6-2 東へ
アウレリウスたちは買い出しも兼ねて、週に一度は王都へやってくる。
彼らが歩くのはオルドンの西側が多い。
中央近くのセント・ブリッジ区、学院街のハートウェル区、中流階級の家が立ち並ぶオルドン西区と西原。西の丘の上には上流階級の邸宅が並ぶ。
オルドンは、中央区のオルドン中央駅を境に空気が変わる。
東へ離れると、鉄と油の匂いが立ち込める工業地帯へ入り、さらにその奥には貧民街がある。
彼らは、中央区で馬車を預けた後は、いつも何となくセント・ブリッジ区方面へ向かっている。
この日も変わらずその道を歩いていた。
「あっ……」
アウレリウスが小さく声を漏らす。
白亜の尖塔、王立裁定院から出てきたのは体格のいい金髪の男性、エドガーの専属特別調査官のルシアンだった。
彼は歩きながら、片手に持った手帳に素早く目を走らせ、それを制服の内ポケットにしまう。
王立裁定院、外部調査局の調査官にのみ許されたオリーブグリーンの制服。軍服に近いデザインでありながら、軍服よりしなやかで、知性を滲ませる銀のボタンが鈍く光を返している。袖口のカフスには美しい装飾線。
胸の調査官の徽章は、燻銀の八角形。王冠に剣を納めた鞘の文様。それは、高位貴族の邸宅、軍事施設、裁定院以外の官庁、そのすべてで通用する高権限を与えられた証だ。
彼は揺るぎのない歩調で歩いて来る。
アウレリウスたちが脇に寄って道を開けると、彼は小さく頭を下げた。
まっすぐ前を見据えたままの琥珀の瞳が、一瞬だけわずかに柔らかくなる。
アウレリウスたちはその背を一旦は見送ったが、つい、彼の背を追いかけた。
ルシアンの足は速かった。
以前エドガーと歩いているところを見かけたときは、ゆったり歩いていたのに、彼一人の足に追いつくには、アウレリウスたちは早足でないとどんどん引き離されてしまう。
オルドン中央駅。
人の流れが交差し、声と足音が重なった。
気づいたときには、オリーブグリーンの背中は群衆に溶けていた。
「はぁ……。足が速いね、彼」
「本当にそうですね」
「彼は東に向かったよね……。行ってみる?」
「……馬車でいきますか?」
「せっかくだし、辻馬車を拾ってみようか」
石畳の道沿いに並んだ辻馬車から一つを選んで声をかけ、乗り込む。
「どちらまで?」
アウレリウスとセティは顔を見合わせる。
「……東へ」
「東?」
「散歩したい気分なんだ。とにかく東に行ってみて」
「……畏まりました」
馬車が動き始める。
アウレリウスたちが持つ馬車は御者台が前方にあるが、王都で主に走っている馬車は客席の後ろの一段高くなった位置にある。
背後から手綱を引く気配。
慣れなくて少し不思議だ。
庶民向けの食料品などの市場を抜けると、匂いと音が変わる。
灰や黒の背の低い建物が並び、煙突から絶え間なく煙が吐き出されている。
鉄と油の匂い。
鉄を叩くような鋭い音。
男たちの怒声。
向こうから貨物列車が走ってくるのが見えた。
それが滑り込んだ先はミルフォード貨物駅。
人を乗せるためのオルドン中央駅やセント・ブリッジ駅に比べると大きいだけの簡素な建物。
ふと、そこへ入っていくオリーブグリーンの背中が目に入る。
「あっ! いた!」
アウレリウスが車窓の向こうを指で示すと、セティもそちらを視線で探した。
「ここで降ろして」
アウレリウスが御者に合図を送ると、馬車はすぐに止まる。銀貨を渡して、二人は弾むようにルシアンの背を追いかけた。
鉄が錆びたような匂い。
敷き詰められた灰色の石。
灰色と茶色ばかりの、少し粗雑な世界。
アウレリウスとセティがあちこち見回しながら歩いていると、向こうにルシアンの姿が見えた。
空の木箱が並べられた一帯。その奥。
一つの木箱にルシアンが座り、焚き火を囲むかのように子どもたちが集まっている。
雑然と並んだ箱にアウレリウス達は何となく身を隠して、その様子を眺めた。
何を話しているのかまでは分からない。
時々笑い声が聞こえてくる。
ルシアンがポケットから何かを取り出すと、子どもたちが一斉に立ち上がり、それを受け取った。
皆嬉しそうに笑っている。
「トフィーだ! もっとないの?」
子どもの高い声が響く。
「……お菓子を配っているのかな?」
「そうみたいですね」
ルシアンが立ち上がって、どこかを手で示すと、子どもたちは一斉に走り去っていった。
「頼んだぞー!」
ルシアンが声を上げ、彼も踵を返す。
アウレリウスが立ち上がると、ふと、まだそこにいた女の子と目があった。
十歳くらいの女の子。茶色の肩くらいまでの髪の毛は、結ばれずにそのまま下ろされている。
アウレリウスは目を細めて微笑み、小さく手を挙げる。
彼女の頬がぽっと赤くなった。
だけど、その子は背を向け、そのまま走り去ってしまう。
「あ……。行っちゃったね。
何か頼まれてたみたいだし、これからお仕事かな」
アウレリウスはセティの背に触れると、はたと周りを見た。
「馬車に待っててもらえば良かったかな」
知らない街。
知らない人。
知らない空気。
二人はその日は少しだけ迷子になりながら、城に戻った。




