6-3 市場の向こう側
王都オルドンで最も大きな市場は、オルドン中央駅を擁する中央区にある。
アウレリウスたちがよく利用する馬車預かり場や、食料品の店も、この一帯に集まっていた。
巨大な市場のなかでも、西側――セント・ブリッジ区寄りは、石畳も整い、店構えもきちんとしている。
行き交うのは、法務官や官僚、教員など、身なりの整った人々が多かった。
アウレリウスが、ふと視線を向ける。
市場を分けるように、南北に走る一本の大通り。
人々は当たり前のように行き交っているが、アウレリウスたちは、これまで一度もその向こうへ渡ったことがなかった。
「セティ、行ってみようよ」
大通り沿いには、大衆劇場や音楽ホール、酒場、観覧遊戯場が並び、その先にも、まだ市場が続いているのが見える。
様々な服装、様々な年齢、様々な表情の人々。
二人も、流れに紛れるように、大通りを渡った。
――足音が変わる。
ブーツが石畳を蹴る音が、鈍く、低くなる。
店の密度が増し、雑貨屋の前には、ワゴンが無秩序に並んでいた。
「揚げ魚! 揚げたてだよ!」
「ナッツどうだい!」
呼び声が重なり合う。
西側では控えめだった屋台が増え、油と香辛料と人の匂いが混ざり合っていた。
「今日の見世物小屋、見たか?」
「俺はいいよ」
「この林檎、傷んでるよ」
「じゃあ安くしとくよ」
「ねぇ、新しい針が欲しいの」
「奥さん、こっちにあるよ!」
喧騒。
足音。
人と物が、視界の前をひっきりなしに横切っていく。
「……わぁ……」
思わず、アウレリウスが声を漏らす。
セティは、いつの間にか彼のすぐそばに寄り添って歩いていた。
ふと、視線。
セティが振り返ると、屋台の売り子の女性と目が合った。
女性は一瞬ためらい、それから気まずそうに、小さく手を振る。
セティはアウレリウスを見る。
彼自身は気にしていないようだったが、周囲の人々は、ちらちらと彼を見ていた。
抜群の容姿に、貴族的な服装。
アウレリウスだけでなく、セティもまた、この場所ではどうしても目を引く。
セティは小さく息を吐く。
それでも、アウレリウスは、東へ、さらに東へと歩を進めた。
やがて、石畳が欠け始める。
泥と煤が混ざり、店は棚ではなく、箱や木枠に商品を積み上げるようになる。
屋台が、市場の大半を占めるようになっていた。
「もう少し安くしてくれ!」
「これ以上は無理だ!」
「おい、勝手に触るな!」
「煙草はどうだい!」
喧騒に、怒声が混じる。
視線の質が、変わった。
さきほどまでは、好奇心と興味。
だが、ここでは、そこにわずかな敵意が混ざっている。
セティが、そっとアウレリウスの肘を引いた。
アウレリウスは一瞬きょとんとしたが、すぐに、穏やかに笑う。
「……そうだね。戻ろうか」
二人は踵を返し、大通りを渡って、見慣れた市場へ戻った。
通りの脇に、赤く塗られた手押し車がある。
アウレリウスが声をかけた。
「一袋、もらえる?」
「はい、どうぞ」
煤けた鉄鍋で直火焙煎された焼き栗。
売り子の男は素手で栗を掴み、茶色い粗い紙に包んだ。
「熱くないの?」
「熱いさ。慣れちまいましたよ。火傷しないでね」
「ありがとう」
銅貨を渡し、紙袋を受け取る。
紙はほんのり湿り、甘い栗の匂いが立ちのぼった。
二人は並んで歩き出す。
セティの手は、まだアウレリウスの肘に触れている。
アウレリウスは歩きながら一つ剥き、何も言わずに、セティの口へ入れた。
もぐもぐと口を動かす横顔を見て、ふっと笑う。
「美味しい?」
「……はい」
彼自身も一つ口に運ぶ。
「ほくほくしてる」
「優しい味です」
「うん」
いつの間にか、セティの手が肘から離れていた。
「駅の喫茶店に寄っていこうか。少し疲れたね」
「はい」
オルドン中央駅の巨大なドーム屋根が、夕焼けを冷たく返していた。
構内の喫茶室。
真鍮の丸テーブルに腰を下ろす。
大きなガラスの向こうで、汽車が白い蒸気を吐きながら滑り込んでくる。
汽笛。
大きなトランクを抱えた男。
制服姿の人々。
旅装の婦人たち。
「……いろんな人がいるね」
「はい」
紅茶を一口。
熱が、身体の奥へ、ゆっくりと落ちていった。
二人は、静かに息を吐いた。




