1-4 霧の街を歩く
閉城日の朝、二人は王都へ出た。
王都、霧の街オルドン。
この街は今日も、霧に沈んでいる。
王都に着くと、二人は馬車を預かり場に入れ、そのまま、どこへ行くとも決めずに歩き出した。
石畳は、少しだけ湿っている。
すれ違う馬車。パン屋から流れてくる甘い香り。店先に並んだ艶やかな果実。新聞売りの少年の声。
グレイブ川。
橋の上に立ち、少しだけ下を覗き込む。
霧の淡い光を弾いて、流れる水がきらりと光った。
今はまだ灯っていないガス灯が、等間隔に並んでいる。
二人の足は、静かで整った街並みの方へ向かう。
白亜の尖塔は王立裁定院。
その近くにはまた別の大きな建物があり、さらに奥には王城が見えた。
通り沿いのカフェでは、フロックコートを纏った紳士が新聞を片手に紅茶を飲んでいる。
アウレリウスも、紺のフロックコートを着ていた。
白いシャツに紺のウエストコート。細く畳んだスモークブルーのクラヴァットとオレンジサファイアのピンブローチ。
茶色の木目が美しい杖も手にしている。
街の紳士たちの服装を真似ているのだが、杖の扱い方はいまだによく分からず、ただ持っているだけだ。
服はよく褒められるが、同じものを数着仕立てて、淡々と着回しているだけで、“おしゃれ”という感覚はあまりない。
オレンジサファイアのピンブローチも、気まぐれに立ち寄った宝石店で勧められたから買ったものだ。
ただ、左の中指につけた細い金の指輪だけは、自分で選んだ。
“アウレリウス”は“黄金の”という意味だと聞いた。
創造主が彼に贈った名前。それにちなんだ、ささやかな宝飾品。
セティは、緑がかった黒のシンプルなテーラードジャケット。
上まで留めた白い高襟のシャツに、細身の長いパンツ。
アウレリウスは彼を飾り立てたい気持ちもあるが、セティはそれを好まなかった。
だから、髪を留めている深緑の細いリボンだけが、唯一の飾り。
裁定院のすぐ近くには、王立自然公園がある。
噴水があり、芝生があり、季節の花が絶えず咲いている場所だ。
日傘を差した女性たちが歩き、
芝生の上を子どもが駆け回る。
白い鳩が、ぽっぽっ、と声を立てながら足元を行き交っていた。
二人は並んで噴水を眺めたあと、近くのベンチに腰掛けた。
そのとき、アウレリウスの視線が、ふと惹き寄せられる。
青みがかった黒髪の青年。
真っ白なシャツに、同じく白いクラヴァット。
ダークブルーのフロックコートに、脚のラインに沿ったストレートパンツ。
よく磨かれた黒革のブーツ。
そして、黒檀の杖――それを、自然に使いこなしている。
王立裁定院の法務官、エドガー・レイブンズ。
ときどき大きな裁定を下し、新聞に名が載る人物。
アウレリウスが書いている探偵小説のモデルは、実は彼だった。
設定も職業も外見も少しずつ違う。
話したことはないから、話し方も想像で補っている。
だから、彼がモデルだと知っているのは、アウレリウスとセティだけだ。
彼は静かに噴水を眺めている。
ただ立っているだけで、知的な空気をまとっていた。
「彼は、かっこいいよね。
彼なら、答えを知っているのかな」
「話しかけますか? 彼に」
「やめておくよ」
――僕たちは、構成は人と同じなのに、老いることがない。
――なぜなんだろう。
青年は静かに踵を返し、裁定院の方へ歩き出す。
彼の群青の瞳に、アウレリウスたちが映ることはない。
法と理が守るこの世界では、
彼らは、忘れられた静かな世界の断片にすぎないからだ。
背中が見えなくなると、アウレリウスは鞄から日記帳を取り出した。
「今日は、とてもいい天気だよ。
王都は、いつも通り霧が出ているけどね」
表紙をそっと撫でながら、優しく話しかける。
「今日はね、彼に会ったよ。
話しかけたりはしないけど」
少しだけ、空を見上げる。
霧の向こうの空は、グレイブハル城から見るよりも、灰色にくすんで見えた。
「人と話すのは好きだけど、
彼にだけは、僕は話しかけないんだ」
セティは姿勢正しく座ったまま、ほとんど動かずに公園を眺めている。
「君も、そんなことはあったのかな」
日記帳は、やはり開かない。
「セティ、帰ろう」
「はい」
「食料を、少し買い足していこうね」
「はい」
二人は立ち上がり、並んで歩き出す。
遠くで、鐘の音が鳴った。
行き交う人々。
整いすぎた二人の姿に、振り返る者もいる。
だが、彼らが誰なのかを知る人はいない。
人はたくさんいるけれど、
知っている人は、誰もいない街。
それでも――
そんな街を、二人は存外、嫌いではなかった。




