い体。

 首筋にも、手にも、はっきりと刻まれた老い。

 眉だけは力強く、かつては厳格な人物だったのだろうと想像させる。


 今はただ、儚い。


 アウレリウスが小さく頭を下げると、老人は驚いたように、白くなりかけた瞳を見開いた。


「こちら、グレイブハル城の今の持ち主でいらっしゃる、アウレリウス殿です」


 紹介され、アウレリウスは微笑みながら手を差し出す。


「こんにちは」

「……これはこれは。どうも。ヘンリーだ」


 セティが鞄から日記帳を取り出し、アウレリウスに渡す。柔らかい革がスッと手に馴染む感覚。


「それは……」

「僕が、預かってた」


 アウレリウスは、日記帳を両手で持ち、ヘンリーに見せた。


「ねぇ。

 この子に、“愛してる”って伝えてあげてくれないかな」


 驚き、ヘンリーは、ぎゅっと眉を寄せる。

 エリオットも、息を呑んだ。


「あなたからの言葉じゃなきゃ、だめみたいなんだ」


 差し出された日記帳を、ヘンリーは静かに受け取った。

 そのしわがれた指先で、そっと型押しの模様をなぞり、アウレリウスの瞳を見返す。

 老人は諦めたように小さく息を吐いた。


 一度、咳払いをする。

 そして、背を向けた。


「……愛してるよ」


 小さな声だった。


 振り返り、日記帳を戻す。

 アウレリウスが留め具に触れると、何の抵抗もなく、日記帳は開いた。


「え……?」


 エリオットが声を上げる。

 アウレリウスは、穏やかに笑った。


 そっと表紙を撫でて、つぶやく。


「よかったね」


 ページはあえて開かず、閉じたまま、ヘンリーへ返す。


「これはね、あなたへのラブレターだよ。

 僕は、読めない」


 震える手で、ヘンリーは日記帳を受け取った。


「じゃあね」


 二人の返事を待たずにアウレリウスは踵を返す。

 セティも、いつもの無表情のまま続いた。


「あ……ありがとうございました!」


 エリオットの声に、アウレリウスは振り返り、小さく手を振る。


 温室に残されたヘンリーは、手の中の革の手帳を見下ろした。

 不思議と、それは少しだけ温かく感じられる。


 彼は、小さく――本当に小さく、息を吐いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ