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グレイブハル城の観測者  作者: かも ねぎ
正編 第四章『触れてはならないもの』
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4-9 触れてはならないもの


 侯爵家、執務室。


 大窓に大粒の雨が打ち付けられている。カーテンの刺繍は光を吸い、沈んだように色をなくしていた。


 マホガニーの大きな机に、父親は拳を叩きつけた。

 その前に立つジュリアンは、眉を顰める。


「新聞の騒ぎが収まらない! どこから話が漏れているのか、まったく突き止められない!

 お前も、しばらくおとなしくしていろと言っただろう!」


 机の上に広げられた、何社分もの新聞。

 貴族青年の醜聞は、庶民にとってはさぞ面白い話題なのだろう。

 門前には、今日も記者が群がっている。


「侯爵家の人間である自覚を持て!」


「……はい」


 父親は苛立たしげに髪をかきむしった。


「お前が次男でまだ良かった。長男は真面目にやってくれているというのに……本当に、お前は……」


 ――長くなりそうだな。


「部屋で反省いたします」


「……そうだな。下がれ」


 ジュリアンは執務室を出た。

 扉を蹴りたい衝動を抑え、無言で廊下を歩く。




 自室に戻ると、ジュリアンはソファにだらしなく腰を落とした。


「まったく……何だって言うんだ」


 クラヴァットを外し、ローテーブルに投げる。

 それは滑って床に落ちた。


 背もたれに頭を預け、天井を見上げる。


 曇天のせいで、部屋にはほとんど光が差し込まない。


 薄暗い室内。

 空気は澱み、どこか甘ったるい匂いが残っている。


 腕を持ち上げ、手のひらを見つめた。


 ――あの時触れた、淡い髪。

 ――柔らかい頬。


 唇に指先を当てる。


「……あと少しで、あの綺麗な男が手に入りそうなのに」


 独り言は、雨音に溶けて消えた。


 ふと、耳の奥に鋭い痛みが走った気がした。

 ――ガラスの割れる音。


 ……気のせいだ。

 きっと、気のせい。


 ジュリアンは目を閉じ、雨の音だけに耳を澄ませた。




 夜半。


 ふと、目が覚める。

 天蓋の絹をぼんやりと見つめる。


 カーテンの隙間から、薄青い光が差し込んでいた。


 雨は、まだ降り続いている。

 規則正しいその音に、しばらく身を委ねていると――


 不意に、音が消えた。


 耳鳴り。


 寝返りを打ち、窓のある方へ顔を向ける。


 影。


 起き上がろうとして、身体が動かないことに気づく。


 視線だけで、影を追う。


 ベッドの脇に立っているのは、黒髪の少年。

 グレイブハル城にいた、あの無愛想な男。


 灰色の瞳に、弱い光が滲む。

 まるで、瞳そのものが淡く光っているようだった。


 少年は、ただジュリアンを見下ろしている。


「……触らないで」


 息が詰まる。

 声にならない。


「触らないで。僕の大切な人に。

 ――消えて」


 胸が締め付けられる。

 掻きむしりたいのに、指一本動かせない。


 ジュリアンは目を強く閉じ、浅い呼吸を何度も繰り返した。


 そして、恐る恐る目を開ける。


 ――いない。


 跳ね起き、裸足のまま床に降りる。

 部屋を見回す。


 何もない。


 脂汗が、一気に噴き出した。


 触れられてはいない。

 ただ、言葉を投げかけられただけだ。


 それなのに――


 心臓に刃物を突き立てられたかのように、身体が凍りついている。


 ジュリアンは、その場に膝をついた。


 ――拒絶されていると、分かっていたはずなのに。


 ――触れてはいけないものに、手を伸ばしたから……?


 胸を押さえ、うずくまる。

 雨の音が、部屋の奥へ、重く沈んでいった。


 ジュリアンは、その晩、

 ――城へは二度と行かないと決めた。



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