6-5 川のこちら側
王都オルドンには、グレイブ川が走っている。
西から東へ流れるその大きな川には、七本の橋が架けられていた。
どの橋も重厚な石橋で、馬車が余裕ですれ違えるほどの幅がある。
そのうちの一つは王都を南北に貫く大通りに連なり、街の大動脈となっていた。
アウレリウスたちは、いつも王都の北側から入る。
宿屋や食堂、娼館、外国の商品を扱う店が並ぶ、外から来た人のための街並みを抜けていく道だ。
その西側には、軍事施設が多く集まっていた。
黒に近い灰色の石畳。
橋の両脇には等間隔にガス灯が並び、霧のせいで、いつも少しぼやけて見える。
七本の橋は、どれもよく手入れされ、広く、開かれている。
けれど、橋を渡りきると、場所によってわずかに空気が変わる。
だからアウレリウスたちは、いつも同じ橋を選び、まっすぐ中央区の馬車預かり場へ向かう。
――なんとなく、それが落ち着くからだ。
橋の上から、川を覗き込む。
手をついた石の欄干は、ひやりと冷たい。
グレイブ川は、グレイブハル城の湖とは違い、いつも鈍色をしていた。
匂いも、東へ行くほどに淀んでいく。
「魚はいないよね、多分」
「底が見えませんからね。……いないと思います」
向こうから、ゆっくりと渡し船が進んでくる。
この川には、小型の貨物船や渡し船が行き交っていた。
アウレリウスは、思い立ったように手を振った。
日に焼けた船頭が一瞬きょとんとした顔をし、それから、にっと笑って手を振り返す。
アウレリウスは、ぱっと顔を輝かせた。
「振り返してくれた」
その横顔を見て、セティも少しだけ笑う。
「良かったですね」
「うん」
川沿いを、東へ少し歩いてみる。
工業地帯に入ると、水面は泡立ち、ところどころに油膜が浮いていた。
セティは、わずかに眉を寄せる。
「……苦手?」
「はい」
「……そっか」
アウレリウスが足を止め、踵を返そうとした、その時だった。
「あんたたちが来るとこじゃないんだよ!
あっちいきな!」
坂の下から、怒鳴り声が響く。
すえた匂い。貧民街が近い場所だ。
店先では、女性店主が子どもたちを蹴って追い払っていた。
何人かは転び、何人かは逃げていく。
「二度と来るな!」
女性はそう吐き捨て、店の中へ引っ込んだ。
「あ……。あの子がいる」
アウレリウスは呟くと、急に駆け出した。
セティも、慌ててその後を追う。
欠けた石畳。泥と煤が混ざった地面。
雑多な匂いと、粗い街並み。
近づくと、茶色の髪の女の子以外は、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
先日、貨物駅で見かけた少女だ。
彼女だけが、その場に座り込んだまま、呆然とアウレリウスを見上げている。
アウレリウスは、コートの裾が地面につくのも構わず、しゃがみ込んだ。
剥き出しの膝には、血が滲んでいる。
「……怪我をしてる。どうして……」
覗き込むと、少女は小さく首を振った。
アウレリウスは背後のセティを一度振り返る。
セティもまた、言葉を失って少女を見つめていた。
アウレリウスがポケットからハンカチを取り出し、膝に伸ばした、その手を――
少女は、ぱしりと払った。
振り払われた手を見つめ、アウレリウスはもう一度、彼女の顔を見る。
「触らないで。汚れちゃう」
「でも……どうして……蹴られたりなんか……」
少女の深い茶の瞳が、ほんの一瞬、揺れる。
「あたしたちが、貧民街のこどもだから。
今日は乞食しに来たわけじゃないけど……よくあることだから、気にしないで」
「でも……」
少女は、じっとアウレリウスを見つめた。
まるで、忘れないように、記憶に刻みつけるみたいに。
「あたし、エリー。あなたは?」
「僕は、アウレリウス」
「……素敵ね。名前まで上級なのね」
「……え?」
少女は笑った。
子どもにしては、少し大人びた笑顔で。
立ち上がり、簡単に泥を払う。
膝からは、まだ血が滲んでいる。
「ばいばい! きれいなお兄さん!」
エリーは背を向け、走り去った。
「待っ……」
アウレリウスは立ち上がり、手を伸ばす。
だが、この街の雑然とした空気の中で、彼女の姿はすぐに溶けていった。
手元には、渡せなかったままのハンカチ。
絹の艶を帯びた、白い布。
アウレリウスは、小さく息を吐き、それをポケットにしまう。
セティが、そっとアウレリウスの肘に触れた。
「戻ろう、セティ」
「……はい」
二人は並んで、再び川沿いを、西へと戻っていった。




